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三章 優劣と陥落 2
その言葉通り、マコトは数分も経たないうちに戻ってきた。その手にはハンマーが握られている。
どうするつもりだとは聞けなかった。今までのマコトの言動から見ても、そのハンマーで自分を殴り殺す可能性は目に見えていた。身動きの取れない今の状態なら、容易な事だろう。
「え? これで殴られると思った?」
「……っ」
タクミはマコトから目を逸らせられない。ハンマーを手にしたまま、じわりじわりと距離を縮めてくる。タクミはベッドを背に、床にへたり込んでしまった。怯えるタクミを見て気分を良くしたのか、マコトは饒舌になった。
「俺が兄さんを殺すはずないだろ? 愛しい兄さんに、そんな事する訳ないじゃないか」
「……」
「あぁ、これ? これはね、別の物を壊すの。目の前でやってあげるから、よく見ててね」
そう言うとマコトは、ポケットから小さな鍵を取り出し、床の上に置いた。ちょうどタクミの目の前である。それが何の鍵なのか、薄々見当がついてしまった。
「これはね、首輪と鎖を繋ぐ南京錠の鍵だよ。これが無いと鎖を引き千切るか、首を切るかしないと絶対に逃げられない。あ、首切ったら死んじゃうじゃん。俺って馬鹿だね」
クツクツと笑いながら、マコトはしゃがみこみ、右手に持ったハンマーを大きく振り下ろした。ガンッと耳障りな音がする。
「ひっ!」
「……あれ、失敗したかな?」
ハンマーは鍵ではなく、床に振り下ろされた。マコトは何度も何度もハンマーを床に叩きつける。近くにいるタクミは、いつ自分に振り下ろされるかと思うと、恐怖で動けなくなっていた。
ガンッ、ガンッ、ガンッ、ガンッ、メキッ…。
マコトの口角が吊り上がる。
「これで逃げられないね」
マコトはハンマーを手にゆっくりと立ち上がり、真下でへたり込むタクミを見下ろした。
「ベッドに戻って」
「……」
タクミは未だに動けない。マコトは表情を変えずに、横の壁をハンマーで殴りつけた。
ガンッ!
「ベッドに戻って」
タクミは後退りしながら、何とかベッドによじ登った。
「鎖が短くて不便かな? でも安心して。トイレや風呂の時は、ベッドから鎖を外してあげる」
マコトはベッドの足に巻きつけられた鎖を指し、続ける。
「先に言っておくけど、また逃げだそうとしたら、兄さんの身体潰すから。これで」
右手に掲げたハンマーを、タクミに突きつけてくる。
「あぁ、それとも今から両足潰そうか。それなら首輪の鎖外してあげるよ。どうする兄さん?」
逆らえるはずもなかった。足を潰されたら、この先どうやって生きていけばいいんだ。いや、すでにこの男に囚われた時点で、人生終わったようなものだが。それでも痛い思いをするのは嫌だった。
「……逃げない」
「そうか。俺のプレゼント、気に入ってくれたみたいだね」
マコトは空いている手で首輪を撫でながら言った。
「じゃあ遅くなったけど、朝ご飯にしよう。今はまだレトルトだけど、これから俺、料理の勉強頑張るから。いつか兄さんに美味しいって言ってもらえるように努力するよ」
聞きもしない事をベラベラと喋って、マコトは出て行った。ようやくタクミは全身の力を抜き、ベッドに横たわる。
今頃気づいたが、自分は服を着ていた。ご丁寧に余った袖や裾が折り曲げられている。完全にマコトの物だ。今すぐ脱ぎ捨ててやりたいが、服がないという状況は、やはり厳しい。短い間我慢するだけだ。タクミはシーツに潜り込み、堅く目を閉じた。
マコトは自室に戻りハンマーを工具箱に片付けた。工具箱にはレンチ、ノコギリ、スパナなどが入っている。これらの用途は、もちろんタクミを痛みつける為である。これ以上反抗するなら、多少傷つけても良いだろう。
タクミの監禁部屋とは別のこの部屋を、マコトは寝床にしている。この場所も首輪や鎖などの道具も、全てあの人が用意してくれた。おかげで兄を閉じ込めておける。
「次は何をプレゼントしようかな」
兄の喜ぶ顔がもっと見たい。兄の泣く顔がもっと見たい。どんな感情でも良い。嫌われようが、憎まれようが、タクミに想ってもらえるだけで、マコトは幸せだった。
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