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第18話
朝から余計なものを見るんじゃなかった。
ロッカーに荷物を置き、エプロンをつけながら泉は憂鬱なため息をつく。ここ数日ですっかりため息の数が多くなっていた。
勤務時間まであと15分ほど。遅番の泉は通勤電車でずっと見ていたブログをまた覗いてしまう。更衣室には泉だけだが念のためにロッカーの中にスマホを置いて画面をのぞき込んでいた。
『まいにちの幸せ』
そんなタイトルのブログだ。更新頻度毎日のブログで――ゲイカップルのものなのだ。
シノブというどうやら高校生らしい男の子が同級生の男の子との交際について綴っている。ふたりでゲームをした、映画に行った、夏はプールに行く。そんな他愛のないことででも読んでるとつい頬が緩んでしまうようなシノブの幸せそうな様子が伝わってくるブログなのだ。
ファーストキスの一件からついつい男同士のことについてスマホで見ていた泉がたまたま辿りついたブログで、興味を引かれたのはシノブは初恋の相手と結ばれてその相手――リョウがノンケだったということだ。もともと腐男子だったシノブが転校生のリョウと出会い親しくなるにつれ好きになっていた。そして相手も、というまるで漫画か小説のようだ。
でも現実だ。たまに顔はもちろん隠してあるが仲の良さがわかるふたりの写真もアップされていてそれがまた可愛らしく――羨ましい。
リョウくんはイケメンで優しくてそんなひととまさか付き合えるなんて。
昨夜見つけたブログに読みハマって、朝方まで記事をさかのぼって読んでしまっていた泉。
寝不足気味だが一年ほど前から始まってるブログはなにせ記事が多く、まだ全部読み切っていない。気になってついつい電車でも、いまもこうして見てしまっている。
「……いいなぁ」
無意識のうちに呟いていて、自分の声に我に返り項垂れる泉。こんなこと――涼介にしられたらきっとからかわれるに違いない。
……一緒に仕事をできるだけで、会えるだけでいいと言っていたのに、もしも、と考えてしまっているのだから。
でもそれもあのキスのせいだよな。と涼介の行動がこんなにも急速にいろいろと想像してしまう原因になったんだ、と泉はひっそり恨めしく思っていた。
考えてもみなかった世界。ため息をまたついて、もう時間だと売り場へと向かった。
売り場に近づくと接客をしている一貴の姿が見えた。手帳コーナーで手帳と、それに合わせてリフィルをいくつか男性客へ勧めているようだった。
男性客へ向けられている笑顔に見惚れつつレジへと入る。
「お疲れ様です」
「お疲れ様~」
レジにいた野口たちに挨拶をし、カウンター内の自分の引き出しに財布やらスマホをしまう。戸口がちょうど届いたらしい商品のチェックをしている。
「早川くんのこれだよ」
泉が発注していた商品が小さめの段ボールに移し替えられ渡された。
「ありがとう」
中身を確認し在庫として商品棚の引き出しへ入れていく。在庫を確認しながら陳列の商品の数が少ないところへ補充していっていると「早川くん」と一貴に声をかけられた。
「お、お疲れ様です」
「お疲れ」
声をかけられただけで緊張してしまう。もう一緒に働きだして二カ月近くたつ。ようやく慣れてきていたのに振り出しにもどった感じだ。いや最初よりもタチが悪いかもしれない。
見てるだけでよかったはずの一貴と、もし、と考えてしまってるのだから。
「きのう、八木が持ってきた新商品だけど」
「あっ、はい、ダメでしたか?」
「いや、そうじゃないよ。話は聞いてたしね。置き場所を変えたっていうだけ。表の平台に置いてる。様子見てあと2セット追加してて」
「は、はい。わかりました」
エプロンのポケットからメモ帳を取り出し書いておく。
「今日は元気?」
「へ?」
「二日酔い」
怪訝に見上げる泉にからかうように一貴が笑う。一瞬呆けてすぐに先日のことを言ってるのだと気付いて大きく首を縦に振った。
「だ、大丈夫です」
「そ。よかった。この前の栄養ドリンク効いただろ?」
「は、はい!」
栄養ドリンクよりも一貴が気にかけてくれたことが一番の薬だったが。
その時のことを思い出し緩みそうになる顔を引き締める。
「そうだ。今度飲みにでも行こうか。翌日休みの日にすれば二日酔いでも平気だろう」
「へっ」
これは誘われてる、のか?
みんなと、かな?
勢いよく頭の中でいろんな思いが渦巻くが身体がまず動いていた。
「はい! ぜひ!!」
大きな声で返事をすると目を丸くした一貴が破顔したあとシッと人差し指を口元にたてる。
「仕事中だから私語で大きな声は禁止」
「す、すみません」
やってしまった。と項垂れる泉の肩を軽く叩いて一貴はレジカウンターへと去って行った。
職場ということを一瞬忘れてしまったことを反省しつつじわじわと嬉しさがこみあげてくる。
もしかしたら社交辞令かもしれないが、そうじゃないかもしれない。
期待するな、と戒めようとしても心は逸って仕事するテンションも自然と上がって、その日1日過ぎるのはあっという間だった。
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