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六章 深海と幻影 2
「兄さん、背中向けて両手を後ろに回してよ」
「……もう止めてくれ」
タクミはずるずると壁際まで追い詰められる。
「何でこんな所に逃げたの? 袋の鼠じゃん。どうせ逃げるなら、ほら、出口の方へ行けばよかったのに」
マコトは手錠の鎖をカチャカチャと鳴らしながら、また一歩距離を詰める。その眼はタクミを捉えたまま離さない。ひどく不気味だ。
「それともさ、風呂場で死ぬつもりだった?」
それは違う。死ぬ気なんかない。でも何故出口ではなくバスルームに逃げ込んだのだろう。タクミは自分のことも分からなくなっていた。
「風呂場だとベタに手首切って失血死? それとも俺が持ってるノコギリとかハンマーとかで兄さんの身体をぐっちゃぐちゃにしようか! きっと楽しいよ」
マコトはいつになく楽しそうだ。しかし自分はといえば、どこか他人事のようにマコトの言葉を聞き流している。諦めたくはない。だが限界が近いのもまた事実だった。
「あ、そうだ! まずは身体をキレイにしなくちゃね」
そう言ってマコトはタクミの身体を反し、両腕を後ろでねじ上げる。引きつる痛みにわずかに声が漏れた。
「手錠ってはめるのは面倒だけど、はめちゃえば後は楽だよね。もっと早く使えばよかった」
タクミの両手首に手錠をかけながらマコトは楽しそうに語った。だが次に続く言葉には、さすがのタクミも驚いた。
「じゃあ兄さん。今から俺が殺してあげる」
「……え?」
聞き間違いかと思った。長い間監禁され続けて、すっかりおかしくなってしまった耳が捉えた幻聴なのかもしれない。よりにもよってあの弟が。確かにひどく憎まれている自覚はある。殺してやりたいと言われたこともある。だからと言って、実際にやるかと言われたら、そうではないだろう。
だが背後から抱きついてきた当の本人は、タクミの項に鼻を寄せスンスンと匂いを嗅ぎながら言った。
「聞き取れなかった? 今から殺してやるよ」
「嘘だろ……?」
「嘘?」
タクミはマコトを刺激しないように落ち着いた声で聞き返した。今マコトを怒らせたら本当に殺されてしまう。言葉選びもより慎重になった。
「さっき高崎さんに俺が死ぬって言われた時、お前ものすごくショックを受けてたじゃないか。俺のことが憎いのは分かってるけど、人殺しにはなりたくないだろう?」
「はっ! それでも説得してるつもり? 俺の地雷踏みまくってるよ」
マコトはタクミの身体を引きずりながら浴槽の近くまで移動する。そこで一度タクミを横たわらせ自身のベルトを引き抜いた。
「まずは下準備からだね」
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