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二章 優等生と脱落者 1

 ベッドから飛び起きたタクミは周りを見渡し、安堵の息をついた。大丈夫。ここは間違いなく自分の部屋だ。額に浮いた汗をぬぐい、タクミはベッドから抜け出した。  今でもあの夜の記憶が忘れられない。実の弟であるマコトに犯されたのだ。途中で意識を飛ばしてしまったため、どこまでされたのか、わからないし、知りたくもない。  翌朝タクミは必要最低限の荷物を持って、マコトの隙を見て逃げ出した。その日は友人の家に転がりこみ、次の日からは実家に寄りつかないように、あらゆる家を渡り歩いた。逃亡してからの数日、タクミはマコトの影を恐れ、ビクつきながら過ごした。唯一外出するのは大学に行くときだけだが、慣れた学内でもタクミは警戒を怠らなかった。  しかし予想に反して、マコトからの接触は皆無であった。  一ヶ月が経っても周りに変化はなく、正直タクミは拍子抜けした。安心したタクミは彼女の家に寝泊まりしつつ、新しいアルバイトを始めた。実家からも離れていたし、時間帯も深夜のものを選んだから、マコトに知られる心配はない。  それから半年が経った現在、タクミは大学三年生になり、友人たちと自由気ままに過ごしていた。アルバイトが休みのときは大勢の友人と共に朝方まで飲むことも少なくなかった。アルバイト先の人間関係も良好で、最年少のタクミはいつも可愛がってもらえた。  楽しい毎日に陰りが見え始めたのは、彼女と別れた頃だった。順調に付き合っていたはずなのに、彼女が一方的に別れを告げてきたのだ。納得できないタクミは理由を尋ねたが、彼女は「別れて」としか言わず、しまいには頭を下げ泣き始めた。そんな彼女を見ていられずに、タクミは別れを受け入れた。  それから彼女の家を出て、小さなアパートでひとり暮らしを始めた。アルバイトで稼いだ金はけして多くはなく厳しい生活だったが、実家にだけは頼りたくなかった。  だが彼女との別れは、これからタクミの身に起こる不可解な出来事の、ほんのきっかけに過ぎなかったのである。

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