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第26話

「結婚……誰が?」  怪訝な涼介の声に少しだけ視線を上げ、小さく声を出す。 「……店長です」 「え、いつ?」  痛む胸から目を逸らすようにグラスに手を伸ばし残りを一気に飲む。 「……それはわからないですけど、遠距離の恋人がいるんですよね? プロポーズするらしいって噂をこの前聞いて……」  ぼそぼそと言えば、目を点にした涼介が吹き出した。 「なんだ、噂か。そんなの真に受けて落ち込んでるの?」 「真に受けてって、でもずっと付き合ってるって話だしそろそろ結婚考えるのは自然なことだろうし……。それに俺別に落ち込んでなんて……」  涼介は噂だろ、となんでもないことのように言うが、一貴は二十代後半。結婚してもおかしくない年齢なのだ。  そもそも想いが通じるとは、いや、だから……。  目を泳がせ、声を萎ませて、泉は一層項垂れる。 「……ただちょっと」  口ごもると不意に頭を撫でられた。前髪をくしゃくしゃと混ぜるようにし、涼介の手が撫でてくる。 「心配しなくっても大丈夫。みんなそんなもんだよ。好きになって、期待してないっていったっていろいろ夢見ちゃうものなんだって」  ぽんぽん、と優しく頭を叩いて離れていく手を泉はぼんやり眺め何度目かのため息を深くついた。 「……なんか人を好きになるって……大変なんですね……」  好きなだけでいい、それはいまもかわらないのに。  夢を見てしまうものなのだろうか。無意識にでも。 「……叶わないってわかってるのに……凹んで……。しかも……親友に本当のことも話せなかったし……」  こんな話をするつもりなんてなかったのに、勝手に滑り出てくる。自覚がないだけで酔っていたのだろうか。  泉はのろのろと焼酎の瓶を手にすると自分で水割りをつくり始めた。 「本当のことって? 先輩のこと?」 「……そう、です。相談はしたけど……男ってことは言えないで……」 「しょうがないよ」 「……うん……でも……なんでも聞いてやるって言ってくれたけど俺いつか言える日がくるのかな……とか、なんか……」  マドラーで適当にまぜ、口にすると濃すぎて一口飲んでテーブルに戻した。 「キャパオーバーな感じ?」 「……あーそうかも……」  そうかも、と口の中で繰り返す。 「なるほど、今日どうして泉くんが来てくれたのかようやく把握」 「……へ?」  よいしょ、と涼介が腰を浮かせ立膝で泉の隣にやってきた。そして両手を広げる。 「おいで」 「……は?」  意味が分からずに呆気にとられる泉。にこにこしている涼介が「俺の腕の中においでよ」と言ってくる。 「え、な、なんでですか」  泉はわずかに身を引いて頬を引き攣らせた。 「しょうがないなー」  そうぼやいた涼介が泉との距離を縮めると驚く泉に構わず抱きしめて来た。 「っ、え!? ちょ、涼介さんっ?」 「んー?」 「なんですか、ちょっ、離してください」  焦って身じろぐ泉の背をあやすように涼介が叩いてくる。 「まぁまぁ落ち着いて。ただのハグだから」 「ハグって」 「泉くんがさ、いまなんでここにいるのかがわかったからハグしてあげてるんだよ」 「なんでここに……って」  なんで――……とは泉自身、電車に揺られずっと思っていたことだった。身体は固まったままあり得ない距離にいる涼介に緊張し、困惑し、なんでなのだろうと改めて不思議になる。 「泉くんはさ、ちょっと寂しくなって人恋しくなっちゃったんじゃないかな」 「……人恋しく……?」  その言葉にひどく戸惑う。 「友達と一緒に楽しく過ごしたけど――……秘密は明かせずに後ろめたくて……明かせないから本音も言いきれなくて……先輩が結婚するかもっていう話に落ち込んでて、落ち込んでる自分にも落ち込んで……そんな感じで、誰かに話聞いてもらいたくて、ひとりでいたくなくって。そんなときに俺が連絡してたから、つい来ちゃったんじゃない? 電話の泉くん放っておけない雰囲気だったからさ」 「……」  抱きしめられてるからお互い顔は見えない。どんな表情をすればいいのかもわからないまま泉は涼介の言っていることをゆっくりと咀嚼して身体から力を抜いた。 「……そう、なのかな」 「俺もそういう経験あるし、そうじゃない? 多分」 「……そう、かも」  涼介につい電話してしまった。  誘われて来てしまった。  時間も時間だし断ってよかった、いつもならきっと断ってたのに――……。  それは、確かにひとりでいたくなかったのかもしれない。  それに、涼介なら一貴を好きなことを唯一知る人だから、話を聞いて欲しかったのかもしれない。 「だからさ、ハグ。こうしてるだけでも案外落ち着くんだよ」 「……」  小さいころ親にとかならばあったかもしれない。だけど当然家族と以外にこうして抱きしめられることなんてない。  緊張もするしドキドキもするけれどこうして身を寄せ合う、抱きしめられて自分以外の体温を感じるということが落ち着くものなのだというのを初めて知った。  躊躇いはまだあるけれど、少しだけこのままでいたくて泉は黙って涼介の腕の中にいた。  涼介も黙ったまま腕の中に閉じ込めていてくれた。

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