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13、親子の会話

「まったくもう! なんだって言うのよ、あの狸親父は!!」  ぶりぶりと怒り狂いながらヒールの音を響かせているのは、常盤莉央である。彼女は今、東京の霞ヶ関にいるのだ。 「悔しかったら偉くなってみろってんのよ、見た? あのいやらしい目付き!」  新たに特別警護担当官本部長に就任した莉央は、まだ宮内庁の本庁へ出頭していなかったため、挨拶回りにやってきていたのである。そこで出会った宮内庁事務次官は六十前後の脂っこい中年男性であり、歳若く美しい莉央が自分よりも遥か上のポストに突然就任したことをよしとせず、ちくちくとつまらないセクハラめいた嫌味を言ってきたのである。  長官との話し合いはスムーズに終了していた。藤原と長官との信頼関係は厚く、自分は良く分からないから全面的に君たちに任せている、という一歩引いた態度も莉央にとっては気楽なものだったし、さすがは長官を務めるだけあって、その男はとても紳士だった。  さあ気持よく沖縄へと思っていた矢先に、事務次官から珠生たち民間協力者らへ支払っている金額についての質問が出たのである。 「あいつ、そのうちクビにしてやるわ。理由は私へのセクハラよ。全く、何も知らないくせに金勘定だけ敏感な奴なんて、せせこましくていやになるわ!」  散々愚痴を聞かされているのは、藤原である。  藤原は苦い笑顔を浮かべつつ、「そうだねぇ、ひどいねぇ」と相槌を打ちながら、莉央の機嫌が治るのを待っているのだ。 「なんなら今からでも幽体剥離して、あの世に送ってやろうかしら。そしたら足はつかないわね」 「こら、そこまで言ったら駄目だろ」  二人はタクシー乗り場へと歩きながらそんな話をしていたが、人通りの多い道でもあるため、さすがに藤原が莉央を諌める。莉央はつんとそっぽを向いて、むくれた。 「お前、私の後任に就いたんだから、人前ではもうちょっと落ち着いた振る舞いをするんだよ」 「わぁかってるわよ」 「全く、いつまでたっても……」 「普段はちゃんとしてるわ!お父様の前だから怒ってるだけよ! 実際、あのハゲの前から、私はちゃんと笑顔で帰ってきたじゃない」 「こらこら」 「……」  思わず声が大きくなる莉央を軽く睨むと、莉央はぐっと黙りこんだ。 「まぁいいじゃないか、これから沖縄だろ。リフレッシュしておいで」 と、藤原は微笑んだ。 「あら、お父様……藤原さんは行かないの?」  タクシーに乗り込み、羽田へと向かう道中。莉央は驚いて藤原を見た。 「ああ、せっかくの休暇だからね。ちょっと京都でゆっくりするさ。あ、運転手さん、先に東京駅へ寄ってください」 藤原はシートに深く座り込むと、ふうとため息をついた。少しばかり疲れた表情に、莉央は散々愚痴ったことを反省する。 「東京にご家族がいるんでしょう? 帰らなくてもいいの?」 「あぁ……。実は、離婚したんだ」 「えぇええ!!? 何で!?」 「うるさいぞ」 「……」  思わずシートの上で飛び上がって叫んだ莉央を、今度こそいかめしい顔で藤原は睨む。 「……しばらく話を聞かない内に、なんでそんなことに?」 「まぁ、また落ち着いたら話すよ。現世では、私はちゃんと父親の仕事ができなかったようだ」 「そんな。お父様は立派だったじゃないの」 「それは昔の話だろ? 力さえあれば良かった。それを間近で見ていてくれる娘も同じ組織内にいたから、家族も理解してくれていた。父親の顔も棟梁としての顔も、同じでよかったから楽だった。でも、今は違うんだ」 「……」 「実際、京都東京を行ったり来たり。それに、佐為が目を覚ましたり、十六夜の件の準備なんかが忙しくなったりしてからというもの、私は全く家に寄り付かなくなっていた」 「……でも、それはこの国のために……」 「でもそんなこと、家族には話せない。それにね、いくら世のためになる仕事とはいえ、いて欲しい時にいてくれない父親や夫なんて、いる意味が無いんだよ、この現世では」 「……そんな。でも、もう藤原さんも五十前じゃないの、これから一人で暮らしていくつもり?」 「気楽でいいよ。京都にマンションも買ってるしさ、本格的に京都への異動を申請するつもりだ」 「……準備いいわね」 「これでいいんだ。私は疲れた。裏歴史を守っていくのが私の生涯の仕事なら、京都でそれを全うするのみだ」 「本当に、それでいいのかしら。お父様の人生……藤原さんとしての人生って、それでいいの?」 「まぁ、私にも色いろある。お前が心配してくれなくても、まだ大丈夫だよ」  藤原はにっこりと笑うと、ぽんぽんと莉央の頭を撫でた。久々に触れられた藤原の手は、ひどく懐かしい感触で、莉央はふと藤原詠子であった頃の幼い自分を思い出す。  ただ父の背中に憧れて、あの力に憧れて、陰陽寮を走り回っていたあの頃のこと。生き生きとした父親の顔と、たくさんの部下に囲まれて毎日張りのある表情をしていた黒装束の藤原業平の姿。  今目の前にいる藤原修一は、眼に見えないものに疲れ果て、ただ休息を求めているように見えた。 「……あの、東京駅です……」  藤原と歳近く見える運転手が、おずおずと声をかける。黙り込んでいた二人はハッとして、あたりを見回す。  料金を払いながら、藤原は人差し指と中指を立て、運転手の額に当てた。忘却術だ。 「羽田まで、おねがいしますよ」 「……はい」  ぼんやりとした表情から、慌てて目を覚ましたようにビクッと身体を揺らし、運転手は後部座席に座っている莉央を見た。藤原はさっさと車を降りてドアを閉め、ひらひらと莉央に手を振っている。 「みんなを頼む」  口の動きで、藤原がそう言ったのが分かった。莉央は小さくなっていく藤原の姿を名残惜しげに見つめながら、小さくため息をついた。 「……なんで今話すかな……」  ――聞いて欲しかったんだろうな、きっと。  莉央は足を組んで、窓枠に肘をつきこめかみを押さえた。  ――お父様は、現世で幸せにはなれなかったの……?  莉央はぼんやりと夕暮れに近づく空を見上げ、悲しい色に眉を寄せた。

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