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17、実技訓練
二日目の朝。攻方と感知方に分かれての訓練が始まった。
攻方には、常盤莉央・墨田敦・五條菜実樹・芹那総司・高遠雅臣・沖野珠生・織部深春、そして斎木彰がいる。全員がジャージ姿で、ぐるりと円形になって立ち並んでいる。そして、珠生は初めて話をする南波芳弘・中井実篤という、四十代前半と思しき男が二人並んだ。
そして、今日はここに相田舜平も混じっている。
明桜学園の高校ジャージ姿の彰は、一歩前に出て円の中心に立つと、皆をぐるりと見回して微笑んだ。
「みんな、昨日は良く眠れたかな。さて今日はまず、午前中いっぱい実技訓練だ」
ぎらぎらと太陽が照りつける砂浜にて、攻方の訓練は催されるが、今はホテルのロビーからプライベートビーチへ出るウッドデッキの上で、説明が行われている。そこから砂浜まで、階段が伸びているのだ。
「さて、ここに木刀がある」
ウッドデッキの上に積まれた木刀を指さして、彰は腰に手をやる。
「特別警護担当官の必須項目として剣道があるが、今日はその剣術と体術を組み合わせての戦闘訓練を行う」
剣道などやったことがない珠生と深春は、思わず顔を見合わせた。そんな様子を見て、彰は微笑む。
「実戦経験のある者になら分かるだろうが、実際の戦闘時は、試合のように挨拶を交わしてから何かが始まるわけではない。不意打ちもあるだろうし、逆にこちらから打って出ることだってあるだろう。剣を持っていたって、脚も出れば手も出る輩もいる。相手も必死だからね」
彰は一振の木刀を取り上げると、ぎゅっと握って横一文字に構えた。
「こういった方法での組手は初めてだという者もいるだろう。剣の動きだけに気を取られず、相手の気にも動きにも、全てに目を配ることが大切だ」
彰はいきなりその木刀を珠生に投げて寄越した。ぱし、と思わずそれを受け取った珠生は。きょとんとして彰を見つめた。
「組み合わせは僕と高遠さんで決めたよ。発表しよう。……まず、珠生は僕とだ」
「あっ、はい!」
「深春は高遠さんと。舜平は敦とだ」
「うす」
舜平と敦は同時にそう返事をして、互いにじろりと目を見合わせた。
「芹那と南波さん、五條と中井さん、常盤は初戦は観察。気になったことは全て言ってくれ」
「了解」
と、長い髪を結いあげてひっつめている莉央が、サングラスを上げてそう言った。
「まぁまずは、デモンストレーションだな。珠生、やるよ」
「え、あ、はい」
突然の指名に珠生は思わず緊張した。彰の背中を追って砂浜へと降りていきながら、珠生はふう、と息を吐いた。
「なんだい、緊張してんの?」
と、首だけで振り返った彰が笑う。
「ちょっと……」
「そういや僕と組手したことはなかったね。まぁお手柔らかに」
「こちらこそ。でも、先輩を蹴ったり殴ったり出来ないよ」
「まぁ僕も気は進まないけど……一応みんなに示しをつけるためにも、それなりにやらせてもらうよ」
浜へ降りて、彰と向き合う。
さらさらとした白い砂は、こんな時でなければなんとも心地良い感触だ。太陽の光を受けて細かく輝く白い粒の隙間に、ずぶずぶと足が沈む。ちなみに全員、裸足である。
白い綿の体操着に、珠生たちと同じ高校のジャージを履いて裾を捲っているいる彰を見ていると、高校二年生の時の球技大会を思い出す。技もキレもスピードもある彰ら三年生に、何もさせてもらえず負けたあの日のこと。余裕たっぷりの笑みを浮かべて、楽しげにプレイしていた彰の輝いていた顔を。
今日の彰もそんな顔をしていた。
そう言えば、彰はいつも陰陽術を駆使していたため、こうして実際に剣や拳でやりあうのは初めて見る。一体どんな動きをしてくるのかと、珠生はごくりと唾液を飲んだ。
彰は無形の位に構えたまま、笑みを浮かべて立っている。ざざ……と波の音が、二人の間に静かに漂った。
どう責めてくるかわからないなら、こちらから行こう。珠生はそう考えて、じり、と足に力を込めた。
しかしその途端、気づけば彰の顔が直ぐ目の前にあった。
「!」
最初は斬撃。珠生は咄嗟にそれを木刀で受けると、目を見開いて彰の動きの先を読もうとした。彰は相変わらず薄ら笑みを浮かべたまま、木刀で立て続けに珠生に攻め込んでくる。
「……くっ」
しかもその一撃一撃はかなりの重さだ。珠生はざっと砂を蹴って距離を取ると、三メートルほど離れて着地した。砂に足が取られて、思うように跳べないことにもたった今気がついた。
間髪入れずに彰も踏み込んできた。珠生はようやく気を取り直して、彰の木刀から身をかわして避ける。彰が木刀を振りぬいた時、珠生は身を低く屈め、その体勢から彰の懐に肘での攻撃を繰り出した。鳩尾に入ったその攻撃で、彰の顔がわずかに歪む。しかしただでは倒れない彰は素早く身を起こし、そこから距離を取ろうとしていた珠生のシャツの襟をがっと掴み、剣を捨てて背負投を繰り出してきたのだ。
「うわっ!!」
まさか柔術を仕掛けてくるとは思ってもおらず、珠生は素直に投げ飛ばされていた。背中から落ちる寸前、くるりと身を捻って砂地にぺったりと四足を付き、猫のような格好で彰を見上げた。
鳩尾を押さえながら、素早く剣をとった彰はざっと後ろに飛んで距離を取り、青眼の位に構えてじっと珠生を見据えている。
投げられた拍子に落とした珠生の木刀は、二人のちょうど真ん中のあたりに落ちている。珠生は素早くそれと彰との距離を測り、ざっと砂を蹴って木刀を握った。しかし同時に彰も踏み込んでおり、木刀を握ったばかりの珠生に思い切り斬りかかってくる。
「面っ!!」
「く……っ!!」
渾身の彰の一撃を、膝をついた状態で何とか止めると、珠生は歯を食いしばってそれを弾いた。彰はすぐに体勢を整え、またすぐに打ち込んでくる。行き着く間も与えぬ連続技に、珠生は防戦一方であった。
「打ってこい珠生! 君はこんなものじゃないだろう!!」
びしりとした彰の声に、珠生ははっとした。彰という慣れ親しんだ人間相手に、自分がどこか手を抜いていたことに気がついたのだ。
しかし、このままでは押される一方だ。彰は強い。
珠生はぐっと目に力を込めると、全てを見透かすような彰の鋭い視線に真っ向から応じた。
鋭い斬撃を繰り返していた彰の脇腹を狙って、珠生は膝蹴りを繰り出した。彰は肘を下げてそれを防いだものの、珠生の蹴りの重さに顔をしかめて歯を食いしばった。
「ぐっ……!」
その隙を狙い、珠生は彰の胴を薙ぎ払う。紙一重でそれを避けた彰のシャツが、珠生の木刀の切っ先でぴしっと裂けた。彰は砂に足を取られ、そのまま後ろに倒れ込みそうになったが、砂に背中をついてしまう手前で、珠生は彰の襟首を掴んだ。
彰ははっとして目を上げる。
珠生の木刀の切っ先が、すぐ目の前に迫ってピタリと止まっていた。襟首を掴まれ、眉間に切っ先をつきつけられた格好で、その試合は終わっていた。実戦でなら、すでに死んでいる。
「……参った」
彰は両手を降参のポーズに上げ、微笑んだ。
「君の勝ちだ。僕は死んだ」
「……あ」
珠生は慌てて木刀を投げ出すと、彰の襟を掴んでいた手をぱっと離した。彰は後ろ手に手をついて脚を投げ出すと、珠生を見上げて笑った。
「やっぱ強いな、珠生は。でも、本当のスピードはこんなもじゃないだろ?」
「い、いいえ……。あの、大丈夫ですか?」
珠生は切れて破れた彰のシャツを見下ろしてから、手を差し伸べて彰を立たせた。
「大丈夫。でも僕じゃなかったら、流血沙汰だな」
と、彰は事も無げに笑った。珠生は苦笑して、ぺこりと一礼する。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました」
彰もそれに礼を返すと、身を起こして他の面々の方を向いた。二人が砂浜一面を使って勝負していたため、彼らも必死でついてきていた様子であり、気づけば二人を大きく取り囲むようにして、皆じっと目を皿のようにしている。
「……とまぁこんな具合で、皆それぞれやってくれ」
「あの、佐為さま」
おずおずと声がして、最年長の中井実篤が手を上げた。
「何でしょう?」
「……俺、もう年かな。二人が何をやってたのか、よく見えなかったんだけど……」
と、目を細めたりこすったりしている。
「やばいなぁ、もう動体視力がついていってないのかも……」
「中井さん、大丈夫ですよ。この二人はちょっと異常ですから」
と、莉央が軽やかに砂を踏んで近づいてくる。
「異常って。まぁ、否定はしないけど」
と、彰は苦笑して珠生を見た。珠生も肩をすくめる。
「私たちはあんなに早くは動けなくて当然。中井さんは私達の剣道のお師匠でしょ。まだまだ教えてもらうことがたくさんあるんだから」
「そ、そうか。いやしかし、さすがは千珠さまと佐為さま。お見逸れいたした」
中井はやや生え際が怪しくなってきた頭の汗を、首に引っ掛けていたタオルで拭いながら、首を振った。
「君の動いているところを見るまで、俺は正直半信半疑だったけど……。本当に君は千珠さまなんですね」
中井は珠生をじっと見つめて、微笑んだ。珠生はぱちぱちと瞬きをしながら、莉央達の師であるというその穏やかな目をした男を見つめた。
「あ、はい……。そうなんです」
珠生の気の抜けた返事に、中井ははははと可笑しそうに笑う。
「もっと偉そうにしてくれてもいいんですよ。そうだ、俺が千珠だ、とか言っちゃったりして」
「いいえ、そんな……」
もじもじしている珠生を見て、側に来ていた南波もがははと笑った。
「なんやなんや、謙虚な子やなぁ!」
「可愛いだろ、珠生はこういう子なんだよ。仲良くしてやってくれたまえ」
と、彰が珠生の肩を抱き寄せながらそう言って笑う。
一列離れてそんな様子を見守っていた舜平と敦は、顔を見合わせる。
「なんや今度はオッサンをたらしこもうとしてないか?」
と、敦が顎を撫でながらニヤニヤしている。
「阿呆、そんなキモいことがあってたまるか」
と、舜平は渋い顔をする。
「しっかし、珠生の動きは知ってたけど、彰もかなりやな。あいつ、剣術や体術は出来ひんと思ってた」
舜平が珠生を撫で回している彰を見ながらそう言うと、敦はぶんぶんと手を振ってそれを否定する。
「何言うとるとか。あいつは中学生の頃から中井さんの指導受けてたし、佐為さまの頃から剣も強かったじゃろ?知らんのか?」
「知らへん。だって、あいつ稽古に誘ったら竹刀はちょっと、とかって断ってばっかりやったし」
「そら、今更竹刀もなかろうが。陰陽師衆の裏切り者や内通者なんかの粛清は、全部佐為さまがやっとったって藤原さんが前言っとったで」
「あぁ……そうやったな」
「そういう時は、術じゃなくて真剣を使うんやと。術を使えば、どうしても残滓が残って足がつくからってさ」
「へぇ……」
舜平は、人の輪の中で笑い合っている彰と珠生を見つめた。
珠生は珠生で、戦の時に殺めた数百の命への罪悪感に未だ苛まれる夜もある。落ち着いて見える彰も、きっと今だにそんな苦悩を夢に見ることもあるのだろう。
「……佐為、か」
「え?」
舜平の呟きを、敦が大声で聞き返す。舜平は顔をしかめて、煩そうに敦の顔を見た。
「よっしゃ、俺らもやるで!」
「ま、お前なんかには負けんけどな。剣道初心者なんじゃろ?」
と、敦はにやりとして木刀を握り締める。
「ど阿呆、俺は昔青葉で剣術教えててんぞ。お前なんかよりずっと出来るに決まってるやろ」
「はぁ?そら大昔の話じゃろ。現代でみっちり鍛えとった俺に敵うわけなかろうが!」
「んだとコラ、やんのか?」
「おおやったろうやないか!」
メンチを切りあっている舜平と敦のそばに、莉央はつかつかと近寄ってきた。そして、二人の頭を持っていたクリップボードで思い切り叩く。
「こら、五月蝿い! やるならやるで、とっとと剣で語り合いなさいよ!」
「いってぇ!」
「何すんねん!」
「もうみんな散ってるわ。あんたたちだけよ、口でやりあってる馬鹿は」
「あれ」
広い砂浜では、気づけば皆がそれぞれに組手を始めていた。莉央は完全に二人を馬鹿にした目付きで、腕組みをしている。
「……これからやるねん」
「そうじゃ、今からやろうと思っとったとこじゃい」
「はいはい、ならとっととやんなさい」
莉央はサングラスをかけ直すと、皆の様子を観察すべく、さっさと行ってしまった。
出足をくじかれた二人は、お互いにまたじろりと睨み合った。
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