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五十六、状況報告と今後の方針
湊は京都駅の大階段に座って、いちごシェイクを飲んでいた。
隣にいるのは、真面目なOLといった風貌の若い女だ。黒髪ロングヘアにノンフレームメガネをかけており、生真面目そうな面差しである。
「今日は特にきな臭いですな。水無瀬の母親……あ、名を水無瀬菊江というのですが、その気配も相変わらず掴めぬままのようですし」
「じゃあ、まだ京都に居るってことか?」
「はい、県境に敷いた結界にも何の反応もありませぬし、それは間違い無いと思われます」
「何でこれだけ結界張ってて、ひっかかれへんの? それやったら、県境も簡単に超えられるような気がすんねんけど」
「このたび京都中に敷かれている結界は、虫取り網のような形状をしております。県境の結界が枠だとすれば、市内に張り巡らせてあるのは網の目状ということですな。枠を踏み越えることはできなくとも、網の目をかいくぐることは可能な様子」
「なるほどね」
「佐為さまは、ふゆやすみ、というものに入られてからずっと走り回り通しでございますよ。現世でもよく働かれることで」
「そうなんや……勉強も忙しいやろうにな。何か言ってくれたら、手伝ったのに」
「そこは大人の仕事だと、仰っておいででした」
「そっか……」
ちなみにこれは蜜雲である。女子高生やギャルに化けていては、百合子の手前見られると困るということで、勤め人の姿に化けてもらっているのだ。やはりこういう姿のほうが話しやすいが、やはり選ぶ性別は女性らしい。
きっちりと生真面目風に七三分けした黒い前髪を撫でて、蜜雲はいかにも狐という細い目を湊に向けた。
「現在、京都には三十名ほどの術者が配置されおります。皆、それとなく市民に溶けこむように」
「そんなにいるんや。驚きやな」
「力の差はあれど、皆陰陽術を会得しているものばかりだそうです」
「そっか。俺もあんな術、やれたらなぁ」
「湊殿は弓がお強いであありませぬか。あ、そうだこれを……」
蜜雲はスーツの内ポケットから封筒を取り出して、湊に渡す。傍目から見れば、まるで賄賂の受け渡しだ。
中を見ると、呪符が沢山収まっている。湊は蜜雲を見た。
「それを弓矢にお巻き下さい。強力な破魔矢になりまする」
「ありがたい」
「道具は一式こちらで支度いたしておりますゆえ」
「準備ええなぁ。これなら俺も役に立てそうや」
「湊様は皆々様を落ち着いてまとめることのできるお人です。あなたがいるからこそ、浮き足立った皆がしっかりと地に足をつけていられるのです」
「え?」
「……と、藤原様がおっしゃっていました」
「……そうなんや」
「珠生様や深春様は力に溢れ、最前線で敵を薙ぎ払うのが御役目ならば、結界術や波動術をお使いになれる佐為様、舜海様は中程でそのお二人を援護。そして後方からは、広く状況を見ることのできる貴方様の弓が助けとなると」
「ほんまやな……今までも自然とそんな陣形になってたかな」
「葉山様も結界術や感知能力に長けたお方、そして何より、治療の術をお持ちです。亜樹様も呪具の力を借りてならば、そういったお力を発揮できるようにと修行中でございますよ」
「そうなんや、へぇ」
「元は霊力の高い巫女様です。今回の夢見も、あの方の力。皆様が力を出し合っておられるのを、藤原様も嬉しく見守っておいでです」
「そっか。……それにしても、お前は藤原さんの側近になったんか? 先輩の使い魔やろ」
「佐為様といると、自然と藤原様と過ごす時間も長くなりますゆえ」
「なるほどね」
なかなか聞くことのできない藤原の思いを知ることができて、湊は少しほっとしていた。どうあがいても霊力のない自分が、彼らの中でやれることは本当に限られている。それがやはり、湊にとっては気がかりだった。自分もここにいていいのかという迷いが、どうしても拭えずにいたのだ。
「サンキュな、蜜雲」
「さんきゅ、とは何でございますか」
生真面目なOL風の女が首をかしげるのを見て、湊はふっと笑った。
「ありがとうって意味や」
「ほう、そうでございますか。なかなかに粋な言葉でございますな」
きりりとした表情でメガネを上げた蜜雲は、茶道の動きで缶コーヒーを飲んだ。
そんな蜜雲を見て、湊はまた笑った。
+
時間通りに集まった面々に、藤原は深春から得た水無瀬菊江の情報について話をした。さらに宮内庁として、どういう姿勢で対処して行くかということを話した上で、皆の顔を一人ひとり見回す。
深春からすでに話を聞いていた亜樹と珠生、そして珠生から聞いていた舜平は、藤原の意見に反するような考えは持っていなかった。それでも、亜樹の夢のような事態が起こった場合、どうしたら良いのかということを懸念していた。
それについて藤原は、「祓い人の使い魔については、君たちで処理してもらいたい。その背後には、必ず術者である彼女がいる。我々宮内庁職員で、水無瀬菊江の身柄を押さえたいと思っている」と説明した。
「なるほど」
と、珠生。
「水無瀬さんには、やっぱり話さないんですか?」
と、今度は深春がそう尋ねた。藤原は頷く。
「水無瀬菊江の情報をくれたとはいえ、彼女は実の娘さんだ。いつ寝返って、こちらの情報をもらさないとも限らないからね。念のため、彼女は今後父親とともに隔離する」
「そっか……」
「すまないが、君もそのつもりでいてくれ。ここで話された内容は、彼女にも、そして吉田瑛太くん、満原迅くんにも話さないでほしい」
「分かった」
深春はぎゅっと手を握りしめて、毛足の長い絨毯の敷き詰められた床を見下ろした。
「水無瀬菊江の居場所についてだが……佐為」
藤原の背後に控えるように立っていた彰が、腕組みをしながら話し始める。珠生は彰を見るのは久しぶりで、いささか疲れの出ているように見える彰の顔を、少しばかり懐かしく見上げた。
「ここ数日、僕はずっと見回りに出ていたんだが、全く彼女の動きは掴めない。ということは、彼女はこちらの動きをある程度観察しつつ多数の式を操りながら、一箇所に留まっている考えられる」
彰は珠生に目を留めて、続けた。
「そこで、今夜からは珠生にも一緒に見廻りに来てもらいたい。君を狙っているのだから危険なのは承知しているが、僕より鼻が利くのは君しかいないし、足も疾いからね」
「分かりました」
「舜平と湊も、出来れば同行して欲しい」
「ええよ」
と、舜平はすぐに同意した。
「……俺で役に立ちますかね」
と、湊は少し遅れてそう言う。
彰は微笑むと、「珠生も舜平も熱くなりやすい。冷静な君が一緒の方がいいだろう」
「……なるほど」
「おい、聞き捨てならへんな」
と、舜平が熱くなる。彰にじとっとした目で見られ、舜平はハッとして黙り込んだ。
「舜平はバイクの免許持ってたよね」
「ああ」
「アルバイトはバイク便の配達だったよね。ってことは地理にも詳しいだろ?」
「そら任しといてくれ」
「年末の市内はかなり込み合うから、バイクを使って移動する。珠生は舜平と、湊は僕と来るんだ」
「先輩、バイクも乗れるの?」
と、珠生が目を丸くする。
彰はまた余裕たっぷりに微笑んだ。
「まぁね」
「ほんとに何でも出来るんだな」
と、深春が感心している。
「なに、慣れれば馬と一緒さ」
「いや、全然ちゃうと思うけど」
と、舜平。
「俺はどうしたらいいんだ?」
と、深春が尋ねると、彰は亜樹と深春を見比べながら言った。
「君たちは待機。柚さんにしっかり結界術を習っておくこと」
ずっと静かに話を聞いていた亜樹を、深春は見た。亜樹は静かに頷いている。
「亜樹には夢を見てもらわないといけないからな。深春はその護衛も兼ねて、待機だ。何かあったらすぐに呼ぶ」
「オッケー」
ひと通り説明をしてから、彰は皆の顔を見回す。
「さぁ、油断せずに行こう。目的は、水無瀬菊江の身柄の確保だ。無用な戦いは避けるように」
「はい」
皆がしっかりとした声で返事をするのを見ながら、藤原は微笑んだ。
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