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第38話 面倒な男
なんで週明けの仕事は特例で土曜出勤なんだよ。しかも祭日も仕事とか、祭日に客からの依頼なんてほぼねぇよ。だから休みでいいだろ。三連休。なのに、なんだよ、何千万円単位の単発発注って。
そう、新規の客がまさかの初回発注で売り上げ何千万規模の仕事を寄越した。新年早々、要が担当している新しい顧客。
――すっごく大きな商社なんだそうですよ? この仕事が上手くいったら、一千万単位じゃない継続発注もらえるらしいです。ほら。
そう言って、荒井さんが要に頼まれた見積もりと一緒に、仮として二月以降に発注がかかるかもしれないもののリストを見せてくれた。
たしかにすげぇ売り上げ。でも、荒井さんが見せてくれた発注依頼書の納期は目を疑うほどに短納期だった。
――でも短納期代ももらえてて、純利益にしたらけっこうな額なんですよ。だから、なんか社のほうがすっごい協力体制をとってくれるみたいで。
わが社の新エース、そして「要」として大抜擢された営業課長が年明け早々良い働きをしてくれたと大喜びだったらしい。会社が全力で要が担当することになった仕事のフォローをする。納期の短縮、各工程でも最優先品として扱われ、納期、品質ともに最善を尽くす体勢。
そんなんしたら、要はすげぇ頑張るだろ。あれだけ真っ直ぐに真面目な性格してんだから、土曜だって打ち合わせの連続で外に出っぱなし。帰ってきたら、そのままデスクワークにとりかかってパソコン画面の前に張り付いてた。
年度末の決算前にこんなにでかい仕事が入ってきたんだ、会社的には大歓迎だろ。でも、俺にしてみたら、でかい商社だろうが、売り上げ何千万だろうが関係ねぇよ。
日曜日の今日、そんな営業マンとして、社会人として、失格だろう文句が零れそうになる。
ゆっくり休めよ。また、明日から仕事できついんだから。
そうメッセージを送った。それに既読がついたのは昼ちょうどくらい。そして、「申し訳ない。洗濯物が溜まってて」ってメッセージが返ってきたのはそれからまた数時間後だった。
手伝いに行けばよかったのかもしれない。でも、合鍵持ってねぇ俺があの人の部屋に入るのは鍵を開けてもらわないといけない。寝ているところをわざわざ起こすのは気が引けた。それに、俺が手伝うっていっても、きっとあの人はそれを断り、逆に気を使うだろ。茶出して、のんびりしてくれっていって、洗濯物は夜に後回し。俺は手伝うどころか邪魔になる。男、同性で、年下で部下である俺に仕事でも、家事でも、きっとあの人は頼らない。
――お前にはお前の仕事があるだろう? こっちは大丈夫だから。
きっとそう言って笑う。同じ男だから、お互いにその部分では寄りかからない。あの人はそんなふうに寄りかかるのを許さない。そう思った。
それだけじゃない。
本当に無理させたくないんだ。仕事初めからトイレで襲い掛かったこと。あの人は平気だって、嬉しかったって笑ったけど、でも、身体に負担をかけているのは確かだ。あの人が、要が朝弱いのは俺のせいなんじゃねぇかって。遅刻どころか、朝、デスクに座った瞬間からフル稼働で働き出す花織課長。そんな人があんなに朝に弱いのは俺が無理をさせてるからかもって。
でも、やっぱ、会いてぇ。
これがすげぇガキくさい我儘なのはわかってる。疲れてヘトヘトの要は昼近くに起きて、慌てて洗濯物を片付け、食事を済ませ、部屋をざっとだろうと掃除をしているかもしれない。貴重な日曜、あの人は家の仕事に追われてる。
「……」
それなら、買い物とかしてやればいいんじゃねぇ? そしたら、ほら、あの人が買い出しに行く手間が省けるだろ? 時計を見ればちょうど夕方だった。ほら、ちょうどいいだろ。夕飯用の買い物してやろうか? って尋ねたらいいかもしれない。
そんなことを思いついたところで邪魔するように電話が鳴った。
「は?」
見れば実家からだった。イやな予感しかしねぇ。実家が電話してくるのなんて、ほぼ俺にとっては面倒なことばかりだったから。
「……はい、もしもし?」
『もしもし、高雄兄ちゃん?』
「あぁ、そうだけど」
しかも、世界一話が長くて面倒な母親からだとわかると、余計にイヤになってくる。
『あんた、冬月さんって、覚えてる?』
「……は?」
もう、完全に面倒な予感しかしなかった。
俺の地元は田舎だ。狭い田舎じゃ、結婚は早いし、ウソみたいに昔からの考えがまだしっかりと居座っている。共働きのことをよく思っていない人もまだいるほど、昔ながらの考え方をする人がいて、俺にとってはそれも居心地の悪い原因のひとつだった。狭いのは空間だけじゃなく、人の心も同様だ。
だから、俺みたいに結婚する気配もないとすげぇ心配される。
――高雄、良い人はいないのか?
――結婚しないの? いいわよ、結婚は。
そんなことをあっちこっちで聞かれる頻度は年々上がっていく。それは親類から、友人から、無遠慮に投げ込まれる質問だった。もちろん、親からだって。
――冬月さん、私が通っている美容院の娘さんなんだけど、高雄のこと! 気になってるみたいなの! ねぇ、すっごい美人よ? どう?
どう、ってなんだよ。今年の正月もあっちこっち、親戚と新年の挨拶をする度に身勝手に誰かと俺をくっつけようとしてたけど、まさか、名指しで同級生をいきなり薦められるとは思ってもいなかった。
どうじゃねぇよ。もういるっつうの、相手ならちゃんと、いる。
――それでね、今日、そっちに冬月さんが用事があるらしくてね? あんたに届けて欲しかったものを代わりに持って行ってもらったから。あんた、ちゃんと受け取ってよね。
なんだよ、それ。急に何してんだ、マジで。話がそもそも長い母親に適当に相槌を打っていたら、いきなり、そんな縁談めいたことを言われた。冬月、同級生で、当時は地味だったが、今はすげぇ美人になってた。
俺のことが気になっていて、もちろん俺と同じ歳、つまり、あの土地では結婚適齢期は充分すぎている。しかも女だから、嫁の貰い手がなくなるんじゃないかと、冬月の親は焦っていて、俺の親も、いっこうに結婚する気配が全くない俺に少なからず焦っていて。
結果、俺と冬月の頭上で親同士が今のご時世には似つかわしくない計画を立てたらしい。
アホくせぇってスルーできたらいいのに。
――すみません、冬月です。
彼女側がその計画に乗ってるせいで、スルーするのすら面倒になる。母親との電話を終えた画面には、まるで「ほら、いまだよ」ってどこからか指示でもされているんじゃないかと疑いたくなるほど、絶妙なタイミングで彼女からメッセージが届いていた。
普通、ありえないだろ。
親同士が話して、許婚みたいなことをするなんて、ありえねぇ。
「ごめんなさい」
でも、それがすげぇ田舎だとありえたりするからマジでめんどくせぇ。
「うちの母が……」
駅前に冬月がいた。俺の親が正月に持たせるつもりだったらしい大吟醸のでかい酒瓶を持って、しとやかな美人が立っていた。
「友達のコンサートについて来たの。それで、こっちに出る機会があるって知った庄司君のお母さんが」
彼女が俺に好意を持っているのはわかってた。正月の飲み会の時にはすでにわかっていて、断る意味合いで連絡先は教えなかった。でも、狭苦しい田舎の中じゃ、結婚適齢期なんてクソみたいな風習が普通に残っていて、彼女はその適齢期をとっくにすぎていて、周りがうるさいだろ。男の俺ですらうるさいと感じるんだ。女である彼女にとっては息苦しいほどかもしれない。
「悪いんだけど」
「ずっと、好きでした」
顔を真っ赤にして、少し俯いた表情。俺はこの冬月なら知ってる。
「ずっと……その、えっと……ごめんなさい」
もっとずっと前からわかってた。高校の時、席が隣になった彼女にさりげなく声をかけたんだ。眼鏡取ったら可愛くなるんじゃない? なんて、良いこと言って。本当に呆れるほどガキくさいだろ? 彼女が俺に気があるのはその時からわかってた。わかっていて、そんなことを言って、頬を染める彼女の反応にどこか満足していたのかもしれない。それ以上の感情も気持ちも持ってないくせに。気を持たせるようなことを、ガキの俺はしたんだ。だから、ここに謝りに来た。親がどんなにけしかけようとも無理だからって断るために。
「悪いんだけど」
「……」
すげぇ悲しい顔をさせた。ずっと、きっとそんな顔を俺はさせてたんだ。
「ごめん」
めんどくせぇのは俺だよ。俺自身だ。人を好きになるっていうのがどんなものかもわかってなかったくせに、恋愛ごっこをずっと続けていた俺だ。俺が一番めんどくさい。
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