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25、実戦訓練

 そして、翌朝。  訓練最終日。全員が朝から砂浜に集合していた。  皆が揃ったのを確認すると、彰、高遠、莉央の三人が皆の前に立つ。すると、ざわざわとしていた集団が静かになった。 「さて、今日は実戦を想定しての模擬戦闘訓練を行います」 と、高遠は爽やかな笑顔を浮かべてそう言った。 「今打つべきは水無瀬菊江だが、あの女は自分で攻撃を仕掛けてくるのではなく、使い魔を利用してこちらに仕掛けてくる。祓い人は、いかに強い式を使役するかということで、その能力を競っていたからね。つまり、僕らが実際に相手にしなければならないのは、あの女ではなく妖だ」 と、今度は彰がそう言った。 「そこで、今日は敵・味方役に分かれての実戦訓練を行う。互いの癖や弱点を見出し、そこを補強していくのが目的だ。こういう訓練は派手になるから、なかなか街中では行うことができない。この機会を生かして、皆本気を出すように」 と、彰が言った。 「外への影響を考えて、感知方の結界班から三名、人払い結界を張っておいて」 と、莉央。 「実戦後、その場でブリーフィングを行い、意見交換をしましょう。そして午後は、反省点を踏まえてもう一度戦闘訓練だ」 と、高遠。こうして並んでいるのを見ると、高遠よりも莉央のほうが背が高いことに、珠生は気づいてしまった。 「陰陽術を使ってもいいということですよね」 と、手を挙げて佐久間がそう尋ねた。 「そう。本気でやるんだ」 と、高遠は頷く。 「では、配役について発表する。まず、敵役だけど」  彰は最前列に立っている珠生と深春を見て、にっこり笑った。 「沖野珠生、織部深春。以上」 「え?」 「俺らだけ?」  二人は顔を見合わせて、きょとんとしている。構わず彰は続けた。 「陰陽師衆からは二十名、人を出せ。攻方は全員参加、結界班からは十五名、後方として治療班も準備をしておくんだ」 「はい」  大人たちの声が、揃って彰の言葉に返事を返す。 「舜平と湊、亜樹はひとまず観察だ。この訓練を見て、自分がどこに介入していけるかというのを考えておくように」 「はい」 「あのう……」 と、珠生がおずおずと声を発した。 「二十対二ってことですか?」 「そうだよ。あ、君は木刀使っていいからね」 「はぁ」 「君たち二人は、協力して陰陽師衆を倒そうとかは考えなくてもいいよ。君たちを敵の妖と想定しているわけだけど、妖は相手と組んで戦おうなんていう思想は持たない生き物だからさ」 「まぁ、そうでしょうね」 「ただ、能登の妖は強い。雷燕とやったことのある珠生なら分かるだろう」 「はい」 「珠生は初日のイメージトレーニングで敵の出方を考えるように言っておいただろ、あれを今ここで披露すればいいんだよ。一番敵をよく知る君が適任だ」 「なるほど」 「そして妖は複数で現れる可能性も高いからね、深春も敵にまわってもらうよ」 「俺はいいっすよ」 「ありがとう。……この訓練にはルールを設けることにしている。まずひとつ、我々陰陽師衆は、大将を一人立てて、その人物を死守すること。君たちのどちらかが、その大将を捕らえることができたら君らの勝ち」 と、彰が人差し指を立てて説明する。  全員がざわざわと早速何やら作戦を話しあい始めるのを聞いて、珠生はまた尋ねた。 「まだあるんですか?」 「うん、ふたつめは、珠生はこの襷を身に着けて戦う」 と、彰から手渡されたのは、リレーでアンカーの選手が身に着けて疾走るときに使う、カラフルな赤い襷だった。珠生はそれを受け取って、また彰を見上げる。 「この襷を奪われた時点で、君らの負け。いいかい?」 「なるほど……殺さずとも自由を奪って身柄を拘束できたらいいってことですか」 と、湊。 「その通り。できるだけ、殺生は避けたいんだ」 と、彰は微笑む。 「よーするに、俺は大将狙っていけばいいんだな」 と、深春。 「ま、そういうこと」 「なるほどね、大将とったら勝ちか。よっしゃぁ、全員ぶっ倒す」 「……」  背後に並んでいた陰陽師たちが青くなるのを見て、彰は苦笑しつつ頷いた。 「じゃあそれでいこうか。珠生、深春、せいぜいみんなをいじめてやれ」 「分かりました」 「おう」  二人は顔を見合わせて笑い合った。  +  どぉん……と空気が重々しく震える音が響き、もくもくと土煙が湧き上がった。海を横手に、南北に向かって横一列に並んだ揃いの黒いジャージ姿の陰陽師たちは、油断のない表情で印を結んでいる。  陰陽師たちは砂浜を目一杯に使って陣を敷き、次にどこからやって来るともわからない攻撃に備えて、身構えている。 「休まず防壁を張っておけ! どっから誰が出てくるか分かれへんからな!」 と、南波が大声で背後に居並ぶ結界班の面子に向かってそう命じると、皆が一斉に同じ印を結んだ。  その時、きら……っ、と何かが土煙の中できらめいた。  前線に立つ攻方の面々はさっと視線を巡らせて、印を素早く結ぶ。 「陰陽五行、白雷光!! 急急如律令!」 「紅蓮閃火!! 急急如律令!」  五條菜実樹と芹那総司の声が鋭く響くと同時に、土煙を切り裂いて、中から白い閃光のように珠生が姿を現した。  まるで風のような素早い動きで、珠生は芹那の懐に入り込み、ぎょっとした顔をしている芹那に向かってにやりと笑ってみせた。術を放ったばかりで隙だらけの芹那は、珠生の拳をわき腹にもろに喰らってしまい、膝を折ってその場に倒れこんでしまった。珠生はそのまま勢いに乗り、芹那の隣に立っていた敦に木刀で斬りかかる。 「ぐっ……くっそ!!」  珠生の重い一刀を木刀で防ぐ。敦はその攻撃の重さに驚愕しつつも、歯を食いしばってその重圧に耐えた。珠生の鋭い視線が不意に逸れたかと思うと、珠生は突然身を翻し、今度は敦の脇腹を思い切り蹴り上げて、またふっと姿を消した。 「っぐぅ……!」 「陰陽・黒槍!! 急急如律令!!」  敦が崩れ落ちるのと同時に、今しがたまで珠生がいた場所に黒い槍が鋭く突き立つ。その術を放ったのは莉央だ。そこに珠生がいないのを見て、莉央はちっと舌打ちをした。  前線の一角が崩れたことで、その背後にいた結界班、赤松幹久の顔が驚愕に歪む。瞬きをした瞬間、目の前で剣閃が光った。  赤松、紺野、更科が張っていた結界術が、珠生によって一刀両断されたのだ。  中心にいた赤松を見据える珠生の瞳が、一瞬琥珀色に光って見えた。 「うわぁあ!」 と、紺野が思わず尻餅をついたことで、そこにあった結界が霧散する。更科と赤松はすぐさま印を結び直そうとしたが、珠生はその隙を与えず斬りかかり、思わず抜刀させられた二人から陰陽術を奪う。両手で印を結べなければ、陰陽術は発動できないのだ。  珠生は勝気に唇を釣り上げて笑うと、迷うことなく陰陽師衆の中へと斬りこんでいった。 「二班!! 備えろ!!」  莉央の鋭い号令が響き、その後ろに控えていた後続が再び印を結び、詠唱する。第二班の攻方は、高遠と中井。そして結界班は葉山を中心にして陣を広げている。珠生は最前線に立っている高遠を見据えながら、砂を蹴って疾走った。  裸足の裏が、熱い砂を感じている。妖力を開放し、刀を翻しながら疾走る珠生の全身は、高揚していた。  ――気持ちが良い。思いのままに動けることが、こんなにも気持ちがいいなんて。 「黒城牢!! 急急如律令!!」  天から、黒金の檻が唸りを上げて降ってくるのを見上げ、珠生はざっと横っ飛びに砂を蹴った。しかし珠生が降り立ったには、すでに他の術式が敷かれていた。  白い砂浜の上に、網目状に術式が描かれていることに気づかなかった。砂の上に、突如として術式が浮かび上がる。その術式を発動させるのは、葉山だ。 「結界術、網干!! 急急如律令!!」  まるで投網が砂浜に埋まっていたかのようだった。珠生は金色の縄に足下を掬われて、思わずその場に膝をつく。ぼこぼこと砂から生まれる金色の網が、ぐるぐると珠生の身体を縛り付けて行くのを見て、高遠は手を掲げた。 「もう一発! 捕らえろ!!」 「結界術、虫網!! 急急如律令!」  更科が声高に詠唱し、さらなる術を珠生へとぶつける。 「くっそ……! 深春!!」 「ぅおらぁああ!!」  珠生の背後で敦と莉央を相手にしていた深春が、だんっと砂浜を蹴って高く跳んだ。珠生の前に降り立った深春は、間髪おかずに高遠に斬りかかる。  全身に青黒い妖気をまとった深春の木刀は、まるで真剣のような切れ味だ。その剣を受けた高遠の木刀がみしりと音を立てた直後粉砕し、真っ二つになってしまった。  高遠を打ち倒した深春は、その背後にいた葉山と更科の前に立ちはだかる。すると、突然膝をついて、砂地に拳を打ち付けた。まるで砂自体が爆ぜるように二人の前の地面が抉れ、葉山たちは悲鳴を上げて尻餅をつく。二人の手を離れた術式は、すうっと霧散して消えた。  珠生は結界術の残滓を拭い去るようにして立ち上がると、今度は背後から攻めてこようとしていた敦と莉央に向きなおる。  はぁはぁと肩で息をしている二人とは対照的に、珠生はまるで呼吸を乱していなかった。  莉央は悔しげに歯を食いしばると、すぐさま印を結ぶ。 「土爆天閃!! 急急如律令!!」  容赦のない莉央の術は、彰が放つ術と同じくらいの速さと大きさだ。どどどぉおんん!! と苛烈な威力で襲い掛かってくる爆発を、珠生は唇に笑みを乗せたまま、ひらりひらりと身をかわして避けつづけた。 「深春! 突っ切ってもいい! 行け!」 「よっしゃぁ!」 「行かせるかぁ!!」 と、目をぎらつかせて珠生に襲いかかるのは、再び莉央である。莉央は素早く複雑な印を結ぶと、声高に詠唱した。 「陰陽閻矢百万遍!! 急急如律令!!」 「おい、こんなとこでそんな技!」  燃え上がるような莉央の霊気を、敦が目を剥いて止めようとした。それは陰陽師衆の中でも彰や藤原など限られたものしか使うことのできない大技の一つであるが、莉央にとっては得意技だ。しかしそれは、訓練という場で使うにはあまりに大きく、危険な術式でもある。  莉央の背後から数千の破魔矢が生まれ、それが一斉に珠生に向かって鋭く飛んだ。  珠生ははっとして目を見開いたが、それを避け切れないと判断したのか、木刀を横一文字に両手で携える。  ぶわっ……と珠生の妖気が燃え上がり、青白い炎がその身を包んだ。素足にまとわりついていた砂粒が全て燃え上がり、まるで竜巻のような妖気が珠生を包み込む。 「いけん! 避けろ!!」 と、敦が思わず叫んだ途端、莉央の矢が全て珠生に襲いかかった。  しかしその矢はことごとく、珠生の妖気に焼かれて溶けるように消えた。じゅうぅう……と白煙を上げて消えていく術を、莉央は驚愕に歪んだ表情で見つめた。 「……なん、なのよ……これは」  全てを焼き尽くすかのような青白い妖気に包まれた珠生の表情は、ぞっとするほどに美しかった。莉央はごくりと唾を飲み、ぐっと拳を握り締める。 「……へぇ、こんなもんか。あんたの本気は」 「んなっ……んですってぇええ!!?」 「ふん、口ほどにもない」  珠生は勝気に笑ってそう言った。  その表情に、莉央ははっきりと千珠の顔を見た気がしていた。普段はおとなしく従順な珠生とはかけ離れた、人を小馬鹿にしたような高慢な笑み。自分の力に絶対の自信を持つ、あの美しい小鬼の顔だ。 「そんなんじゃ、俺は倒せないし捕まえられないよ」  そう言って、珠生はかき消すように姿を消す。その素早さにも、莉央は驚くことしかできなかった。 「何なのよ……もう、人間じゃないじゃない……」 「何を今更! ほれ! 俺らも大将守りに行くぞ!」  あまりの力量差を見せつけられて気が抜けてしまっている莉央の腕を掴み、敦はそう怒鳴りつけた。そして、敦は砂を蹴散らして走りだす。

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