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四章 憎悪と破壊願望 5
季節は巡り春になった。大学受験に失敗し浪人生になったマコトは、何にも縛られない自由を手に入れた。家族ももう自分に干渉しない。今なら兄の行方を探せる。
マコトはタクミが通う大学の周辺に何度も足を運び、その姿を探した。毎日のように通い続け、ようやく半月後にタクミを見つけた。不真面目な兄は、やはりまともに大学に通っていなかった。そのせいで見つけ出すのに時間が掛かってしまった。
半年ぶりに見た兄の姿は、最後に見た時よりも生き生きとしていた。周りの友人たちと楽しそうに話すその姿に、マコトは唇を噛み締めた。自分の苦しみをまるで知らないその笑顔が心底憎かった。
自分と同じ、いやそれ以上の苦しみを与えてやらないと気が済まなかった。
――お前の全てを壊してやる……。
マコトはついに行動に出た。住んでいる場所、働いているバイト先。さらには兄の交友関係、付き合っている彼女の家まで、マコトは調べ上げた。
そして今マコトは、兄の彼女の家の近くに身を潜めている。タクミがここに来てから、そろそろ三時間。時刻は深夜十二時を過ぎていた。ポケットに忍ばせたカッターナイフを弄びながら、マコトは兄が出てくるのを待っていた。もちろん殺す気など、さらさらない。ちょっと傷つけてやろうと思っているだけだ。
タクミが自分を受け入れてくれるなら、使う予定はない。でももし拒絶されたら。
このままいけば、兄とは半年ぶりの再会になる。タクミは自分を嫌っているかもしれない。でも今のマコトの現状を知れば、少しは同情してくれるのではないか。
マコトはタクミに頑張ったなと言ってほしかった。
それからしばらく経って、タクミが出てきた。マコトは物陰から様子を伺う。今がチャンスだと思った。しかしタクミは女と一緒に出てきたのだ。女はまだ帰ってほしくないのか、玄関前で兄に抱きついた。
マコトは女に対して、一瞬で殺意を抱いた。タクミもそれに応えるように抱き返し、何度も口づけを交わした。
――もう殺すしかない。タクミも女も殺してやる……っ。
マコトがカッターナイフを取り出し、刃を伸ばしたその時だった。
「やめておけ」
突然囁かれた声に驚いて振り返ろうとする前に、右手を捕まれその刃を首筋に添えられた。刃先が僅かに皮膚に食い込んで、鋭い痛みが走った。マコトは自分の身に何が起きたのか分からなかった。
「場所を変えよう」
声や体格からして、背後にいるのは年上の男だ。男はマコトを連れ、彼の車へといざなった。黒塗りの高級車だ。マコトに抵抗する気はなかった。下手に騒いだら殺されると思ったからだ。
男はマコトを助手席に乗せ、自分は運転席に乗り込み、エンジンを掛けた。兄と女の姿が遠ざかる。マコトは男の姿を見た。男は黒のスーツを着ていた。鋭い双眸といい醸し出す雰囲気といい、あきらかにカタギの人間ではなかった。
「……あなたは?」
マコトは沈黙に耐えきれずに男に尋ねた。
「高崎だ」
男は前を見たまま短く答えた。
マコトと高崎が出会ったこの時から、全ての歯車が動き出したのである。
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