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六十八、藤原の年越し

 その頃、藤原修一は大学時代の同期生、警察官の吉岡信子とちびりちびりと酒を酌み交わしていた。  もうすぐ年が変わるというこのめでたい瞬間だが、まるで気の許せない状況が続いている。  二人共、酒には強いほうである。藤原は久しぶりに現実の世界に帰ってきたような気持ちで、刺激の強い辛口の日本酒を舐めていた。まるで酔える感じではないが、いくらか気は晴れてくるのを感じている。 「しっかしあんたも大変やな、ずっと拷問してんの?」  丸っこい身体を掘りごたつに納めて、吉岡信子は軽い口調でそう言った。淡いグレーのタートルネックには、ぎゅっと詰まった肉厚感が否めない。  信子は、目の前に座るダンディズムを絵に描いたような藤原を、しげしげと眺め回した。 「……そう軽く言われると、気が抜けるな」  藤原はワイシャツの袖をまくってネクタイを外した格好で、明らかにくたびれた顔をしている。いつも自信に満ちた張りのある表情をしている藤原が、ここまで疲れているのを見るのは久しぶりだった。 「なぁ、その気取った喋り方、気色悪いからやめてくれへん? ええやん、今くらい」  信子は藤原の徳利に酒を注ぎながらそう言った。藤原は苦笑して、その酒を受ける。 「……せやな」 「あたしから見たらあんたなんかただの藤原修一(オッサン)やけど、あんたの部下たちからしたら、結構なお偉いさんなんやろ?」 「うん、まぁ、そやね……」  当代の陰陽師衆を束ねていた藤原業平と言えば、古文書のトップページに出てくるほどの有名人なのだ。誰が書いたかは知らないが、幼い頃に初めてそれを見たときは、少し笑ってしまったくらいである。 「忙しいねん、最近。ほんまに」  久方ぶりに京都弁を喋ると、なんだか張り詰めていた肩の筋肉まで緩んでくるような気がした。  吉岡信子とは京都大学で知り合い、同じゼミで四年間を過ごした。さばさばとした男のような性格の信子は、昔から女らしい身なりなどしたことのないようなタイプの女子大生であったが、頭がよくユーモアもあり、藤原とはよく気が合った。成人し、お互いに入庁してからも、この関係はずっと続いている。  そして吉岡は、藤原の特殊な仕事について理解のある、数少ない貴重な友人だ。 「あの黒バイク、やっぱりあんたらか」 「そうやねん、悪かったな、騒がせて」 「ネットには色々書かれとったけど、まぁそんなに悪いことは書かれてへんかったで。みんな映画の撮影かなんかやと思ってたらしい」 「ならいいねんけど……。一般車との事故がなくてよかった。ひやひやしたわ」 「ほんなら止めたらいいのに」 「でも、京都で犯罪者を追跡するには、バイクが一番やろ」 「まぁね」  信子はお通しのおひたしをぺろりと一口で平らげ、くいっと酒を飲み干す。昔と変わらぬ飲みっぷりに、藤原は笑った。 「ええんか、こんなところで俺と飲んでて。旦那さん、怒らはるやろ」 「いいねんいいねん。これは仕事や。『宮内庁と警察庁との情報交換』という名前のついてる仕事やから」 「あそ。でも子どもさん達は?」 「もう大学生やで? 家になんておらへん。長女は彼氏と海外旅行やし、長男はサークル仲間と平安神宮や」 「ええな、なんかええ家族で」 「そらまぁ、あんたんとこと比べたら、普通かもな」  信子に酒を注がれながら、藤原は目を伏せた。信子の言うとおり、藤原家は普通の状況ではないのだ。 「息子さん、どうなん?」 「第三希望は受かっているから、大学生にはなれるらしい。でも、国立の第一志望まで頑張るらしい」 「らしいって。人事やな」 「息子が大学入ったら……離婚すんねん」 「ええーっ!? ま、まじで言うてんの?」  ばん! とテーブルを叩いたため、個室の中の空気が揺れたようだった。実際、天井からぶら下がっている和紙の丸い照明器具がゆらゆらと揺れた。 「声でかいな」 と、藤原は顔をしかめた。 「だって……まじで?」 「ああ……もう、無理やねん。お互いにな。離婚に関しては、もう合意がなっとる。けど息子には、まだ言うてへん」 「そら……めちゃショック受けるやろな……」 「息子がああしてぐれたのは俺のせいや。更生させたのは妻の力や。……あの家に、俺の居場所なんてもうないねん」  藤原は掘りごたつから片脚を抜いて膝をおると、その上に肘を乗せて顔を埋める。呻くような呟きに、信子はため息をつく。 「宮内庁でえばりくさっとる男の台詞とは思えへんな」 「別にえばり腐ってなんかない。下のものが、へんに俺を敬い過ぎとるだけや」 「まあな。でも、なんかあんた、変なオーラあるもんな」 「それを我々の中では霊力と呼んでる。それが特に強いねん、俺は」 「ふうん。それがみんな分かるんやな。動物みたいやな」 「ははっ、間違いないな。そんな感じや」  藤原は淋しげに笑った。きっと世の女性がここに座っていたならば、弱り切って疲れている美中年を放っておけず、何かしら間違いが起きてしまいそうなものだ。  しかしながら、信子はまったくもってこの藤原修一がタイプではない。信子の夫は、いかつい柔道家なのである。 「大学時代はモテモテやったのに。これかぁ」 「うるさい」 「奥さん、後輩やったよな。賢い夫婦なのになぁ」 「そういうの、関係ないねん。家族になってしまえばな」 「確かにね」 「でもまぁ……吉岡の顔でも、見てたら多少は気が晴れるもんやな。話も聞いてもらえたし」 「あたしの顔でも、ってなんやねん。敬え、阿呆が」 「あはははっ、すまん」  さっきよりも幾分すっきりした表情で、藤原は笑った。信子も鼻を鳴らしながら、くいっと酒を飲んだ。 「お、見てみぃ。もうすぐ新年やで」 と、藤原は腕に巻き付いた高級時計を見下ろしてそう言った。 「あ、ほんまや。やれやれ、あんたと年越しとはね」 「文句言うな。仕事なんやろ」 「ああ、せやったわ。でもま、とりあえず。あけましておめでとう」  信子は徳利を持ち上げて、藤原のお猪口に酒を注ぐ。藤原は笑って、お猪口を軽く上げた。 「あけましておめでとう。今年もよろしく」 「せいぜい、協力して行きましょうね」 と、信子は敢えて仕事口調でそう言った。 「こちらこそ、今年もお世話をおかけいたします」 と、藤原もにこやかにそう返した。

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