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六十五、翌日のこと

 優征と斗真は、なんとなく二人して鴨川沿いをランニングしていた。そうしていなければ落ち着かなかったのである。  二人はあのあと、葉山と名乗る女性職員にひと通りの説明を受けた。  世界には目に見えないものがたくさん存在しており、それが人に害をなすこともしばしばであるという。  宮内庁特別警護担当課というものが日本政府には存在しており、ああいった特殊な能力を持つ人間を集めているということを知った。有害な存在を駆除し、国民が安全に暮らすための環境を整えていくのが、彼らの仕事だと説明をされた。  また、特殊能力を持つ人間を保護することも仕事の一つだと説明された。異能者は周りから孤立しやすい傾向にあるため、見つけたらすぐに保護し、教育を施しながら、後世にその力を伝えていくことが重要であると。  沖野珠生は、高校一年生であの能力に目覚め、それ以降国に力を貸している人物であると教えられた。斎木彰は、生まれながらに能力を持った人間であるということも知らされた。  二人は中学時代に、初めて彰と出会った時のことを思い出していた。  中二の彰はキャプテン候補にも上がるほどに能力があり、また冷静で頭もよく、見るからに周りからは一歩飛び抜けた存在に見えた。しかし「自分は皆をまとめる仕事は向かない」と言って、部のムードメーカーだった他の二年生をキャプテンに推したのだった。  いつもいつも、人の十歩先を見ているような目をしていた。しかし、まだ中学生だった二人は、「さすが名門校。こんな人もいるんやなぁ」という程度の感想しか持ち得なかった。  今思い返すと、彼はすでにその頃には、周りの人間には見えないものを多く見てきていたということになる。となると、あの落ち着きっぷりも理解できた。  柏木湊や、相田舜平、天道亜樹ら三人の説明はあまりしてくれなかったが、皆がそういった力を持っている人物であるということは知らされた。  そして、くれぐれもこの件は他言無用であること、知ったからには有事の際は協力してもらいたい、という旨の書類に、署名押印させられたのであった。 「うわ!」  つるん、と斗真が凍りついた橋の上で足を滑らせた。あわや転倒だ。  優征は息を弾ませながら立ち止まると、斗真を振り返った。 「おい、こけんなよ。足でもひねったら大事や」 「おおこわー! ……ってかさ、何で俺ら、凍った道の上走ってんの?」 「……。ほんまやな。……帰ろか」 「帰ろ帰ろ。お前んちでゲームしようぜ」 「おう」  歩いて優征の家へと向かう。しばらく無言だった二人だが、斗真がふと口を開いた。 「なぁ……昨日のこと、夢ちゃうよな」 「ああ、ちゃうで」 「珠生……今日もなんかしてんのかな」 「あんだけのことがあったんや。多分、そうやろ」 「そうやんな……。なんか、すげぇな」 「うん……」  優征は、空を切り裂くようにして現れた珠生の姿を思い出していた。  数十メートルの高さから身軽に地面に降り立ち、立ち上がった珠生の凛とした姿。ヘルメットを外して、亜樹に見せた凛々しい笑顔。  あの二人の仲は、自分たちがからかっていいような軽いものではなかったのだ。そして、あの大学生との関係も、きっと……。  あの男が放った巨大な術。  広いグラウンドを根こそぎ爆破するような力。  クリスマスの日、舜平に向けて知ったような口をきいたことが、恥ずかしくて仕方がない。  ——共に戦っている二人、か。  優征は、目を閉じた。 「アホやなぁ、俺……」 「え?」  超人的な動きで不気味なものを倒す珠生の姿。  昨日から、優征は珠生のことばかり考えていた。  最初はいけ好かなかったが、今では、男なのに綺麗なやつだと、見惚れることもしばしばだ。  運動神経はずば抜けているくせに、人付き合いが苦手で恥ずかしがり屋の珠生のことを、守ってやりたくなるような、可愛いやつだと思っていた。  でもその実、優征は珠生に守られていたのだ。今までもずっと、守ってもらってきたのかもしれない。気づかなかっただけで……。  自分は何もできなかった。ただただ腰を抜かして、悲鳴をあげて、初めて目にする不気味なものから目を逸らすことすらできないまま……。 「優征?」 「ん?」 「どないしたん、頭でも痛いんか?」 「あ、いや……。腹減ったな」 と、優征は道沿いにあるコンビニを見てそう言った。 「そうやな、コンビニ寄って帰ろや」 と、斗真は呑気にそう言うと、ポケットから財布を取り出して中身を確認しはじめた。  いつもと変わらぬ、のんびりとした斗真の表情を見て、優征はちょっと笑った。  斗真だって、きっと昨日はいつも以上に珠生のことしか考えられなかっただろう。  大きななりをした二人組が、そろって珠生の魅力の虜とは。 「せやな、行こか」  優征は斗真の背を押して、暖房の効いた暖かいコンビニへと入っていった。      +  +  珠生は目を開いた。  どうも、ベッドが狭い気がする。それに、妙に暖かい。  ごそごそと身動ぎしてみると、舜平の腕の中にいるということに気がつく。舜平はぴくりとも動かず、すうすうと静かな寝息を立てている。  最近、こうして舜平の寝顔を見る機会が増えたなと思う。しかも、最近の舜平はなかなか起きない。  昨晩は舜平と二人で見回りに出て、そのまま珠生の家に泊まっていく事になったのだ。道が凍っていて危険だからと、珠生が舜平を引き止めたのである。  珍しくセックスもせずに深い眠りについていた。それほどまでに、昨日は激動の一日だった。  水無瀬文哉はなかなか口を割ろうとはせず、彰はかなり手荒な方法を使って彼を痛めつけていた。    そんな様子を部屋の隅で見ていた珠生や舜平、そして湊もが、思わず顔をしかめるほどのものだ。  それでもにやにやと笑って口を割らない文哉を、藤原は見たこともない術で縛り上げ、拷問した。  真っ白なワイシャツの広い背中を見ていると、藤原修一よりもずっと厳しい目をしていた藤原業平のことを思い出した。  どこまでも冷徹に水無瀬文哉を締め上げながらも、藤原は落ち着いた口調で文哉を説得し続けた。  身体を引きちぎられるほどの痛みを与えられながら優しく語りかけられるという状況に耐え切れなくなったのか、文哉は夜中になってようやく喋り始めたらしい。  その頃には、たまりかねた珠生たちは見廻りに出ていたのである。  不意にその時のことを思い出し、珠生は少し怖くなった。今まで不気味に漂っていた何かが、ようやく形をなして姿を現し始めたというのに、その現実をまだまだ受け入れることができていないことに気づかされる。  ——藤原さんと先輩は、どうしてるんだろう……。  珠生に腕枕をして、珠生の全身を抱え込むようにして眠っている舜平の顔を見上げる。  いつもきりりと引き締まっている眉間から力が抜けると、舜平はまるで同じ年くらいの若さに見える。  そういえば舜平は最近髪を切った。卒論の忙しさにかまけて伸ばしていた髪を、バッサリと短髪にしたのだ。濃い眉とくっきりとした目元が、鮮やかに目を引く。  体温があたたかい。敵の存在や拷問のことを思い出して冷えていた身体が、少しずつ暖まってくる。  珠生はそっと舜平の胸元に顔を寄せて、その匂いを深くかいだ。力強い霊気と、温もったシャツのふんわりとした洗剤の香り、舜平の肌の匂いを吸い込むと、昨日から猛っていた妖気が徐々に落ち着いていくのを感じる。 「……何してんねん」  もぞ、と舜平が身動ぎして、珠生を見おろす。まだ眠たげで、瞼は半分ほどしか開いていない。 「いい匂い」 「……そうか」 「疲れてるね」 「そら、まぁな。お前は元気そうやな」 「若いから」 「……そんな変わらへんやん」  舜平はもぞもぞと身体を動かして、珠生を再びぎゅっと抱きしめる。  額に触れる舜平の唇は、弾力があって心地良い。どこまでも丁寧な舜平の手つきから、いかに自分を大切に思っているかが伝わってくる。珠生はそっと目を閉じて、舜平を抱き返した。  すりすりと珠生の髪の毛に頬ずりをしながら、ぐいと腰を抱き寄せられ身体が密着する。舜平のものがすでに硬くなっていることに気づき、珠生はどきりとした。 「お前の昨日の動き……すごかったな」 「……そうかな」 「普通飛ぶか?あんなとこから」 「俺、普通じゃないから」 「……それもそうか」 「でもそれも、舜平さんがいないとできなかっただろ」 「そうかぁ?」  顔を上げた珠生に、舜平はそっと唇を寄せた。互いの弾力を確かめ合うように唇だけを重ねあわせていると、優しく頭を撫でられる。優しい手つきが心地よく、それだけで何故だか涙が溢れそうになった。  珠生がそっと目を開くと、舜平もじっと珠生を見つめていた。  黒く艶やかな瞳が、珠生の胡桃色の瞳を映す。それだけで、舜平の思いが流れ込んでくるような、真摯な目付きだった。  ぽろ、と珠生の目から涙が流れた。舜平は驚いて、ぱちぱちと目を瞬く。 「な、何で泣くん」 「……何でかな」 「どうした。なんか怖い夢でも見たんか」 「……分かんないけど」 「全く、お前は……」  舜平は苦笑しながら、珠生の涙を唇で拭った。なぜだか止まらない涙を流しながら、珠生は舜平をじっと見つめていた。  強くて優しい舜平の目が好きだった。千珠であった頃から、ずっと。  こうして見ていると、本当に舜海と同じ目をしていることに気づかされ、改めてその存在の大きさを感じさせられるのだ。 「舜平さん……好きだよ」 「……へっ」  目元や瞼にキスをされながら、珠生は無意識に愛の言葉を呟いていた。うっとりとした珠生の目線に、舜平が目を瞬いている。 「不意打ちか? なんやねんそれ……ほんっっまにどんだけ可愛いねん」 「……だからその、可愛い可愛いっていうのやめてもらえませんか」  思わず舜平の口からこぼれた感想に、珠生は呆れながらそう言った。舜平は赤面して、顔を隠すように珠生をもう一度抱きしめる。 「……昔の俺には、そんなにたくさん言わなかったのに」 「昔のお前は今より数段生意気で偉そうやったから、そう可愛いもんでもなかったけど」 「……何と言っていいやら」 「まぁ、生まれつきあんなに強かったんやったら、そうもなるわな」 「……まぁね」  舜平は珠生をふわりと組み敷くと、その顔を上からじっと見下ろした。透き通るような瞳も、きめの細かい白い肌も、芸術的に整った目鼻立ちも、何もかもが美しい。  珠生の脚の間に身体を埋め、ぴったりと身体を重ねて口づけをしていると、どうしてもその中に侵入してしまいたくなる。徐々に深くなる口づけに、珠生の息が漏れた。  寝間着にしている長袖のシャツをめくり上げ、その白い肌に触れようとした瞬間、枕元に置いてあった珠生の携帯電話から、けたたましい電子音が鳴り響いた。 「うわ! びっくりした! 事件か!?」 と、舜平は思わず珠生から身を離す。珠生はすぐさま電話に手を伸ばし、着信元を見てホッとしたように息をついた。 「なんだ、優征か」 「あぁ、あいつか……。出ぇへんの?」 「あ、うん、出る。もしもし?」 『あ、俺、斗真』 「斗真? 優征の携帯からかけてんの?」 『俺の充電切れててさ。昨日はその……ありがとう、昨日言えへんかったし、お礼、言いたくて……』 「いやいや、いいんだよ、そんなこと」 『今日もバタバタしてんの?』 「いや、まぁ……夜はまた出ていかなきゃだけど、今はのんびりしてるよ」 『そっか、良かった』  斗真の安堵した声に、珠生は微笑んだ。舜平は珠生の上に被さったまま、何となくその会話を聞いていたが、手持ち無沙汰なのか珠生の首筋にそっと唇を寄せ始めた。珠生はぎょっとして舜平を押し返そうとしていたが、空いた左手を握りこまれてしまい、されるがままだ。 『もしもし、俺やけど』 「あ、優征。よく寝れた?」  斗真よりも一段低い声がして、優征が電話口に出た。ぴく、と舜平も反応する。 『今、斗真とうちでゲームしてんねんけどさ、身体空いたらお前も来ぃひん?』 「あ、そうなんだ……いいね」 『部活も中止になって暇やねん。多分こいつ一日中うちにおるし、いつでも来いや』 「うん、ありがとう。行けそうならまた連絡する、よ……っ」  舜平にぺろりと耳を舐められ、珠生は思わず息を呑む。ぐいと本気で舜平を押し返して睨んだが、舜平は無言のまま唇を釣り上げて微笑んだ。 『あの人も、すごいねんな。あんなこと……できるなんてさ』 「あの人って……あぁ、舜平さんか。う、ん……そうだね、あの人も強いから」 『……そうか』    優征の静かな声とため息。後ろの方では、斗真が「カップラーメンないん?」と大声で尋ねている声が聞こえてくる。思ったよりも元気そうな二人の声に、珠生は少しホッとした。  しかし、ホッとしている暇はなかった。舜平の指が、珠生の乳首にやわやわと触れ始めたからだ。珠生は思わず唇を噛んで舜平を見上げてふるふると首を振ったが、舜平は素知らぬ顔で珠生の首筋に舌を這わせ、硬くしこり始めた珠生の乳首を弄んでいる。 「ン……っ」 『珠生? どうしたん?』 「あっ……いや、ええと……誘ってくれて、ありがと。俺、もうちょっと……んっ、」 『具合、悪いんか?』 「う、ううん!! なんでもないんだ!! でももうちょっと寝ておきたいから、切るね。ごめん!」 『あ、あぁ、せやな。ゆっくり休んでや』 「ありがと……」 『ほなまた、学校で』 「うん……」  震える指で電話を切った珠生は、きっとなって舜平を睨んだ。舜平は少し身体を起こして、じっと珠生を見下ろしている。 「もう!! 何すんだよバカ!」 「すまんすまん。ついな」 「悪趣味だなぁ。変に思われたらどうするんだよ」 「まぁそう怒んなって。ていうか、そう言うお前も……」 「んん……っ」  つ……と舜平に股間を撫で上げられ、珠生は思わず甘く呻いてしまった。舜平はもう一度珠生にキスをして、もぞもぞとズボンの中に手を差し入れてくる。 「ちょっ……待ってよ。もうすぐ十一時だよ! 湊が、来るっ……ァん」 「あ、そうか……けど、ヤりたいなぁ」 「ダメに決まってんだろ! 湊に覗かれるよ!」 「……それは嫌やな」  舜平は身体を起こして、ため息をついた。珠生もがばりと起き上がる。 「そんなにがっかりしないでよ。またあとで……続き、しようよ」 「続き……。いいんか、しても」  珠生はふわりとした笑みを浮かべ、恥ずかしそうに頬を染めている。舜平はつられて赤面した。 「そんなかわいい顔すんな。襲いたくなるやん。どんだけ天使やねん」 「俺は鬼だよ」 「……おう、せやな」 「はいはい、さっさと顔、洗ってきてよ」  切り替えも早く、さっさと起き上がってぺたぺたと裸足でリビングへ出ていく珠生を見送りながら、舜平はじんじんと疼く下半身を見下ろして、ため息をついた。

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