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第46話 コーヒー牛乳は冷ましてから飲みます。

「営業課、ふたりでサボりだな」  俺の部屋に帰って来て、ポツリと呟いたら、玄関からリビングへと続くキッチン兼廊下に突っ立っていた要が「あ」って、小さく声を上げた。 「あの、俺の……」 「辞表? 明日、破るんだろ?」 「でも」 「コーヒー? コーンポタージュはさすがにない」  眉を八の字に下げてわずかに頷く。その手がまた緑色のストールを握り締めた。 「あんたが色目を使って、でかい仕事を取ってきたって、噂」 「!」 「山下が完全否定してた」  驚いた? あんたのことをよく知らない奴らは面白半分でそんなことを言うのかもしれない。でも、山下はそれを完全否定してたよ。誰よりも真面目で、見積もりの小さなミスだって見つけてすぐに正す課長が、色仕掛けなんてことするわけないって。 「それに、いっつも怖い顔してばっかの花織課長が誘惑なんてことできるわけがねぇって」 「ちょ! 俺は!」  眉を吊り上げて怒った時のあんたの真似をしてみせた。いつだって誰にだって、厳しさは同じ。俺が山下と同じミスをしたら、きっとあんたは同じように怒って、即直して来い! って威圧感たっぷりの声で怒鳴っただろう。  だから、皆が要のことを信じてた。 「正直、ビビった」 「……」 「あんたが出張って書き殴って、辞表を置いてったのを知った時、荒井さんに何やってんだ! って怒られたよ」 「え?」  ブラックコーヒーとか似合いそうなあんたが好きなのは甘い甘い、子どもみたいなコーヒー牛乳。だから、砂糖もミルクもたっぷり入れた。 「辞表をここに置いたのも、メールであのクソ同級生に返信して行き先を知らせてるのも、全部、迎えに来て欲しいってサインだって。要、氷入れるか?」  フルフルと首を横に振って、要の黒髪が踊るように一緒になって左右に揺れる。繊細で、指先に巻きつけると柔らかくて気持ちイイ綺麗な黒髪。 「わかりにくいっつうの……マジでビビったんだぞ」 「ごめん。あの、氷は入らない」 「そっちじゃなくて。迎えに来て欲しいっつうサインのこと」 「……ぁ」  そういうズレたところも好きになった。勘違いとか早とちりとか、俺の前でだけすげぇする。タイミングとか全然関係なく、少し前にした話題に答えたり、笑ったり、考え込んだり。花織課長でいる時にはそんなズレたところも、おっちょこちょいなところも見せないのに。俺の前でだけ。 「でも、まぁ、あんたが会社辞めようが、あの写真をばら撒かれようが、俺のすることは変わりないけど」  それでも一瞬、怖くはなったんだ。あんたがこの腕から離れて、別の男にこの黒髪を触らせるところを想像しかけて、眩暈がした。 「どっちにしても迎えに行って、あんたのことさらうつもりだったから。あとで問題になろうがかまわない。なぁ、要、氷なくて飲めるの? あんた、猫舌だろ?」  この人の綺麗な黒髪も、綺麗な黒い瞳も、睫毛の先ですら、他の誰にも触れて欲しくない。全部、独り占めしたい。 「飲めないじゃん」 「……」 「冷めるの時間かかるぞ」  独身者用のワンルームだから廊下だって、男ひとりが通れたら充分だろ? ってくらいの幅しかない。だから、ほら、こうして少しだけ動けば、あんたは俺と壁の間に挟まれて動けない。  このままこの腕の中に閉じ込めて置けたらいいのにって思うくらい、好きなんだ。 「要、キス、させて」 「ンっ」  噛み付くように唇を奪って、舌を差し込む。この人の口の中を舌で蹂躙しつつ、頭を廊下の壁にぶつけないようにって、小さな頭に手を置いた。指先で黒髪の柔らかさを堪能しながら、熱いものが苦手な要の舌にしゃぶりつく。  これなら、今入れたコーヒー牛乳だって飲めるんじゃねぇ? って思うくらい、要の舌が熱くて、深く濃く口付けながら、頭の芯が溶けそうになる。  角度を変えて舌で柔らかいところを全部舐めて、唇ですすって、歯を立ててピンク色の粘膜を強く刺激して。 「ン……ン、ふっ……んく」  熱と唾液が俺たちの間で混ざり合っていく。 「ん、高雄っ」  要が俺の名前を呼びながら、喉仏を上下させて、交換し合った熱を飲み干す仕草がたまらなく色っぽくて、腹の底で甘い蜜が煮え立つような感覚がある。グツグツ煮えて、何も考えられなくなりそうな、そんな甘い甘い熱。 「要っ」  キスだけで止まれなくなる。 「た、かお?」  ひとつ間を置いて、呼吸を整えて。 「とりあえず、ジャケット脱いで、ストールも、ほら、ハンガーにかけておくから」 「高雄?」  深呼吸はさすがにこの距離でするとバレるだろうから、顔をあわせないようにしながら距離を取った。 「あの、高雄?」  距離を取らないと、キスしたせいで、腹の底が熱くなって、今、すげぇギリギリなんだよ。 「あの、高雄、しないのか?」  すげぇギリギリ。今すぐにこの人とセックスしたい衝動を必死に堪えてる。 「高雄?」  だから、覗き込まないでくれ。 「しない、のか?」 「あ、んたに見せたいんだよ」  ほら、欲情してるって丸わかりの切羽詰った声は少し震えてた。ダサいくらいに発情してるって顔にもモロ出てるだろうから、今は見られたくなくてできるだけ俯いてる。 「年取って、おっさんになって枯れても、俺は要のことが好きだって見せたい。今だけ好きなんじゃないって」  魔が差したわけでも、性欲に負けたんでもなく、性別とか全部越えて好きになった歳も立場も関係なく、この人の丸ごとを好きになった。ずっと、この先もそれは揺るがないって自信が俺にはある。でも、それを口で言っても伝えきれない。「好きだ」って言葉だけじゃこの気持ちは言い表せないって自分でも思ってるから、要にも態度で見せたいんだ。 「あの! 高雄!」  エアコンつけたし、狭い部屋じゃすぐに温まるだろうから、とりあえずストールだけでも取ったほうがいいって手を首元に伸ばしたら、抗うように要がストールをぎゅっと握った。 「要」 「あの! セ、セックスは愛情表現のひとつだ。だから、その」 「でも、身体だけじゃないって、あんたに伝えたい」  すげぇ好きで好きで、たまらなく好きで、愛しいんだって。全身使って伝えたい。 「あの……えっと、そしたら」  っていうか、ストール取れば? マジで顔真っ赤だけど。それに、手、離して欲しい。離れんなっつったのは俺だけど、そういうことじゃなくて、本当に襲いそうなんだ。ちゃんと愛しいって思ってることを伝えたいのに。 「そうだ! お迎え!」 「は?」 「お迎えわかりにくいって。それに、俺はホテルに行ったんだぞ!」 「はぁ?」  何を言い出すんだこの人。 「同級生の男とホテルでふたりっきりになったんだ!」  何を言い切ってんだ。 「浮気! するかもしれなかったんだぞ!」  普通、それを俺に言うか? 「だからっ!」 「……」 「だから、叱ってくれ」  真っ赤になってた。エアコンの温風のせいじゃない。首ン所にぐるぐるとストールを巻き付けてるせいじゃない。だって、ほら、目が潤んでる。 「お仕置きして、欲しい」 「……」 「あの、た……高雄?」  上目遣いでこっちを見る要の黒い瞳が濡れていた。 「こ、これ、は、ちゃんとおねだりになってる、のか?」  不安そうに、そして俺のことを欲しいって気持ちをいっぱいに詰め込んだ瞳を見た瞬間、腹の底で煮えてた熱が全身に巡って、俺の指先はこの人を抱き締めるためにしか動かなくなった。

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