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24、手を繋いで

 その後、珠生たちは海から上がってきた彰や葉山、莉央や敦、そして芹那、菜実樹らの年の若い者たちと共に、浜辺でしばらく円陣ビーチバレーに興じた。  ボールを落としたら罰ゲームという古典的なルールを作っていたため、皆が必死になってボールを追いかけていた。しかし、全員がやたらと身体能力が高いため、小一時間ほど勝負がつかなかった。  結局、砂に足を取られた敦がボールを取り落す格好となり、罰ゲームとして、今をときめくお笑い芸人のモノマネをすることとなった。  流行りに敏感な舜平や深春、亜樹や芹那らは笑っていたが、お笑い番組を見ない珠生はそのネタが分からず、きょとんとするしかない。笑いにきびしい湊は腕組みをして首を振っているし、日本のお笑いなど知るはずもない莉央はつまらなそうに大あくび。葉山と菜実樹は一応拍手をしているが、目は笑っていなかった。  皆のぬるい反応に敦が憤慨しているのを見て、皆が笑った。  こんなふうに身体を動かしながら笑ったのは、一体いつぶりだろうかと珠生は思った。幼い頃から、こんなふうに沢山の人と遊んだことなどなかったし、他人と過ごすことを楽しいと思えるような体験など、してこなかった。  戦いと戦いの隙間の、穏やかな時間。たくさんの過去や、守るべきものを共有する仲間たちとの楽しい時間は、自分にとってとても貴重なものだと珠生は思った。  あっという間に夕暮れ時となり、大人組は疲れたと言って部屋へ上がっていってしまった。しばらくビーチに残っておしゃべりをしていた若者組であったが、湊や亜樹は日に焼けてくたびれてしまったと言い、深春も腹が減ったと言って、それぞれ部屋へと戻っていった。そのため、ビーチには珠生だけが残っている。  珠生は砂浜に一人佇んで、ぼんやりと暮れていく空を見つめていた。  海の中に夕日が落ちていく。真っ赤に燃え上がるような色の太陽が、凪いだ海の中へと沈んでいく。透き通る空にたなびく雲は、まるで巨大な龍のよう。そう、炎の中を泳ぐ龍だ。しかしそんな炎も、すぐに群青色の夜空によって鎮められていく……。  一番星がきらめいた。  空に踊っていた龍の姿は、かき消えるように形を変えていく。 「珠生、まだおったんか」 「……あ、舜平さん」 「何してんねん。そろそろシャワー浴びた方がいいんちゃうか? 夕飯の時間もあるし」 「あ、うん……ちょっとね。空の色が……なんか、懐かしくて」 「懐かしい?」  舜平はすでにシャワーを浴びてきたらしく、こざっぱりとしたTシャツとジーパンという気楽な格好をしていた。思いがけず二人きりになれたことが嬉しくて、二人は目を見合わせてちょっと照れ笑いをした。 「なんだか、昔もこんな空を見ていたような気がして」 「……そっか。確かに、今日は空が澄んでるな。昔は、今よりもずっと空が高かったような気がする」 「だよね」  珠生と並んで空を見上げる舜平の横顔を、珠生は無意識のうちにじっと見つめていた。シャワーで濡れた前髪をオールバックにしている舜平の姿はとても大人びていて、なんだか無性にドキドキしてしまう。  すると舜平が、くるりと珠生のほうへ顔を向けた。 「珠生、ちょっとそのへん、歩かへん?」 「え? ……あ、うん」 「夕暮れ時の海、好きやねん。俺」 「……あ、そうなんだ」  先に立って歩き出す舜平の背中を追って、珠生もゆっくりと歩き出した。昼間、皆で激しく打ち合いをした波打ち際は、今はとても静かである。穏やかな波の音が、とても耳に心地がいい。 「お前、強うなったな」 「え?」 「霊気と妖気のバランスが落ち着いてるな。危うさがなくなった」 「そりゃ、将太さんといっぱい修行したからね」 「せやな。……あ、そういえば兄貴がな、お前とゆっくり飯でも食いながら喋りたいって言っとったわ」 「へぇ、将太さんが?」 「兄貴だけじゃないねん。おかんもおとんも、またお前連れてこいって、めっちゃうるさいねんで」 「……あ、そうなんだ。あは、なんか照れるな」 「この一件が落ち着いたら、また遊びに来いよ」 「うん、そうだね」  この一件が落ち着いたら……それはいつのことだろうかと、珠生はふと考えてしまった。その頃には、舜平の霊力は戻っているのだろうか。誰一人欠けることなく、元の生活に戻ることができているのだろうか……。   そんなことを考えていると、足がいつしか止まってしまっていた。舜平も同じように歩みを止め、少し後ろを歩いていた珠生を振り返る。 「……ごめんな、珠生」 「えっ……な、なんで謝るの」 「あの時の油断を、今でもめっちゃ悔しいと思う。水無瀬菊江の姿形に惑わされず、あいつを退けられていたら……ってな」 「そんな……」  舜平は力なく微笑み、こわばった表情を浮かべている珠生の頬をそっと撫でた。空は次第に夜色となり、二人の足元にも夜の海が忍び寄る。 「舜平さんは、悪くない。……それに、舜平さんは俺を止めてくれたじゃないか。おかげで、紗夜香さんを殺さずに済んだ」 「……」 「言ったろ? 舜平さんの霊力は、俺が必ず取り戻すって」 「……うん、せやな」 「だから……そんな弱気な顔しないでよ。なんか……また俺から離れて行っちゃうんじゃないかって、不安になる」 「……え」  舜平ははっとして、珠生の顔を見つめた。  珠生は眉根をきつく寄せ、涙を堪えるような表情で舜平を見上げている。  ――泣きそうな顔してる……。珠生にも、無理させてしもてるんやな……。  舜平は手を伸ばし、珠生の手をぎゅっと握った。そしてぐいっと珠生の体を抱き寄せて、海水に洗われた珠生の髪の毛に頬を寄せる。 「離れるわけないやん。俺だってもう、あんな想いはしたくない」 「……本当かよ」 「ほんまやって。けど、いざって時、なんの力にもなれへんかもしれんけど……」 「そんなことない!! 俺は……、俺……!」  舜平さんには負担をかけない、そのために俺は強くなった。いざという時は、俺が舜平さんを守るから……ふと、珠生の脳裏にはそんな言葉が浮かぶ。でもそれを口にしてはいけない気がして、珠生は口を開いたまま息を止めた。  違う、そんなことじゃない。もっともっと伝えたいことは山のようにあるのに、うまい言葉が見つからない。珠生はもどかしさのあまり唇を噛み、ぎゅっと目を閉じて俯いた。  舜平に握られた手をぎゅっと握り返すと、舜平の指がぴくりと動いた。  大きな手に包み込まれ、指と指が絡まり合う。  舜平の親指がゆっくりと動き、珠生の指を柔らかく撫でた。  たったそれだけの動きだが、舜平の気持ちが流れ込んでくるような気がした。  『ごめん』と『ありがとう』。  そして『お前の気持ちは、分かってる』……そう、言われているような気がした。 「……手、繋ぐんとか、はじめてちゃうか」 「……あ……うん……」 「お前、手ぇ小さいな」 「うっ、うるさいな! 舜平さんのがでっかいだけだろ」 「そうか? ……昔は鉤爪があったのに、今はほんま、ただの可愛い手やな」 「可愛いとか言われると腹立つんですけど」 「ははっ、すまんすまん」  そんな会話を交わしながら、舜平はしっかりと珠生と指を絡めて、再び砂浜を歩き始めた。 「だ、誰か見てるかも……」 「別にええやん、もう」 「でも」 「好きやで、珠生」 「っ……な、なんだよいきなり」 「愛してる。……ほんまに」 「……な、な、なんで、いきなりそんな……」  舜平はいつもこうして、不意打ちで気持ちを伝えてくる。びっくりもするけれど、舜平から与えられる愛の言葉は、珠生の心を確実に強くする。  ――俺だって、舜平さんのことが好きだ。愛おしいと思ってる。もっと、それをうまく言葉にできたらいいのに……。  そんな気持ちを抱えながら、珠生はぎゅっと舜平の手を握りしめた。すると舜平は軽やかな笑い声を立て、こう言った。 「分かってる分かってる。お前も俺のこと大好きなんやろ」 「っ……な、なん、なんだよそれっ……」 「無理してなんか言おうとせんでもいいよ。千珠だったころも、お前は肝心なことほど言葉にできひんかったもんな」 「……うう」 「それでいい。……ただ、お前が笑って俺のそばにいてくれたら、めっちゃ嬉しい……。それだけや」 「……うん。……うん」  珠生と舜平は手を繋いだまま、そうしてしばらく黄昏時の浜辺を歩いた。  ――ずっとこのままここで二人きり、手を繋いでいたい……。  ふたりは同じ想いを胸に抱えつつ、空に増えゆく星を見上げた。

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