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四十七、亜樹の見た夢
見慣れた校舎に響き渡る、阿鼻叫喚の渦。
傷つき、血を流すクラスメイトの恐怖に歪んだ顔。
襲ってくるのは、見たこともないような禍々しい姿をした卑し気な妖。
まるで人の姿を真似ようとして失敗したかのような、つるんとした表情のない顔。ぽっかりと空いた目と口の黒い穴。薄汚れた黄土色の着物らしき布に包まれた肌は、艶のない朽葉色……。そんな妖がわらわらと群れをなして学校へ侵入してくる。
人を食えば人になれるとでも思っているのだろうか。長い指の生えた手を伸ばして、次々生徒を手に掛ける。
今捕まっているのは、髪の長い、女子生徒。
追い立てられ、突き破られ、鮮血をほとばしらせるクラスメイトたちの、死に顔……。
ガバっと身を起こすと、そこはいつもの亜樹の部屋だ。
もう朝晩はかなり涼しくなっているというのに、だらだらと汗をかいていた。
――何なんやろ、いまの夢は……。
言い知れぬ恐怖が、べったりと汗とともに肌にこびり付いているように感じた。ひどい後味の悪さに、亜樹はぎゅと唇を噛む。
溜息をついて、ベッドから降りる。新鮮な空気が吸いたかった。
窓を開けると、眩しい空が広がって、なんとも爽やかな空気が満ちている。それなのに、今の夢ときたら……。
長さは違えど、最近あんな夢の風景をちょこちょこ見るようになっていた。
巫女は夢見をする。
予知夢を見て、民に危険を知らせたり、その厄災を避けるために何をすべきかということを伝えるのも役割だ。
葉山と彰に連絡しなければ、と思った。
きっと、これは悪い予兆だ。
+
葉山にメールをすると、すぐに今夜会いましょうという連絡が来た。
集まれる人だけでも、宮尾邸に夜七時集合、という連絡が深春の携帯電話にも来たらしい。ということは、おそらく全員に連絡が回っているのだろう。
ということは、珠生もここへ来るということかと、亜樹は少しどきりとした。あんな感情を抱いたあとだ、平静でいられるように……と亜樹は深呼吸する。
深春も早めに帰って来た。二人は軽く夕食を摂って、皆を待っていた。亜樹は柚子を手伝ってお茶を入れたり、リビングを片づけたりとそわそわしているところだ。
呼び鈴が鳴り、深春が出ていく。
最初に来たのは、近所に住んでいる湊だ。自転車で五分程度という近距離に住んでいるため、到着も早い。
「久々やな、こうしてみんなが集められるんも」
と、湊はソファに座りながらそう言う。
「ほんとだな、湊くんと会うのいつぶりだろ?」
二人がリビングでそんな話をしているのを小耳に入れつつ、亜樹は紅茶を持っていってやる。湊とは毎日会っているため、特に何の感慨もない。
「こんばんは」
続いて珠生がやってきた。声を聞いただけで、亜樹の心臓が大きく跳ね上がる。
おそるおそるそちらを見ると、柚子に出迎えられた様子の珠生がにこやかに喋りながらリビングにやってくるところだった。
「お、集まってるね」
彰と葉山は一緒に現れた。葉山はいつもの様に黒いスーツに身を包み、きりりと髪を一つに結っていた。皆を見て微笑んでいる。
「皆、久しぶりね。亜樹ちゃん、大丈夫?」
「……はい」
「え、今日は天道さんも何かあったの?」
と、珠生が驚いている。亜樹はきょとんとして、珠生を見た。
「え、あんたもなんかあったわけ?」
「あ、うん……ちょっとさ」
彰と湊は顔を見合わせて、珠生を見下ろす。葉山は腕組みをすると、「まずは亜樹ちゃんの話から初めましょうか」と言った。
「変な夢見るんだよな。俺、ちょっと聞いちゃったんだけどさ」
と、深春が皆の分の紅茶を盆に乗せて持ってくると、それぞれに振舞った。すっかり躾の行き届いている深春を見て、彰が微笑む。
「偉いじゃないか」
「へへ、どうも」
「舜平は来れないそうだ」
と、彰が携帯を見ながらそう言った。「院試がもうすぐだからね。まぁ僕は大学で会うから伝えるよ」
「あ、なるほど」
と、湊。
葉山は亜樹の隣に座り、その顔を覗きこんだ。
「……たしかに少し、気が乱れているわね。怖い夢を見たの?」
「……そうですね、怖かった」
「予知夢ってこと?」
と、珠生。
「そう、本物の巫女さんはね、夢見といって、予知夢で厄災を知らせたりする力があるの。生々しい夢を見たら、知らせてって伝えてあったのよ」
「へぇ……」
珠生はぱちぱちと瞬きをして、尊敬の眼差しを亜樹に向ける。皆が亜樹に注目する中、亜樹はここ数日見ていた夢の内容を皆に話した。
「ここ三日繰り返してみるだけで、ほんまに予知夢かは分からへんけど……」
と、亜樹は最後に自信無さげに付け加えた。
「いや……なんとなく、今起こっていることと少し符合する感じがあるな」
庭に面した出窓のそばで、話を聞いていた彰がそう言った。今度は皆が彰を見る。
「珠生の話を、ここに挟む必要があるね」
彰は珠生のそばへ行くと、皆にその日見たことを話すように促した。
あの日、保健室のベッドの上で見せられた幻術の話をすると、徐々に皆の顔が強ばっていった。亜樹は青い顔をして、じっと自分の握りしめた手を見下ろして話をする珠生を心配そうに見ていた。
「……水無瀬紗夜香さんの母親の件。いい機会だ、皆にも伝えておこう」
ぴく、と深春が反応する。
以前、湊には伝えた内容を、彰は皆に話して聞かせた。依然として行方のつかめないままの水無瀬紗夜香の母親であるが、彰は今日の亜樹の話を聞いて、珠生のいる明桜高校に彼女が何か仕掛けてくる可能性をふと感じていたという。
そしてすぐさま、珠生に仕掛けてきた幻術。
学校にまで攻めてくる相手に、もはや一寸の油断も許されない。
「去年、紗夜香がああして最初に珠生を狙ったということは、母親に何か吹きこまれていたんだろう。実際、都の陰陽師衆や千珠に対して、えらく敵対心を持っていたから」
「嫌いやから、やるっていう理由はどう思いますか」と、湊が彰に尋ねる。
「きっと何かしら私怨もあるんだろうな。雷燕に孕まされて死んだ女は……ということをぽろりと漏らしていたね。きっと、その血筋の誰かだろう。となると、雷燕自身にも恨みがあるということになる」
「なんか不気味だな」
と、深春が神経質な目付きで床を見下ろした。隣に座っていた珠生は、思わずその背に触れる。
「……何か、すげぇ嫌な感じだ」
「深春、怖いの?」
と、珠生に言われて、深春はじろりと珠生を睨んだ。
「ち、ちげぇよ。珠生くんを心配してんだろうが」
「え、心配?」
「だって、まず狙われてんのは珠生くんなんだろ? あぶねぇじゃん」
「そっかぁ、心配してくれてんのか、深春は」
珠生は深春の頭をくりくりと撫で回し、にっこりと笑った。
「大丈夫だよ、今後、油断はしないから」
「……ふん」
頭を撫でられて照れている様子の深春を見て、皆がちょっと笑った。
「どんな妖が来たか、教えてくれる? 何か対策が練れるかも」
と、葉山がメモ帳を構える。
「……似顔絵描こか?」
と、亜樹がメモ帳にかりかりと何か書き込みはじめた。
出来上がった絵を見て、皆が唸る。そこにいるのはどう見ても、国民的人気ネコ型ロボットを縦長にしたような物体だからだ。
「……これ、何?」
と、深春。
「だから妖やんか。これが目で、これが口で……」
「手は丸いわけ?」
と、珠生。
「ううん、長い指があって……」
「指ないじゃん」
「う、五月蝿い。今から描くわ!」
「天道さんって、絵ヘタなんだね」
と、珠生がさっくりとそう言った。
「俺より下手やん。ここまでくると芸術やな」
と、湊。
「つぶれたドラえもんみてぇ」
と、深春は笑っている。
「五月蝿いな! しゃあないやん、夢でちょっと見ただけやねんから!」
「うーん。珠生、君が特徴を聞いて絵にして」
と、彰が指示を出す。亜樹はむくれて彰を見上げた。
かくして、珠生がノートに書きだした妖の姿に、亜樹は感心したように頷いていた。
「すごい、そっくりや」
「美術部だからね」
「なんでこれが、ドラえもんになんねん」
と、湊が見比べて首をひねる。
「お前の認知機能はどうなってるわけ?」
「黙れ柏木」
びし、と亜樹に凄まれて、湊は渋々黙り込んだ。
珠生からノートを受け取り、彰はそれをしばらく眺めていた。そして、思い出したようにその名を口にする。
「これは人喰だ」
「ひとばみ?」
と、亜樹。
「別名を人形神といって、北陸に伝わる妖の一種だ。墓土や墓石で作られる人形で、術者の式神といってもいいかな」
「北陸って……まさに」
と、湊が顎に手をやる。
「そう、能登だ。人喰は呪いの力が強く、半端な術者が使うと逆に取り殺されてしまうような危険な妖だ。それを群れで襲わせるとなると……かなりの力を手にしていると見て間違い無いだろう」
「夢では人を喰うって言ってたけど……やっぱり本当に……?」
亜樹がおそるおそるそう尋ねると、彰は深く頷く。
「本来は術者の願いを聞くために作られる妖だが、夢の内容を聞いていると、人を食ってこいと指令されているんだろう。ひょっとしたら、特定の人物を狙えと言ってくるかもしれない」
「……」
皆が一斉に珠生を見た。珠生も予想はしていたようで、肩をすくめる。
「だよね」
「……でも、襲われてるんは……他の生徒やったけど……」
人喰に掴みかかられて恐怖の表情を浮かべているクラスメイトの顔を思い出しながら、亜樹はぼそりとそう言った。
「まぁ、そういうこともありうるかも、ということだから。とりあえず、学校への結界は強いものを重ねて張ろう。京都市内には職員を増やして、警戒を強めてもらうことにする」
「了解」
と、葉山。
「深春、亜樹を頼むよ。この家は安全だと思うが、よく気を張っておくんだ」
「おうよ」
深春がぐっと親指を立てる。
彰は全員を見回してから、もう一度窓の外を見た。
「油断せずに行こう」
暗い夜空には月もなく、真っ暗な闇が広がっている。いつになく風が強い。がたがたと窓枠を揺らす風が窓の隙間を抜けてくる不気味な音が、部屋の中に響いた。
+
「珠生くん、送っていくわ。どうせ方向も同じだし」
と、帰り際に葉山が珠生にそう言った。
「あ、ありがとうございます」
「僕が行くよ。葉山さんは、今夜はここに泊まって。亜樹といてあげてくれ」
葉山がポケットから取り出したキーを、彰がひょいと取り上げる。葉山は彰を見上げて、「……そうね」と言った。
「先輩、いつの間に免許とったの?」
と、珠生。
「高校出てすぐにね。何かと必要だろ」
と、彰は微笑むと、先に外へ出ていった。
久しぶりに会った湊に深春が色々と話をしている間、珠生は窓の外を見つめて立っている亜樹のそばへ行き「大丈夫?」と声をかけた。
亜樹は珠生を振り返ると、すっきりしない顔で首を振る。
「頭おかしくなりそうや。あんな不吉な夢を見るなんて……。自分のことじゃなくて、人に襲いかかる不幸なんて、見たないのに」
「……そうだよね」
「でもま、こうして皆がすぐに動いてくれるんやったら、きっと変な事にはならへんねやろうな」
「うん、そうだよ。だから安心して、ちゃんと眠ってね」
「……分かってるわ」
「あと……さ」
「何?」
「えーと、その……」
「何やねん」
ベージュのコートのポケットに手を突っ込んで、もじもじしている珠生を見て、亜樹はつい苛立った声を上げる。
「明後日……二十五日、空いてる?」
「え……? え?」
「洛北芸大のクリスマス展、一緒に行かない? ……その、気晴らしになるかもしれないし」
一瞬、珠生が何を言っているのかわからなかった。きょとんとしている亜樹を見て、珠生は慌てたように付け加えた。
「あ、舜平さんも一緒だから、きっと楽しいと思うし」
二人ではないのか……という若干の落胆を感じはしたものの、鼓動は高鳴るばかりである。沈みがちな亜樹を見て珠生が気を回してくれたことも嬉しい。亜樹は、無意識にこくりと頷いていた。
「う、うん……行って、みようかな」
亜樹がそう言うと、珠生はちょっとほっとしたように笑った。
久しぶりに見た珠生の笑顔に、亜樹の重く沈んでいた心が浮上する。珠生の笑顔を見ているだけで、色々なことが全ていい方向へ向かうようにすら思えた。
「じゃ、また連絡するよ」
珠生はそう言って、くるりと踵を返した。
亜樹は、こんな非常時に浮かれていていいのかと自問自答しながらも、窓の方を向いて思わず笑った。
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