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第44話 お迎えですよ、花織課長

 最初、なんとも思ってなかった。今度の課長はうるさいなって程度で、あとはとくになし。 『おい、庄司、庄司高雄』  そう呼び止められて、始まったんだ。  この恋がいきなり目の前に、切れ長で真っ黒な、星を中にいっぱいに詰め込んだ綺麗な瞳と一緒に、俺の懐に飛び込んできた。そこからはもうずっとあの人に振り回されて、大空に放り出され、なんか飛んでるみたいに浮いて、落とされて。  なぁ、要、俺はあんたのこと、好きだよ。  めんどくさいくらい自分ひとりであれもこれもって抱え込む癖があって、真面目で、すぐに膨れっ面になるし、不器用で、肝心な時にズレたりするあんたのことが、好きだ。 『ただ、ぱいぱんが治るのかどうか見たかっただけなんだ』  笑えるだろ? そんなことを本気で真面目に悩むとかさ。すぐに落ち込むくせに、上がってくるのも早くて、案外しぶとい。それと、おねだりは、すっげぇ下手。 ――ホテル、午後一時、かしこまりました。  迎えに来て欲しいんなら、もう少しわかりやすくしろよ。ホントめんどくせぇ。あんたがものすごい遠まわしに俺を試してるって、そうわかった瞬間、どんだけ嬉しかったか。 「要っ!」  あとでたっぷり教えてやる。 「かなめっ!」  花織課長のメールを読んで、急いでホテルに来た。もちろん部屋はオートロック。フロントに鍵を部屋に置いたまま外に出てしまったから、マスターキーを貸して欲しいって言えば、こんなに扉を叩かなくて済んだかもしれない。部屋に入る方法ならいくらでもあったと思う。 「かなめっ! いるんだろ! 開けろっ!」  でも、俺は色々あるだろう方法全部を無視して、ただ、扉を叩いた。 「要!」  手が腫れ上がろうが、扉がへこもうが、俺はこの扉に体当たりして開けたかった。あの人が、俺が初めてマジで好きになった人が愛しくなるほど真っ直ぐに俺だけをいつでも見てくれていたから、俺も真っ直ぐあの人を迎えに行きたかった。  不器用で、抱き締めたくなるくらい真っ直ぐなあの人を丸ごと迎えに行くのなら、俺も同じくらい真っ直ぐがよかったんだ。  いつまでだって名前を呼ぶ。どんなに周囲が騒ごうがこの扉が開くまで叩き続ける。 「要っ!」 「……ちょっと、君、バカなのか?」  叩き続けて呼び続けたら、あのクソ男が険しい表情で扉を開ける。一般人の君はそれでかまわないだろうが、周囲の目を少しは気にしたらどうだ? そんなだから、あんな写真を簡単に撮られるんだよ? 浅はかな男だ。そう言って嘲り笑って、余裕の顔をしてた。 「こんなののどこがよかったんだ? 要」 「要、迎えに来た」  あの人がそこにいた。部屋の真ん中でスーツ姿に、ストールを首にギュッと撒きつけてた。 「要」  俺がクリスマスにプレゼントしたストールを離さないように、すがるように、手で握り締めていた。 「あ……高雄……」  目に涙をいっぱい溜めて。あんた、バカじゃねぇの? 「要、帰るぞ」 「っ」  ここで嬉し泣きとかするなよ。 「おいおいおい! ちょっと、待った! 何か勘違いしてないか? 要は自分から来たんだぞ? 中小企業の営業課長なんて、ちんけなポジションじゃなく、大手商社の重役として迎えてやるって言ってるんだ」 「それで、お前の愛人にするとか? はっ、写真で脅して? それでよく要が自分からここに来たとか思えるな。頭、大丈夫か?」  今度は。 「要、帰るぞ」 「!」  今度は何も踏みつけない。 「要」 「おい! お前、何を勝手に!」  声を荒げ、取り乱したクソだせぇ男が写真を握り締めてた。それ以外の手段を思いつけない哀れな男をチラッと見てから、手を、要に真っ直ぐ伸ばした。 「要、帰るぞ」  でも、要は同級生の手の中にある俺と自分の写真を見て、ぎゅっと深緑のストールを握り締める。  俺とのことをバラされないためにここへは来たんだ。だから、ここから帰ることはできない? 「要」 「た、かお、お前はわかってないんだ。その写真をばら撒かれたら、どうなるのかってことを」 「要!」 「男同士で、職場で、抱き合ってる写真だぞ? お前は、ノンケなのに」 「要っ!」  でも、あんた、今、すげぇしがみついてんじゃん。俺がプレゼントしたストールを俺の代わりにして、手を離そうとしないじゃん。 「好きだ」  掴まるなら、それじゃなくて、俺にしろよ。そんな、あんたの首元しか温められないものじゃなくて、あんたの全部をあっためて、抱き締めて、いくら寄りかかったって受け止める俺に掴まれよ。  あんたの全部を俺はちゃんと抱き締めるから。 「高雄、おま、だって、わかってないだろっ」 「わかってる、好きだ」  俺はたしかにゲイじゃない。だから、もしも、次に誰かを好きになるのなら、きっとそれは女だ。冬月みたいな清楚で控えめな美人がいいかもしれない。でも、次はねぇから、ゲイでもノンケでも関係がない。 「ずっと、あんたのことを好きでいる」 「!」 「あんたは?」  いつも俺は困ってた。要が可愛すぎて、すげぇツボで、なんか、好きすぎて困って、こんなに真っ直ぐ言ったことはなかったかもしれない。いつだって真っ直ぐ俺を見てくれるあんたが好きで、こんなに好きになった人はいなかったから、直視できなくてよく目を逸らしてた。 「要のことが好きだ。あんたは?」  何も踏みつけない。どんなに脅しのネタにされようが、あの時、抱き締めた気持ちは本物だ。本気で要のことが愛しかったから抱き締めた。それをばら撒かれても、脅しになんかならねぇ。 「おいおいおいおいおい!」 「写真、ばら撒きたかったら、撒けよ。そんで、お前が言いふらせよ」 「はぁぁぁ? 何言って」 「俺たちは恋人同士だって、クソだせぇ横恋慕役のお前がばら撒いて言いふらせばいい」  この、すげぇ可愛くて、綺麗で、なんなんだよって文句を言いたくなるくらい、愛しい人と愛し合ってるって、お前が言いふらせよ。 「高雄……」 「帰るぞ」 「っ」  手が繋がった。指先が、ちょこんって遠慮がちに俺に掴まったから、すぐに捕まえて、そのまま懐に閉じ込めた。俺の代わりにしてたストールじゃなくて、腕で肩を抱き締めると、一瞬で身体がじんわりと熱を持ったのがわかる。 「おいおいおい! 俺をバカにしてるのか? ははは! そうか。写真ばら撒かれたくらいじゃ足りないのなら、発注しようと思ってた仕事を」 「お前っ」  要があんなに必死に頑張って、毎日走り回って、ここまで繋げた仕事をただのクソったれな嫉妬で踏みにじろうとするのなら、今、この場でこいつをぶん殴ってやろうと思った。それでなくたって、一発くらいぶん殴ったって足りないくらい、こっちはムカついてんだ。 「高雄」  でも、そんな俺の胸に要の掌が触れて、柔らかくて優しい熱が染み込んでくる。 「わが社は最善を尽くしてます」  低い、でも優しい声がこのただれた部屋の空気を一瞬で洗って綺麗にしてくれる気がする。凛とした、澄んだ空気に変わっていく。 「あのコストで最高のパフォーマンスを提供できます。それを、今、ここで断るのなら」  うちの会社の「要」って顔してた。 「君は大バカだ」  そう告げた声に、世界一のダサい男が愕然として、口を開けたまま、その場に座り込んだ。その手から、お互いを愛しそうに見つめる俺と要のくしゃくしゃになった写真が花びらみたいに舞いながら落ちた。

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