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15、親睦会

 斎木彰は、二十時半頃にタクシーでホテルに到着した。  美しくライトアップされた白亜の建物を見上げながら、「やれやれ」と呟く。  確か、十八時半からすでに宴会をしているはずだ。彰は白い大理石の敷き詰められた明るいロビーに入ってあたりを見回すと、賑やかな声のする二階へと階段を登っていく。  二階にはレストランが数軒並んでいるが、今日の宴会に利用される店は、懐石料理の店である。奥の座敷へと案内された彰は、人気のないカウンター席やテーブル席を横目に見ながら奥へと進む。よくこの連休の時期に、こんな高級ホテルを貸しきったものだと、半ば呆れた。  わいわいと楽しげに盛り上がっている座敷を一望してから、彰は首を傾げた。  珠生や湊、亜樹といった若者がいないのだ。舜平はすでに楽しげに職員たちに溶け込んで、上機嫌で酒を酌み交わしている。そして驚くことに、深春は女性職員に囲まれて、非常に楽しげに笑っている。 「おお、彰。着いたか」  開け放した襖の側に立っていた彰の元へ、敦が赤い顔をして歩み寄ってきた。トイレから戻ってきたらしい。彰は荷物を床に置くと、靴を脱いで艶やかな飴色に磨かれた上がり框を踏む。 「珠生たちがいないじゃん。どこ行ったの?」 「あれ、逃げたな」 「え?」 「ちょっとのっけから大変でなぁ」  ぽりぽりと頬をかきながら、敦は宴会が始まった時の様子を彰に話して聞かせた。  かねてから珠生のことはすでに職員間でもかなり有名であり、こういった親睦の場はかねてから熱望されていたものでもあった。  訓練の時はおとなしくしていた能登班の面々も、遅れてきた京都班の面々も、虎視眈々と珠生と話をする機会を狙っていたらしい。特に、京都班の間では、水無瀬文哉を捉えた時の珠生の活躍が、まるで御伽草子のように語り継がれているのである。更にそれが能登班にもしっかりと伝わっているのだから、珠生の存在は、千珠の物語と同じく熱を持ち、彼らの中で熱く語られているのである。  初めて珠生の容姿を見るものも少なくなく、期待を裏切らない美少年ぶりに、特に女性職員が色めきだったという。男女比は三対一という、男の多い現場ではあるが、その中で働く女たちは往々にして気の強いものが多い。  敦が今回の幹事として挨拶を述べている間も、女性職員たちはギラギラした目で珠生を見ており、誰も話を聞いてくれなかったと敦は嘆いた。 「俺の挨拶が終わった途端、ビール瓶片手に女どもが珠生くんに一直線よ。あの子も青うなってしまってなぁ」 「目に浮かぶよ……」 「まぁさすがに俺も見かねて間に入ったんじゃけど、五條なんかに殺されそうな目で睨まれたわ。まったく、女は群れるといけんなぁ」 「それで珠生は?」 「最初は頑張って笑顔でなんやら喋っとったけど、見かねたあの高校生……深春くんて子が引き受けとった。高校生なのに珠生くん以上に女の扱いが上手くてなぁ、俺も見習わんといかんのぉ! あははは」 「んでどっか行っちゃったわけ? まったく、それじゃ親睦の意味が……」 「違いますよ。もうコース料理が終わったから、隣のお店にデザート頼みに行ってただけだよ」 と、珠生の不服気な声がして、彰は振り返って苦笑した。 「あ、ごめん。聞かれちゃったか」 「もう、いくら俺でも、そんなにすぐには逃げませんて。深春が引き受けてくれたし」 「まぁあいつは、単に楽しんでるだけやけどな」 と、湊。 「まぁいいやん。すごいお店やったね、隣」 と、亜樹。  隣はフランス料理の店であるが、宿泊はせずとも食事のみに訪れる客も多いため、店は開いている。甘いものがほしいと言い出した女性職員達の希望を聞いて、これ幸いと珠生たちは一旦宴会の席を立っていたのである。 「飲んでないの?」 と、彰は様子の変わっていない珠生を見ながらそう尋ねた。 「一応まだ未成年だし……。てかこれ、国家公務員の集まりでしょ?」 「あ、そっか」 「断るの苦労したんだからね、これでも」 と、珠生は彰を見上げて膨れる。彰は笑って、ぽんと珠生の頭の上に手を置いた。 「ごめんごめん、そっか、大変だったんだね」 「うちは結構楽しかったよ、みんなおんなじもんが見えてるって、気楽でええなぁ」 と、亜樹は珍しく機嫌がいいようすだ。更に、 「別に懐かしい顔があるわけじゃないけど、なんか嬉しかった」とも付け加えた。  彰は微笑んで、「それは嬉しい言葉が聞けたな」と言うと、亜樹の頭もぽんぽんと撫でる。 「先輩は今着かはったんですか?」 と、荷物を見下ろして湊がそう尋ねると、彰は頷いた。 「授業があったからね、それが終わってからすぐに来たよ。もう訓練を始めてるって?」 「はい。結構疲れるけど、やっぱこういう機会あったほうがいいですね」 と、珠生は張りのある表情を浮かべてそう言った。 「そりゃよかった。明日からもビシバシやるからね」と、にんまりと彰が笑ったので、三人の笑顔がひきつった。  戸口で固まって話をしていると、舜平と同じテーブルでしゃべっていた葉山が目を上げた。目を合わせて微笑み合う二人を見て、珠生はなんとなく照れてしまった。  と、同時に少し上の年代らしき職員たちと楽しげに盛り上がっている莉央を見つめる敦の目付きにも気づき、珠生ははっとした。  やっぱり、敦さんは莉央さんが好きなんだ。なるほど、こういうのに気づかなかったから、俺は鈍い鈍いって言われるわけか……と、一人で納得している。 「おお、彰」 と、舜平も彰に気づいて手を挙げる。同じテーブルで話し込んでいた佐久間、紺野、葉山、そしてもう一人見慣れない顔が一人。彰は珠生たちも引き連れてそのテーブルの方へ行くと、葉山の隣に腰を下ろした。 「佐為様、お疲れ様です」 と、佐久間や紺野、そしてもう一人の若い男は頭を下げる。彰は手でそれを制すと、おしぼりで手を拭って微笑む。 「やめてくださいよ、そんなの。それより、おなか空いたなぁ」 「適当に余ったもの、取ってありますけど」 と、葉山が一応それらしく盛りつけられた揚げ物やパスタ、煮込み料理やご飯物などを彰の前に並べる。そして、新しい瓶ビールを空けて見せた。 「あぁ、ありがとう。喉乾いてたんだ、こっちはやっぱ暑いね」 「季節が違うものね」  葉山に酌をしてもらってにこにこと食事をとりはじめた彰を見ていると、そこだけ別の世界のようにまとまっている。珠生たちは目を見合わせた。 「あ、はじめまして。俺、芹那総司といいます」  見慣れない顔の男は、珠生たちが自分のそばに座ったのを見ると姿勢を正し、そう名乗った。 「ここでは、俺も攻方に配置されています。明日からよろしくお願いします」  芹那は折り目正しく礼をして、珠生、湊、亜樹ときちんと目をあわせて微笑んだ。 「あ、僕も……。あの、紺野知弦と申します。まだ四月に配置されたばかりで、まだまだ不慣れですが、よろしくお願いします」  細い黒縁眼鏡のえらくスマートな男も、ぺこりと頭を下げてたどたどしく名を名乗った。 「僕は感知方の治療班です。葉山さんには非常にお世話になってまして……」 「俺は中学の頃に能力が目覚めて、ここの職員にある日突然補導された口なんで」 と、芹那総司がビールを飲みながらそう言った。 「じゃあ深春と一緒すね」 と、舜平はビールを注いでやりながらそう言った。 「そうなんすよ。まだちゃんと喋ってないけど、多分話合いそうだ」 と、芹那はからりと笑った。  芹那は短く刈った髪をつんつんに跳ねさせており、一見高校生くらいにしか見えないが、利発そうな顔立ちで、小動物のようにくりくりとした目をしている。何にでも関心を抱きそうな、若くてエネルギッシュなオーラにあふれた青年だ。 「芹那さんは、何歳なんですか?」 と、珠生はふとそんなことを尋ねた。 「俺は二十五歳っす。紺野の一個上ですよ」  珠生に話しかけられて少し舞い上がっているのか、芹那は頬を染めて上ずった声を出した。それを見ていた彰と葉山が少し笑う。 「いや、ほんとにきれいすっね。俺、噂には聞いてたけど、どうせ話だけだろって思ってて……」 「……俺のことですか?」 と、珠生。 「そうです。いや、芸能人みたいだ」 と、芹那はしげしげと珠生を見つめてため息をついた。 「千珠はもっときれいでしたよ」 と、舜平がからかうようにそう言うと、芹那はまた「羨ましいっす。まじで見たかったっす」としみじみ言った。 「珠生は今もかわいいよ」 と、なぜか彰がフォローを入れるので、珠生は眉を下げて苦笑した。 「佐為、来たんだね。久しぶり」  高遠雅人がビール瓶片手にやって来ると、芹那と紺野の間によっこらせ、と座った。 「二十歳になったんだって? おめでとう」 と、とくとくと彰にビールを注ぐ。 「ありがとうございます、風春さま。そういえば、お子さんがお生まれになったとか」 「うん、そうなんだよ。もうすぐ六ヶ月だ。可愛いもんでねぇ」  高遠は酔っ払っているのか、昼間の知的で上品な雰囲気は影を潜めており、ただ我が子可愛さにでれでれとする男親の顔になっている。赤い顔で携帯電話の待ち受けにしているわが子の写真をみんなに見せまくった。 「あら、可愛い。女の子ですか?」 と、葉山。 「ううん、男の子。よく間違われるよ〜」 「奥様、お一人で大変じゃありませんか?」 と、葉山は高遠にビールを注いでやりながらそう言った。 「そうなんだよねぇ、僕出張が多いだろ? 今は石川に出向という形だから、一緒についてきてくれてるんだけどさぁ」 「へぇ」 と、彰。 「もうちょっと大きくなってからだと、転校とかちょこちょこするのかわいそうだし、単身赴任かな。寂しいなぁ」 「風春さまは、生まれ変わっても詠子さまと結婚しようとか、そういう流れにはならなかったんですか?」 ふと、舜平がそんなことを尋ねた。高遠はにこにこしたまま、舜平の方を向く。 「うーん、僕らはそんなロマンチックな夫婦じゃなかったからねぇ。ただ陰陽師衆の繁栄のためにお互い頑張ったって感じで……。あ、もちろん詠子のことは愛していたし、大切にしてた。でも、やはり現世では立場も生まれも育ちも違うから、同じにはならないよ。常盤と出会った時、僕にはもう恋人もいたし、大体あんな美人になっちゃった詠子が、僕なんか相手にするわけないしね。あはははは〜〜」 「へぇ……」  舜平は頬杖をついて、ちらりと莉央の方を見た。 「それに、むしろ詠子の初恋は君だ。あのまま君が陰陽師衆に残れば、きっと詠子は君を選んでいたろうな」 「えっ」  芹那と紺野は顔を見合わせ、舜平と莉央をちらりと見比べている。亜樹も「へぇえ」と声を上げ、全員の目線が舜平に向いた。 「そういや、再会した時嬉しそうやったなぁ。珠生にはあんだけ毒づいてたけど、舜平にはうっとりしてたような」 と、湊。 「そうそう、この扱いの差は何だって思ったもんね」 と、珠生。 「ま、でも舜海は光政様の家臣だ。期間限定ってのは詠子様も分かっていたことだろうし」 と、冷静な声で彰がそう言う。 「それに、君にはもっと大切な物が国にあったものな」 と、更に小声でそんな事を言った。 「……」  舜平がやや赤くなって目をそらす。珠生はそんな舜平の顔を見て、少しうつむいた。 「なぁんだ、恋人いてはったんですか? 罪作りなひとやなぁ」 と、芹那が笑いながらそう言った。いつの間にか砕けた関西弁になっている。 「いや、そういう訳じゃないねんけどな」 と、舜平は苦笑する。 「はははっ、まぁ何にせよ。僕らは新しい人生を歩んでいるよ。でも今も、お互いのことは信頼してる。こうしてあの頃共に戦った仲間もいる。こんなに嬉しい再会はないな」  高遠は至極上機嫌で、ばしばしと芹那の背中を叩いた。こんなにも酔っ払っている高遠は珍しいらしく、芹那や紺野、葉山は苦笑しながら高遠を見守っているようだ。  新しい人生、か。と舜平は思った。  あの頃とは違う人生を、確かに自分たちは歩んでいるはずだ。なのに、今も心は千珠の鎖でがんじがらめだ。そしてそれを今も尚、心地いいと感じてしまう自分の心は、あの頃と何も変わっていない。  ふと目を上げて珠生を見る。  芹那、湊、亜樹と楽しげに喋っている笑顔は、やはりなんとも言えず美しい。  珠生の胡桃色の目が、すうっと舜平の方を向いた。  一瞬結び合う二人の視線。舜平は少しだけ微笑んで目をそらすと、高遠のわが子自慢の方へと混じっていく。  珠生も舜平に向いていた視線を一旦テーブルに落とすと、また何事もなかったかのようにそちらの会話に戻っていく。  絡みあう二人の目線に、気がつく者は誰もいなかった。   

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