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第13話

「へ、あぁ、いいですよ、もちろん」 「俺のことは涼介って呼んで。せっかくお互いあんまり人には言えない秘密共有したんだしさ」  秘密ーー。一瞬考えて、すぐに気づく。  そうだ俺が店長を好きなこと知ってるんだ、言ったんだ。  無意識に口元を押さえ、一気に顔が赤くなる。 「そ、そうですね」 「それでさ、泉くん。俺、きのう君の寝顔眺めながら考えてたんだけど」 「寝顔!?」  声を上げると涼介が一歩距離を縮めた。キッチン台に追い込まれるようになった泉。 「泉くんってさ、店長が初恋。でも店長には恋人がいるしそもそもノンケだし望みはないわけだろ?」  その通り。なのだが、わかっていたことでも正直胸が痛む。  涼介から視線を逸らし、そうですね……、とボソボソ泉は呟いた。 「それで泉くんが例えば店長をいずれ諦めたときに、いや諦めなかったとしてもゲイだって自覚した泉くんに変な男が寄ってきたらーー泉くんチョロそうだからあっという間にいいようにされちゃいそうだなって思ってさ」 「……変な男?」 「そ。だって泉くん酔っぱらって寝て、いま俺の家だよ? もし俺が悪いやつだったら泉くん今頃処女喪失してたよ」 「……しょ」  処女ーー。  パクパクと口を開ける泉。二十歳になって情けないが知識はあっても経験は一切ない。友人に誘われてアダルトビデオを見たことはあるがそれは男女のもの。でも――男同士でとなると。 「なんか泉くん、危なっかしい気がするんだよな。変なヤツに引っかかってあっさり食われちゃいそう。危機感全然ないから」  心配なんだよ、と言いながら涼介がまた一歩近づいた。 「先輩のこと健気に好きな泉くんが先輩に振られたときにフラフラーーってさゲイバーなんか行ってあっさり悪い男に持ち帰られて?って簡単に想像つくんだよね」  顎に手をあてその状況を考えているのか涼介が芝居がかったため息をつく。  店長に告白なんてこと絶対にない。  けど――。  泉の中には確かに涼介の考えを全部否定できないものはあった。  一貴がノンケだと仕事上のつながりしかないとわかっていても、会うたびに好きになっていくのがわかっていたから。  これから先、自分が絶対に変わらない、とは経験不足の泉には言い切れない。 「っ、でも、本当に俺店長とどうこうなりたいなんて」  言い訳のように泉は絞り出す。 「でも先輩に恋人いるって知ってショックだっただろ?」 「……」  すぐに切り返され言葉を詰まらせた。  何も言い返すことができずに顔を俯かせた。 「俺が教えてあげよっか?」  身体が触れそうなほどの距離に涼介が迫ってきて、恐る恐る見上げる。  なにを言ってるのかさっぱりわからなくて戸惑う。 「教えるって……なにを?」  もう一度尋ねると涼介はよく職場で見かける非の打ち所がない営業スマイルを浮かべた。 「行っちゃいけないゲイバーとか良心的なところとか。まあまずは実際行ってみたり?」 「……ゲイバー」 「そ。あとはこういう男には気をつけろーとか」 「……あ、あの……ゲイバー俺は行かないでも」 「そう思ってるのはいまはただ先輩のことが好きっていう素直な気持ちだけだからだろ? でもそれもそうそう長く続かないよ。いまは見てるだけでいいなんて思っても一緒に働いてたらもっと欲でてくるよ。先輩って懐に入れた相手には優しいから。泉くん気に入られてるみたいだしね。先輩がノンケだってわかってても希望抱いちゃうかもしれない」  またもや泉は言葉に詰まった。  一貴が優しいのは事実だ。仕事はテキパキとこなし、そしてみんなを気遣ってくれている。 「……あの、涼介さん。確かに……先のことはわからないけど、でも、たぶんなんとかなります。本当に、高望みなんてしないから!」  ごちゃごちゃしたものを振り切るように泉は言い切った。  だけど涼介はまた一歩踏み込んでくる。身体がぶつかって思わず後ずさろうとするがさがりようがない。  シンクの端に手をかけて逃げるように上体をそらせる泉に涼介は笑顔のまま顔を近づけた。 「うん。でもさいろいろ言ったけど、単純に俺、泉くんのこと気に入ったからいろんなこと教えてあげたいんだよね。ゲイ初心者な泉くんに――キスとか、セックスも」  耳に飛び込んだ最後の言葉に泉はフリーズした。  え、いまなんて言った?  「俺いまフリーだし、泉くんだってフリーなんだし、そういう経験もある程度積んでたほうがいいと思うんだよね」  泉の顔に影が落ちる。今日までの人生であり得ないくらいに他人と近づいた距離。  ぎょっとして涼介の肩を両手で押す。 「や、八木さん? えっと、お気遣いはありがとうございます。心配してもらってすごく嬉しいです。でも、あの、大丈夫です!」  誰が誰になにを教えるって?  さすがに泉も今の状況が非常にマズイものだと気付いた。 「泉くん」 「は、はい」 「キス、してみない?」 「……キ……」  涼介の手が肩にあった泉の手を握った。  ひとと手を繋ぐ。それはもう小学校くらいでしか覚えがないような気がする。  指を絡めるように握られて、些細なふれあいなのに気が取られた瞬間。 「目つぶってね」 「……は?」  我に返ったけれどきつく手を握り締められて動揺で動けなくなる。さした影が濃くなって、目を見開く泉。反して目を閉じる涼介。 「ーー」  唇になにかが触れた。なにか。その答えは目の前にある。  1秒、2秒、3秒ーー。  永遠に思えたが、ほんの数秒。スッと涼介が離れた。 「これがキス」  初級のね、と涼介が初めて見る艶のある笑みを浮かべて囁く。  そしてキスより長く沈黙が落ちて、涼介が吹き出した。 「泉くん、息、して?」  ほら、と涼介の指先が泉の唇に触れてくる。その感触にようやく凍り付いていた泉は我に返った。 「っ、あ、あ、あ、あ」  キス、キス、キス。  頭の中でぐるぐる回る単語。たった数秒触れるだけだったがまぎれもないキスだ。  それもファーストキスーー。 「あ、あ、お邪魔しましたぁ!!!」  どうしよう! どうする? キス?  思考回路は壊れてまったく機能しない。  ただパニックになって泉は頭を下げるとドタバタと涼介の部屋を飛び出した。  エレベーターはあったが立ち止まることができず階段でおりていく。  ひどく長く感じる階段をおりて走って走って、転けた。  朝の道路。通学路なのか学生の姿も多い。派手に転けた泉は注目を浴びてうつむいて立ち上がった。  少しだけ意識が現実に戻されてトボトボと歩き始める。  しばらくして泉は足を止め、辺りを見渡した。 「……ここどこ」  泉の弱々しい呟きが見知らぬ街角に小さく響いた。 ***

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