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六章 深海と幻影 4

 マコトはタクミの髪を掴み冷たい水の中から引き上げた。タクミはゲホゲホと荒い咳を吐き呼吸を取り戻した。  その光景を見ていたマコトの心の中にわずかに罪悪感が生まれた。本当はここまでするつもりではなかった。今までにない兄の行動に戸惑い、打つ手を間違えたのだとも思った。 「ごめん兄さん……でも、これもお仕置きだよ?」  ようやく呼吸が落ち着いてきた兄は掠れた声で「もうどうなってもいい」と吐き捨てた。当然マコトが聞き逃すはずもない。 「は?」 「お前の好きにすればいいだろ……」  その投げやりな態度が、絶望に飲み込まれたような瞳が、言動が、マコトの怒りをさらに助長した。 「じゃあ好きにさせてもらうね」  マコトは身を乗り出し浴槽の淵に膝を乗せると、タクミの髪を掴んだまま勢いよく水に沈めた。拘束しておいたおかげで兄からの抵抗はほとんど感じない。タクミは掴まれた髪を振り乱して、何とか逃れようとしている。  やがてそれすらも弱まってきた時に、マコトはタクミを引き上げさらに言い寄った。 「俺のこと好き?」  ずっと聞きたかったけど、怖くて聞けなかった。 「俺のこと愛してる? 兄弟としてじゃなくて、一人の男として…」  もっと俺に頼ってくれ。今の状況から助けられるのは俺だけなんだ。マコトは心の底から願った。 「……答えてよ」  頭髪を掴む手に力が籠る。兄の返答が怖い。でもこのまま兄を死なせるわけにもいかなかった。 「タクミ……」  三文字の呟きにはマコトがこれまで生きてきた十九年分の思いの丈が全て詰まっていた。

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