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第44話
エレベーターが四階へ着き、下りればすぐにドアがあった。黒いドアに白字でBar Knockingと書かれている。
涼介は店名にあるようにノックをしてからドアを開けた。こじんまりした店のカウンターの中、その壁一面にずらりと酒が並んでいる。同じように向かいの壁側も一面棚になっていていろんな種類の酒が並んでいた。
「よお、涼介」
「ども」
木のカウンターはこげ茶で、カウンターにいる黒のシャツを着た30代前半くらいの短髪の男性が気安い口調で涼介に声をかける。
カウンターにある椅子は6つ。奥の小さな窓際にボックス席が一つあって、その傍にダーツが設置されていた。店内に流れるのは泉にはあまり馴染みがない洋楽だった。客はいなかった。
涼介がスツールに腰掛け、「座って」と促される。マスターの視線を感じながら涼介のとなりに座った。
「いらっしゃい」
マスターは男らしい精悍な容貌をしていて、にこりと笑うと泉へとおしぼりをわたしてきた。
「ありがとうございます」
ひんやりとしたおしぼりが気持ちいい。涼介も渡されていて手を拭きながら「とりあえずビール」と注文していた。そしてすぐに泉を見て、「なんにする?」と訊いてくる。
「あ、えっと、俺もビールで」
「了解」
すぐにマスターが笑顔で頷いて動き出す。
その姿を眺めながら、そっと店内に視線を走らせる。様々な種類の酒が並んでいて、泉には初めてみるラベルばかりだ。物珍しさにきょろきょろとしていると涼介に呼びかけられた。
「泉くん、何食べたい?」
ラミネートされたB4サイズの一枚のメニュー表。フードメニューはそんなに多くはない。涼介が言っていたパスタグラタンは書かれていなかった。疑問に思いながら目についたメニューを口にする。
「……オムライス」
「オムライスね。それと、俺のおススメのも一緒頼んで食べよ?」
「は、はい」
「柴さーん、オムライスと、アヒージョ、パスタグラタン、それとソーセージの三種盛~」
涼介が柴という名らしいマスターへと注文していく。マスターはとくにメモを取るでもなく「はいよ」とビールグラスを2つ、そしてピーナッツの入った小皿を泉と涼介の前へ置き頷いた。
「はい、泉くん、かんぱーい! お疲れ様!」
「……お疲れ様です」
ぎこちなくグラスを持ち上げる泉に涼介は元気にグラスをぶつけて、一気に半分ほどビールを飲み干した。
「はー、うまっ」
にこにこしている涼介の隣で泉は一口、二口とゆっくり飲みながらカウンターの中で料理を始めるマスターの姿を眺める。
「柴さんの作る料理めっちゃうまいから期待してね。ね、柴さん」
「まあな」
謙遜するでもなく鍋に火をつけた柴は手際よく玉ねぎを切り出す。涼介とまともに顔を合わせるのが気まずく恥ずかしいせいで柴の様子を見ていたのだが不意に涼介が顔を覗き込んできた。
「泉くーん」
「うわっ……、な、なんですか?」
「さっきから柴さん……マスターのことずっと見てるよね。もしかして泉くんって年上好き?」
グラスに口をつけていた泉はビールを吹き出しそうになって慌てて飲み込みむせてしまう。
「は、は、は?」
突然なにを言い出すんだ。年上好き?
「まぁ柴さんは先輩よりは歳イってるけど」
「ひとをジジイみたいに言うな」
ゲホゲホと咳き込んでいる泉のそばで、
「えーだってもう柴さん四十でしょ?」
「まだ38だよ」
「一緒でしょ」
「お前なぁ」
とふたりのやりとりがポンポンと交わされる。
38歳なのか、と確かに三十代くらいだとは思いはしたが後半には見えない柴をまじまじと見てしまう。途端に目があって、フライパンを軽い手つきで動かしていた柴が片目をつぶってきた。
妙な色気を感じるその仕草に顔が熱くなり目を泳がせる。
「ちょ、柴さんー、泉くんからかったらだめだからねー」
「お前が保護者面か」
「そうだよ。泉くんにちょっかいかけたら志藤さんにチクるからねー」
「はいはい」
会話をしながらも柴の手は休むことなく動いていていい匂いが漂ってきた。ソーセージの焼ける匂い、それにケチャップライスの香りだ。
その匂いに腹の虫が騒ぐのを感じながら、泉は柴から涼介へとそっと視線を向けた。
涼介にとってこの店は本当に馴染みの場所なんだなということがよくわかる。マスターではなく名前で呼んでいるし、もしかしたら店関係なく知人なのかもしれない。
くつろいでいる様子の涼介に泉の緊張も少しづつ解けていった。
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