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最終話 もう、すっごく好きです。

 家で自炊とかめったにしない。ひとり暮らしの男できっちり自炊してる奴のほうがきっと珍しいだろ。でも、食べる人がいると、料理そのものが楽しくなるんだな。 「え! 高雄!」 「……はよ。朝飯……っつうか、すげぇ寝癖」  それとすげぇ、キスマーク。俺が全部つけたんだよな? 昨日、この人を裸に剥いた時にはたしかにひとつもそんなものはなかったはずだけど、あまりにも点々と数え切れないほど残ってるから、あのクソ同級生にいくつかつけられたんじゃないかって思えてきた。  そのくらい、この人の肌にはたんまり俺のだっていう印がくっついている。 「ご、ごめん!」  そして、思いっきり寝坊した要の頭には、話す度に、何か妖気を感知したように立ち上がった髪が揺れていた。ほら、ぴょんぴょん揺れて、要の慌てっぷりを表現してくれてる。 「いいって、俺もさっき起きた、はよ」  その寝癖にもおはようの挨拶をキスでして、ベッドの端に腰を下ろす。要は顔を真っ赤にしながら、俺がキスした頭のところを手で撫でて、跳ねた髪に触れて驚いて、何度もそこを撫で付けては、めげずに立ち上がる自分の髪に溜め息を溢してた。 「朝飯、食うだろ?」  朝飯、あんまり料理はしたことがないからたいしたものは作れないけど、米に納豆と、あと、味噌汁があれば、まぁ上出来だろ? でも、要は悲しそうな顔をしてた。どうした? って、頬を指でくすぐると、目まで潤ませてる。 「だって、高雄が言ってただろう? 俺の手料理食べたいって。作る気満々で寝たのに」  あぁ、そんなこと言ったっけ。 「いいよ、気にすんな」 「俺が気にするんだ」 「なんで、別にあれは……でも、あの時そう言ったのは」 「わかってる」  決して要を彼女、というか女の代用だと思って言ったわけじゃない。ただ、要の作った飯とか食べられたら最高だなって。そう、最高だって思った。  俺の言いたいことはちゃんとわかってるって深く頷いて、でも、まだ不服そうに眉を寄せていた。 「高雄の望むことは全部叶えたいって思ったんだ」 「……」 「好きなんだから、当然だろ?」  ここは独身者用のアパートで二人暮しは無理。要の住まいも、きっと誰かと一緒に暮らすなんて想像したこともないんだろう、手狭でふたりで暮らすには狭すぎた。だから、これから、さ。 「マジで、叶えてくれる?」 「? もちろん! 何かあるのか?」  肌にキスマーク散らして、むき出しの白い肌はカーテン越しに差し込む光に照らされて、なんか眩しい。昨日、散々抱いて、すげぇ恥ずかしい格好だってさせたりしたはずなのに、それでも、なんか直視すると心臓がバクつきそうだ。でも、一番眩しいのは、真っ直ぐに無邪気に向けられるこの人の瞳だ。  俺しか映さない、綺麗に光り輝く星みたいな瞳。それを一生見つめたいと願った。一生、この瞳に自分が写っていたらって望んだ。 「高雄! なんだ?」 「なら、俺の願いひとつ叶えて欲しいんだけど」 「だから! なんなんだ!」 「一緒に暮らそう」 「はぃ…………え?」  ずっと、この人を独り占めしていたいと思った。俺の全てをその代わりにこの人に差し出すから、あんたの全部が欲しいんだ。 「どっちの部屋も狭いだろ? だから、今度、デート兼ねて不動産屋めぐり、を……って、おい、ちょ、なんで」 「っ」  なんで、泣いてんだよ。 「だ、って」  柔らかな日差しは部屋いっぱいに入り込んで、要の目元にある涙の雫を光り輝く宝石みたいに……いや、宝石よりも綺麗だった。要の吐息と一緒に揺れて、光がその度に睫毛のところで輝くから、手で触れて拭うのすらためらわれる。あまりに綺麗でそのままそっと飾っておきたいとかけっこうマジで思うくらい。 「要、叶えてくれんだろ?」 「い、いいのか? その、ずっと、一緒にいても」 「逆だっつうの。あんたのこと、俺が独り占めしていいのか?」 「もちろんだっ!」  ぜひとも! みたいな感じででっかい声で、前のめりで返事をしたら、要の髪も一緒になって飛び上がって揺れて、踊った。 「独り占め、して、欲しい」 「いいの? 俺、あんたのことに関してだけは、けっこうガキだけど」  ヤキモチは通常仕様だし、独占欲すげぇし、それに、何より、たぶん、隠さない。俺はあんたとのこと、これからずっと、周囲がどんな反応を返してこようが隠さないぞ。ノンケだからとか完全無視して、あんたのことを普通に好きでいる。 「平気」 「要?」  ベッドに座る俺の指に要の指先が触れる。絡まって、きゅっと握り締められて、心まで一緒になって掴まった。 「俺も、高雄のこと、独り占めしたい、から」 「……」 「高雄は俺の、人、だから」  そう囁いて、涙で濡れた睫毛を伏せて、俺を引き寄せる。ふわりと、柔らかく、触れた唇は甘い甘いごちそうだ。 「でも、も、申し訳ないんだが」 「何? 何か問題が?」 「ある」  なんだよ。まだ部屋も探してねぇのに、なんの問題が。 「その、服を着てくれ。下だけじゃなくて、上も、じゃないと、ドキドキして、その」 「……」 「ムラムラしてしまうから」  そりゃ、たしかに問題だ。そう言って笑いながら押し倒して、布団がふわりと俺たちを包み込んだ。 「おい! 高雄! ちょ、おいってば! 朝食!」 「あぁ、あとでな」 「ちょ! 高雄が作ったんだぞ! 食べ、たいっ!」  それを作った本人はあんたのことが食べたいんだよって、キスして齧り付いたら、腕の中の要がキスも欲しいし、朝食も食べたいし、でも、やっぱりキスも……って、すっげぇ困った顔をしていて、それがたまらなく可愛くて仕方なくて、キスだけじゃ終わらないかもって思った。 「高雄……好き」  たぶん、もっと俺が欲しいって、要も、そう思ってた。 「や、こっちは無理だろ。俺はさっきのほうが家賃的にも」 「でも、こっちのほうがお風呂が広いじゃないか」 「風呂基準? っつうか、何? 風呂、そんなに広いほうがいい?」 「べっ! 別に! ふたりで入るにはそのくらいあったほうがいいって思っただけだ!」  たまに、たまに思うけど、要ってたまにバカ、だよな。 「あのぉ、私たち、お邪魔なので、お昼、行ってきます」  ここ、職場ね。昼休憩に入ってすぐ、ふたりで新居探ししてた。要のデスクにカタログ広げて、ずっとこんな感じ。 「あぁ、行ってらっしゃい」  キリッと、「鬼の花織課長」っぽく答えてはいるけど、別にもう、ビビられてない。っていうか、本人は無自覚なんだろうけど、荒井さんたち、あんたのこと「可愛い人」って思ってるからな。  今もきっと外で、あの花織課長の彼シャツ生足って絶対すごいよねとか話してる。っつうか、普通間違えないだろ。  キリッと凛々しい横顔、真面目でしっかり者の課長が部下の外出を見送る図、だけど、今日は少しその襟元に隙がある。俺のシャツだからだ。一応、腕のところはバンドで留めたりしてはみたものの、それでもでかいことに変わりはなくて、観察眼のするどい荒井さんには朝一番にもう見破られてた。 ――あ、あの、あれ、あのシャツって。  あぁ、俺の。って答えたら、声にならない悲鳴を上げてたっけ。仕方ねぇじゃん。昨日はうちにお泊りで、着替えのシャツねぇのも忘れて、シャツを盛大にアレで汚したんだから。  だから、ほら、本当にもうそろそろ新居決めないとだろ。着替えのことも気にしなくてよくなるし、いつでもあんたのことを見てられる。 「高雄、やっぱり、こっちのほうがいい、かもしれない」  もうすっかり公認だ。あの、元営業課長は社内の機密を外部に漏らしたと知られてしまった。クビ、だろうなって思ったけど、要がそれを引き止めた。仕事は、あのクソ同級生が社長をしているクソでかい会社との新規取引は成立した。もちろん、営業担当は要じゃない。担当は山下がなった。新人山下はその瞬間、泡吹きそうなくらい青ざめたけど、でも、今のところ仕事は順調。そりゃそうだよな。あの「鬼の花織課長」が指導してんだから。  そして、クビ寸前にまで追い込まれた元営業課長はというと、今も窓際で一生懸命に働いている。  何も不利益はないのだから、彼がやめる必要はない。それどころか、まだ課長職に慣れてない自分にきっとたくさんアドバイスをくれるだろうから、どうか、って頼んでクビをやめてもらった。  天使か、あんたは。  あんなに嫌がらせされたくせに。どうして、そんなに優しいんだよ。妬くぞ、マジで。あの元課長相手にヤキモチやくからな。 「は? なんで? 風呂でかいほうがいいんだろ?」 「……だって」  ホント、あんたって。 「だって、そしたら、お風呂場でたくさん抱き合えるだろう?」 「……」 「ン……高雄」  あんたって、俺のツボを押すのが上手い。一瞬で虜だっつうの。 「あ、ちょ、これ以上は」 「は? 職場でエロ動画見てた奴がよく言うな」 「あ! あれは!」  真っ赤になって、怒って、むくれて、でも、ほら。 「でも、誰もいないから、高雄」 「?」 「キス、しよう?」  こうやって可愛くて綺麗で、たまらなく愛しいことばっかするから。 「んで? 新居。どうすんだ?」  キスも、好きも、全部止められない。この男で、年上の上司のことが好きで、好きでたまらない。  花織課長のデスクからは甘い甘いキスの音が響いてた。

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