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第15話

 着信を告げるスマホを見て、ふわふわした気分は一瞬で消え去った。  画面に表示された「八木さん」という名前。  すっかり忘れてしまってた、まだ1日もたっていないアノコトがよみがえる。  迷うが無視することはできなくて重いため息をつきつつ電話に出た。 「……もしもし」  緊張してドキドキして声が掠れてしまう。キスくらいで情けない、と気を引き締める泉の耳にいつもと変わらない涼介の明るい声が響いてくる。 「こんばんは、泉くん。いま大丈夫? もう家?」 「……はい」  涼介の声を聞くと朝のことがはっきり思い出される。キッチンで追い込まれるようにキスされた。ほんの数秒のキスだったが泉にとってはファーストキスだ。 「ふふ、なんか警戒されてる声。今朝のこと怒ってる?」  泉の硬い口調など涼介はまったく気にしていないようだ。  パイプベッドにもたれかかり泉は困惑する。 「怒って……は……ないです。ただなんであんなことしたのかって……」 「キスしたかったから」  間髪入れず返され泉は顔が熱くなっていく。むずむずとこそばゆく視線が泳いでしまう。 「なんですか、それ」  電話越しでよかったと思わずにいられない。涼介がいまいたらきっと顔が真っ赤だとからかわれていただろう。  きのうまでは仕事を通じてプライベートでも親しくなれたことが嬉しいだけだったのに。  いまはどう接していいかわからなかった。恋愛経験のない泉は涼介の発言に翻弄されるばかりだ。 「だって本当はさ、きのう飲みにいったときに口説こうと思ってたのに急に寝落ちるんだもんなー泉くん」 「口説っ!?」 「ピュアな泉くんが可愛いから俺がいろいろ教えてあげたくなったんだよね」 「……いろいろって……。キスとか……そういうのは好きなひとと……が」  ピュアって俺のことだろうか、と熱くなる一方の頬を擦って聞こえないように泉はため息を吐き出す。ピュアというより単に生まれてからいままでなにもなかった、というだけだ。 「じゃあ先輩にアプローチする?」 「え、いや、店長はノンケだし……それに」 「恋人もいるし? じゃあ特に問題ないよね」 「えっ?」 「先輩と恋人になりたいとかないんだったら、人生勉強として俺とキスしても問題ないってこと」 「……」  頭の中がこんがらがって泉はもたれかかっていたベッドに向きを変えて突っ伏した。  話が通じない、というより涼介が言っていることがまったく理解できない。 「泉くーん」 「……はい」 「もしかしてドン引きされてる?」  電話越しに笑う声が響いてくる。が、冗談抜きで泉は引き気味だったので返事のしようがなかった。 「ごめんごめん。ちょっといきなりすぎたね。泉くんが可愛いから調子乗っちゃった。ほんとごめんね」 「……はぁ」 「せっかく好感触だった俺のイメージがマイナスなったかな?」 「……マイナス……っていうか……宇宙人と喋ってる気分です」  涼介の会話についていくのが疲れていた泉は思わず本音を漏らした。途端に弾けるように涼介が笑い出す。 「宇宙人かー。だよね。泉くん初恋の真っ最中だもんな。水差してごめんね」  笑いをしずめた声が一転して優しくなった。耳に当てたスマホをぎゅっと握りしめて泉は戸惑う。初めてあったときから気さくで仕事のときは気にかけてくれきのうだって楽しかった。それに同じゲイで――。 「……いえ、大丈夫です。ただ……もうキスとかそういうのは……」  親しくなりたいと思ってもそれは友人としてだ。 「わかった。泉くんがしたくなったらいつでも言って」 「……は?! いや、ならないし!」  もう本当になんなんだこのひと!  流石に呆れてしまっていたらまた楽しそうな笑い声がしてきて脱力してしまう。  なんか憎めないんだよなぁ。  なんてことは涼介本人には言えないが、密かに思いつつ泉もまた小さく笑ってしまった。 「りょーかい。のんびり待ってる。あといつでも相談に乗るから、仕事も恋愛も、ね」 「仕事のほうはよろしくお願いします」 「遠慮しなくていいのに」 「してません」 「はいはい」  しょうがないなぁとでも言うような涼介の口調にそれは俺のセリフなんじゃないか? と泉は少し不満に思う。 「それじゃあまた今度。明後日くらいにはお店に顔を出します。新商品持っていくね」 「あー、はい。よろしくお願いします」  おやすみー、とあっさり電話は切れた。  スマホをベッドに放り出し、泉は床に寝転がった。  大きなため息がもれる。10分ほどの通話だったがひどく疲れた。 「結局俺のファーストキス……奪われ損か……」  キスくらいで……。  そう何度も思ったけれど――。 「ファーストキス……。べつに、どうせ店長とキスできるわけじゃないし!」  声に出して胸にひっそりあったモヤモヤを口に出してみると、部屋に自分ひとりだというのに恥ずかしくて身悶えてしまう。 「あー……。キスしちゃったのか、俺」  キス、キス。  キスくらい――だけど、やっぱりちょっと哀しくて涼介を恨めしく思いつつ、泉はそっと唇に触れキスというものを思い返していた。  もしあれが店長だったら――。  不意に浮かんだ考えに慌てて上半身を起こし、頬を叩いた。 「変な想像しない!」  店長はノンケなんだから!  だけれど一度想像してしまった光景はなかなか頭から離れずバタバタと悶えたのだった。 ***  

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