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第43話

「泉くん、こっちこっち!」  おーい、と手を振る涼介にきょろきょろしていた泉は一瞬ほっとして、同時に動きを止めて、深呼吸ひとつしてから涼介のもとへ駆け寄った。 「お疲れ様です」 「お疲れ様ですー」  仕事帰りの7時半、金曜。週末を迎える夜の街は賑やかだ。  顔を合わせた二人は定型句のように軽く頭を下げあった。若干いやかなり緊張気味の泉に対して涼介は気負った様子もなくいつも通りだ。 涼介も当然仕事帰り。暑いだろうにきちんとスーツを着込んでいる。 あの日以来ぶりに会う涼介に泉は落ち着きなく視線をさまよわせた。  タイミングが合わなかっただけなんだろう。泉が休みの日に涼介が店へ来ることが多く今日まで直接顔を合わせることはなかった。ただメールでのやり取りは数日おきにはあったし、電話で喋ったこともあった。  あの夜のことはとくに話題にはならず、二日前の水曜電話で話したときに今週末の予定を聞かれたのだ。  ご飯食べに行こう、楽しいところ連れて行ってあげる、と。  どこへ行くんだろう。多少の不安はありつつ、いつひまかと聞かれれば嘘はつけない泉だから金曜は早出で土曜が休みだということを素直に伝えて今日になったわけである。  一貴から食事に誘われて浮かれていたのに結局その件についての話は進まず、こうして涼介との食事の日が来てしまった。 「久しぶりー。二週間ぶりだよね。タイミング悪かったのかなー、いついっても泉くん休みなんだもんなー」  営業スマイルではないとはわかる屈託のない笑顔を向けてくる涼介に泉は若干ひきつった笑みを浮かべた。 「そ、そうですね……」  別に涼介に会うのが嫌なわけでも、嫌いになったわけでもない。単純に恋人関係でもないのに関係を持ってしまった相手とのその後の付き合い方――が泉にわかるはずもないしハードルが高すぎるのだ。  平静に、緊張せずに。  と、自己暗示しながらもどうしても涼介の顔を直視できずに挙動不審になってしまう。  ぎこちない泉に涼介が楽しそうにくすくす笑って、こっち、と歩き出した。  そのあとを二歩ほどあけて着いていくと、可笑しそうに振り返られたので慌てて横に並んだ。 「え、っと、どこに行くんですか?」 「俺の行きつけのバーがあるんだけど、そこ料理もめっちゃ美味しいんだ。そこ行っていい?」 「は、はい」  泉が普段行くところはファミレスか格安チェーンの居酒屋くらいだ。バーという名のつく店に行ったのは片手で数えるくらい。涼介の行きつけのバーならおしゃれなところなんだろうか。異論などもとよりなく泉は大人しく頷いた。 「パスタとねグラタンが融合したパスタグラタンがめっちゃうまいの。マスターのお手製ミートソースがうまくってさー。チーズがたっぷり乗っててね」  道行がてら涼介がそのバーおススメの料理について話してくれる。行ったことも食べたこともないのに涼介が話上手なせいか頭の中であつあつのミートソースとたっぷりチーズがのったパスタがオーブンで焼かれて美味しそうな匂いを漂わせているのが想像できてしまう。 「あとね、アヒージョもうまくってさー」  時折こっちだよー、と道順を教えてくれながらも涼介の話題はいまから行く店の料理のことばかり。仕事終わりの泉の食欲を煽るのは当然で空腹が急激に増すのを感じてお腹をさりげなく擦る。 「それとねー」  涼介と今日会って、どんな態度を取ればいいんだろうか。  一昨日約束してから一気にまた涼介のことで頭を悩ませていたが、拍子抜けするくらいにいつもと変わらない涼介に肩の力が抜けていく。 「すっげぇうまい店なんだけど、なかなか紹介できるところじゃないからさ」  完全に緊張が解けたわけじゃないが、それでも気分が落ち着いてきたころ涼介がため息混じりに言った。  紹介できるようなところじゃない?  疑問に思ったところで涼介の足が止まった。飲み屋街のよくある雑居ビル。少しぼろいビルを見上げて、青い看板を指さした。 「ここ、このビルの四階。さ、行こう。すっごい腹減ってるんだよね」  数段の階段を上り、5人ほどで窮屈さを感じそうなエレベーターへ涼介が乗る。それに続いて、泉はどんな店なんだろうと少しドキドキしはじめたのだった。

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