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14、敦と莉央

 莉央が一人遅れて那覇空港に到着した頃、ホテルではすでに宴会の準備が始まっていた。  十四時からのイメージトレーニングが終了した十七時頃、京都班がぞろぞろと黒いスーツ姿で到着した。敦はジャージ姿で汗を拭いながら、ロビーをうろうろしながらホテルに感嘆の声を上げている面々を見つけ、そちらに歩み寄る。 「更科さん、お疲れ様です」 「ああ、墨田くん。さっそくやってたの」 「はい、能登班と若者組は先に着いとったけん、もうさっそく高遠さんがビシバシしごいてますよ」 「そっか、さすがに熱心だね」  更科宗太はネクタイを緩めながら爽やかに微笑むと、みんなに声をかけて墨田から受け取った冊子を配った。  そばへやってきた五條菜実樹は、冊子を受け取りながら墨田を見上げる。 「久しぶりですねぇ、相変わらずムキムキじゃないですか」 「おお、五條か。お前は相変わらず小さいのぉ」  菜実樹は敦の一つ下の代であるが、年も近いためあまり遠慮がない。研修や訓練で顔を合わせる機会も多かったためよく話をするし、時間が合えば飲みに行くこともある。が、それ以上の関係はお互いに真っ平御免と思っている間柄だ。ぱらぱらと冊子をめくりながら、菜実樹は言った。 「珠生くんともっと仲良くなりたいなぁ。飲み会の席、近くにしてよ」 「席はもう決まっとる。仲良うなりたかったら自力でなんとかせぇ」 「ふうん、ほなお酌でもしに行ってずっと横に座っとこ」  菜実樹はスーツの上着を脱いで肉付きのいい身体にひっついたシャツの中に風を入れながら、さっさと自分の部屋へと歩いて行ってしまった。  そんな様子を見ていた更科は笑った。 「マイペースだねぇ、京女は」 「ほんとです。あ、佐久間さんと赤松さん。お久しぶりっす」  更科と話をしているところへ、佐久間央介と赤松幹久がやって来た。水無瀬文哉が明桜学園を襲撃した時に、そこを見張っていた二人である。  佐久間はスーツのジャケットを腕に引っ掛けて、手を上げた。 「お疲れ。ええホテルやなぁ」 「ほんまや。もう修行する気が失せたわ」 と、赤松。探索方でふらふらしていることが多い赤松は、いかにその風景に馴染むかをいつも気にしているため、めったにスーツは着ない。時に危うく不審者に見えることもあるが、今きちんとスーツを着ている赤松は、それなりにまともな大人に見えるなと敦は思った。 「京都班は何で遅れたとですか?」 と、敦は二人に尋ねた。 「お役所仕事や。色々と連休前までに片付けなあかん書類があって、総出でそれを提出してきた」 と、佐久間はくたびれた様子でそう言った。 「そりゃお疲れさんでした」 「能登班の方と会うのは久しぶりだね、僕はテレビ会議でしか会わなかったから、高遠さんも久しぶりだ」 と、更科。 「ああ、高遠さんか。お子さんが生まれはったばかりらしいのに、よう来れたな」 と、赤松。 「え、結婚しとるんですか、あの人!」 と、敦は仰天する。若く見える高遠に、まさか所帯があるとは思ってもいなかったのだ。 「あの人はまっとうに生きてはるからな、どんどん偉くならはるやろ」  赤松は羨ましいのか妬ましいのか、何となく棘のある口調でそんなことを言う。敦と更科、そして佐久間は顔を見合わせた。 「あ、あの。墨田さん……」  おずおずと声をかけられ、敦は後ろを振り返った。そこにはおどおどとしながら話しかけるタイミングを伺っていたらしい新入庁者の紺野知弦(こんのちづる)が立っていた。  紺野はひょろりと背が高く、手も足も長くて棒のように細い男だ。年齢は二十三歳と若いのだが、身にまとう自信のなさそうな雰囲気から、どことなく老けて見える。  この四月に入庁したばかりであり、まだまだこの集団に馴染んでいないのが見て取れ、敦はこいつも要注意やなと目をつけていた。気をつけていてやらねば、きっと飲み会でも隅っこで一人皿をつついているタイプであろう。 「どうしたん」 「あの、常盤さんから墨田さんの手伝いをするようにと仰せつかってまして……」 「あぁ、そういえば。でも、今はもうすぐ飲み会やから、特にこれといってせんといけんこともないけん、楽な格好に着替えてきたらええよ」 「あ、そうですか……」 「部屋は高遠さんと一緒じゃ。あの人のことはよく知っとんじゃろ?」 「あ、はい。お世話になってます」  高遠が同室と聞いてか、紺野はホッとしたように胸をなでおろしている。顔立ちは悪くないのだが、細い黒縁眼鏡と、就職活動中のような垢抜けないスーツと髪型をしており、若々しさがあまり感じられないのが惜しい、と墨田は思った。 「まだ慣れとらんの、この集団に」 と、墨田はもう少しこの後輩の気を落ち着けてやろうと、声をかけた。 「あ、はい……。ここのところ慌ただしかったでしょう? だから、なんかお役にちゃんと立てなくて……」 「そんなん気にせんでええ。今は見て学ぶ時やけん、黙ってついて行っとったらそれでええけぇ」 「……ありがとうございます」  敦の気遣いが分かったらしく、紺野は安心したように笑った。 「また、何でもお申し付けください」  そう言って一礼すると、知弦は階段を登って部屋を探しに行った。ひょろんとした背中を見送っていると、つんつんと脇腹を突かれた。 「お前も優しいとこあるやんか」 と、佐久間がニヤニヤ笑っている。どうも近くでやり取りを聞いていたらしい。 「そら、数少ない後輩じゃけぇ、優しくもなりますよ」 と、敦。 「五條はいっこ下やけど偉そうで可愛くないし。あれくらい謙虚やと丁寧に接してやろうという気になりますね」 「ははっ、確かに五條は勝気やもんな。ま、頼みますよ、幹事さん」  佐久間は楽しげに笑って、さっさと上へ上がっていった。京都班が部屋へ散っていったのを確認すると、敦は名簿にチェックを入れてから手にしていたファイルを閉じる。 「さてさて、十八時半から宴会で……。そういや常盤は遅いな」 「お疲れ様、今着いたわ」  今まで何の気配も感じなかったというのに、突然背後に現れた莉央に仰天する。ばっと振り返ると、莉央は腰に手を当てて小首を傾げ、小馬鹿にしたように敦を見上げていた。 「……気配消すなや。趣味悪いのぉ」 「これくらい、気づいてもらわないと。鈍いわね、相変わらず」 「やかましい」 「で、首尾はどう?」 「若者組は高遠さんが指導してくれとる。まぁまぁ順調じゃな。京都組も今部屋へ入ったとこで、十八時半から親睦会一次会じゃ」 「あっそう。了解。藤原さんは今回欠席よ」 「ああ、聞いとる」 「ふうん」  莉央は冊子を受け取ると、ぺらぺらとめくって部屋を確認した。 「あたしは一人部屋か。どこに遊びに行こっかなぁ」 「おい、何言うとんじゃ。今回はお前がトップじゃろ、品行方正にせぇよ」 と、敦は渋い顔をする。 「ま、そうなんだけどさぁ。高遠もいるし、あたしは少々のんびりしても罰当たんないでしょ。もうすぐ佐為も来るしさ」 「まったく、自覚ないけん困るわ」 「そんなことないわ、今さっきまで霞ヶ関で仕事してきたのよ。ああ疲れた」 「ふうん、ほんまにお偉いになったんじゃな」  敦の少しばかり淋しげな声に、莉央は長いまつげを上下させて敦を見つめた。 「……別に、あたし達の関係は変わらないわよ」 「勝手に三年もイギリス行ったお前に言われてもな」 「五年の予定が三年で帰ってきたのよ? 嬉しくないの?」 「それは今回の辞令があったからやろ。お前の意志じゃなかろうが」 「……ふんっ、女々しい男」  莉央は苛立った口調でそう言うと、ヒールの音を響かせて歩き去ってしまった。  敦もがしがしと頭をかいて、親睦会が予定されているレストランの方へと階段を登っていく。  すると、誰もいなくなったロビーの噴水の影から、ごそごそと顔をのぞかせる者があった。 「……何かすごい事聞いちゃったね」 と、珠生はあたりを見回しながらそう言った。 「ほんまや。まさかやな」 と、湊が眼鏡をぐいと押し上げながら階段の上を見上げる。 「何だ彼氏いんのかよ。急にやる気なくなったわ」 と、深春があくびをしながら伸びをする。 「あんたまさか狙ってたん? 相手にされるわけ無いやん、阿呆やな」 と、亜樹がぺしと軽く深春の頭を叩く。  砂浜を通って体育館から戻ってきた四人は、開け放たれたガラス扉からロビーへと戻ってきたところだったのだ。そこへ、敦と莉央が話をし始めたため、何となく噴水の影に身を隠したという次第だ。座っていれば頭は出ない程の高さの噴水だ。四人は身を低くして噴水の影に座り込み、じっとしていたのだ。 「みんな知ってんのかな?」 と、珠生は隣にいる湊を見た。 「あの感じやと……秘密っぽくないか?」 と、深春がそんなことを言う。 「意外やなぁ、莉央さんってもっと年上の金持ちとかひっかけてそうやのに」 と、亜樹。 「それ分かる、もっと肩書きも立派でステータスのある男が好きそうやんな」 と、湊。 「そんな事言っちゃ失礼だろ。……あ、元旦那の高遠さんもいるのに、複雑だな」 と、珠生。  四人は立ち上がり、部屋へ戻りながらそんな話をしていた。意外とイメージトレーニングはきつい作業で、皆シャワーを浴びて着替えるつもりなのだ。 「あーあ、舜兄もおったらよかったのになぁ。敦と同室なんやろ? いろいろ聞けたやろうに」 と、亜樹。 「そういや、舜平は?」 と、湊。 「高遠さんと話し込んでたよ」 と、珠生。 「そんなことより、腹減った」 と、深春が腹をさする。 「まぁあんまり出歯亀せんことやな。これから四日も一緒やねんから」 と、湊がまとめると、「出歯亀ってなに?」と深春が不思議そうな顔をした。

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