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Eremurus
有仁を見て、次いで前方へと視線を向ける。
人々が行き交い、つい先程までと何ら変わらぬ光景が広がっており、すでに白銀は夜陰に紛れている。
悪い夢であったかのように、薄ら寒い感覚だけを背筋に残して、ざわめきを聞きながら立ち尽くす。
冷や汗が出そうで、意外とすぐに立ち去ってくれたまでは良かったものの、不穏な台詞を残されている。
自然と険しい顔付きになり、有仁ならまだしもナキツの前では分が悪く、何となく隣を見れないでいる。
あえて含む言い方をし、面倒事を招くような振る舞いをする漸に腹を立てるも、何も先日の件を指しているわけではない。
勝手に連想してしまうけれど、押し留めようと躍起になるけれど、言わんとしている事がそれと決まったわけではない。
それなのに頭が、止めようと抗えども逢瀬の数々を引き摺り出し、嘲笑うかの如くまざまざと過ちを見せ付けてくる。
揺さぶられれば思う壺だ、と目蓋を下ろして息を洩らし、人知れず心を落ち着かせようとする。
ナキツに向け、動揺を誘っているかのようで実際には、此方の反応を窺うべく紡がれた言葉であった。
だからこそ、感情の機微を露にしてはならないというのに、一体どのようにしていれば正解なのかも分からず、暫くはだんまりを決め込んで佇んでいた。
「な~んか、すっかり白けちゃったっすよねえ」
結局何だったんすか、と続けて有仁が前に立ち、振り向いて双方を見る。
「気にすんな。取り合うだけ無駄だ。いちいち聞く耳持ってたら身がもたねえぞ」
「ま、そうっすよねえ。アイツ嘘つきだし~!」
「そういう事だ。今のところは大人しくしてるみてえだし、もう少し泳がせておく」
「叩くのも骨が折れるっすからね~! ああいう手合い相手にするにはうちもそれなり準備しねえとだし!」
「ああ。だから……、今夜はこれで終わりだ」
「じゃあ心置きなく飲みに行けるっすね!」
「ハァ? なんでそうなるんだよ」
「いいじゃないすか~! 夜はまだまだこれからっすよ~! 俺まだ真宮さんと離れたくないっす!」
「ガキかよ、お前は! ああもう、引っ付くな!」
犬の耳と尻尾が見えるようで、切り替えの早い有仁は大喜びでまとわりつき、腕を掴んで離さない。
思わず助けを求め、ついいつものようにナキツへ視線を向けてしまうも、気付いた時にはもう遅い。
「ナキツ……? どうした」
戯れに目もくれず、伏し目がちに何事か考えている様子でじっとしており、控え目に声を掛ける。
すると視線を向けられ、それでも暫くは語らずに見つめられ、たったそれだけであるというのに居心地が悪くて言葉に詰まる。
「何か……、何処か入るか。とりあえず」
なんて視線を逸らし、ぎこちなく紡ぎながら提案すれば、有仁が待ってましたとばかりに食い付く。
「お前も来るよな。ナキツ」
上擦っていないだろうか、と努めて平静を装いながら同意を求めれば、ナキツと視線がかち合う。
何となくまだ、彼を引き留めておきたい。
余計な詮索をされぬよう、考えられぬよう、意識を逸らしてしまいたい。
「はい。もちろん」
気休めに過ぎないと分かっていても、己の意識も出来るだけ切り離したくて、有仁に手を引かれてゆっくりと歩き始める。
穏やかな笑みで、快く承諾してくれたナキツも程無くして踏み出し、やがてまた傍らへと並ぶ。
「何にしようかな~。あ、そういえば近くにパフェ食えるとこあるっすよ!」
「ねえよ」
「なんで!? 美味しいっすよ!?」
「なんでラーメン食ってパフェ食わなきゃなんねえんだよ」
「いいじゃないすかシメに!」
「シメられねえだろ、とてもじゃねえけど」
「大丈夫っすよ! なんならコーヒーもあるし! 真宮さんの大好きな!」
「あのな……、俺は別にコーヒーがスゲエ好きってわけじゃねえからな……? お前が毎回引っ張り込むところには他にこれといって頼みたいもんが」
「あ! あそこっすよ、真宮さん! ほら!」
「聞けよ、少しくらい。そして何か言え」
すっかりいつもの調子であり、ぐいぐいと腕を引っ張る有仁に溜め息をつきながら、傍らへ視線を向けてナキツの様子を窺う。
微笑を湛える彼とすぐにも目が合い、笑い掛けられて笑みを返すも、特に交わされる言葉はない。
再び有仁へと顔を向け、強引な振る舞いに嫌気が差すも、それでも今夜はそんな飛び抜けた明るさに救われている自分もいる。
気付かぬところで、ナキツから静かに視線を向けられ、何を言うでもなく言動を観察されている事は知る由もない。
隣でずっと見てきた彼が、些細な変化に気付かぬはずもなく、不自然さを察していながら歩調を合わせて時おり会話に混ざる。
だからといって、ナキツの脳裏にはまだもやが掛かっており、白銀の言動だけに踊らせれてはいけないとも感じている。
けれども気掛かりな想いは拭えず、表面上は何事もなく接しつつも、僅かな綻びが消えることはなかった。
「ん~、何食べようかなあ。超迷うっす……」
「誰も行くなんて言ってねえぞ」
「行くしかないっすよ、真宮さん!」
「お前一人で行け」
「ちょ、なんですか~! どっか入るかって言ってくれたじゃないすか、さっき~! 嘘ついたんすか~!?」
「まさかこんな時までそんなもん食いたいとは思わなくてな」
「まだまだ俺のこと理解出来てないっすね!」
「そうだなあ、理解出来なくても困んねえよ別に」
「ああ痛い痛い痛い痛い! 横暴! 人でなし! 善良な青少年すよ~!」
慣れ親しんだ流れとなり、腕を捻れば痛い痛いと大騒ぎしながらも好き勝手に言い、見掛け程ダメージを負っているように見えない。
それでも心の何処かでは、見せ掛けでも日常が流れていることに安堵し、白銀の影を追いやって彼等と笑い合う。
後ろ暗い事と分かっていながらもどうして顔を合わせ、最後にはその手に触れてしまうのだろう。
考えても分からず、意味がなく、ただこれまで同様に時間だけが過ぎていく。
離れなければ、拒まなければ、元より潰してしまわなければと分かっているのにもう何度、互いにしか残らない記憶があるだろう。
傍らからの疑念が深まるも、何もかもを包み込んで夜は更け、一見すると穏やかな時が紡がれていく。
けれども白銀の記憶は居座り、いい加減手を切らなければいけないと思いつつ、共に時を過ごすナキツの中でも、あるべき穏和な日常が少しずつ変質していくのであった。
【END】
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