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十一、珠生の進言

 珠生の懸念事項は、職員間の会議の中でも挙がったという。  深春が雷燕の憑座になりかねないということを危険視する声も多く、明朝にも北陸への増員が送られることとなったということだった。  そしてそのメンバーの中に、珠生を入れるべきだという声も多く上がっていたと彰は話した。  一番にそれを言い出したのは藍沢であるらしい。沖縄実践訓練の話を聞いた藍沢は、『深春と敵対した場合、真っ向からやりあえるのは珠生だけではないか』と進言したとのことであった。  しかし、安全の保証もなく、なんの準備もなく、学生の珠生を連れて行くのは色々と問題があるという意見もあり、明日から数日の内に地盤を固め、週末にでも珠生を呼び寄せようという話が、当の本人抜きで進められたとのことだった。  藤原と彰からそんな話を聞いた珠生は、一も二もなく引き受けた。もう夏休みに入っているのだ、父親には、旅行に行くとでも伝えておけば問題はない。 「僕はまだ講義があるから、珠生と一緒に行くからね」 と、彰はそう言った。  藤原は始終すっきりとしない表情のまま、人のはけた道場の上座にあぐらをかき、疲れたようにため息をつく。 「すまないね、私がついていながら」  そのそばで車座になり話をしていた若者たちが、そろって藤原を見上げた。 「業平様がいたからこの程度で済んだんでしょう。紺野さんも目を覚ましたということだし」 と、彰が微笑む。 「そうですよ。どうしはったんですか? なんかいつもより疲れてはるような感じですけど」  舜平にそう言われて、藤原は弱々しく微笑んだ。珠生はそっと振り返って藤原を見上げ、いつもの張りが殆ど見られない姿に少し驚く。 「……なぜかな、深春くんにはどうしても、息子の姿を重ねてしまうんだ。あの子は、父親を求めてた。なのに私は……何も応えてやることができなかった。私はどこかで、深春くんに父親っぽいことをすることで、何かを埋めようとしていたような気がするよ」 「埋める……?」 と、湊。 「……離婚、したんだ。息子のことも手放した」 「え……」  その事実には、一同が唖然とする。彰も知らなかったらしく、表情を少しばかり硬くした。 「だからだろうな。深春くんには精一杯のことをしてやりたい、本当のお父さんが出来なかったことも……なんて都合のいいことを考えていたような気がする。その結果、冷静に観察していなければならなかった彼の気の揺らぎを見逃した。……藍沢のことも、もっと慎重に伝えるべきだったのに配慮に欠いた。私自身、バランスが全く取れていなかったんだ。本当に、申し訳ないことをした」  俯きがちにそんな話をする藤原を、皆がしんとなって見つめている。  夜闇から虫の声だけが、涼しげに聞こえてくる。雨が上がったらしい。  ふと、珠生は立ち上がって藤原のもとに歩み寄った。皆が珠生の動きを見つめ、藤原も顔を上げる。 「藤原さん、今回は能登へ行かないほうがいいと思います」  珠生は静かな声で、静かな表情で、藤原にそう告げた。やや驚いたように目を見張る藤原を見下ろしたまま、珠生は続けた。 「俺が言うなって感じですけど……藤原さんは、今回冷静に事に当たることが出来ないような気がします」 「……珠生?」  彰が腰を浮かす。 「深春のことは、俺が必ず止めます。いつか、約束したことがあるんです。もしもこうなった時、全力であいつを倒して止めるって」 「……」  藤原はじっと珠生を見あげて、何も言わない。 「もし本当に、深春に対して父親っぽいことをしてやりたいっていうんだったら、堂々とそう宣言して、深春を守ってやってください。もし手に負えないって思うんだったら、もうやめてやってください。じゃないと、深春も混乱してしまうから」 「……そうだな」 「俺の両親も離婚してるから、家庭それぞれで事情があるってことは分かります。でも、深春は……愛情っていうものにすごく敏感なんだ。だから……中途半端なことは、しないで欲しいんです」 「……分かった」  藤原は珠生を見上げたまま、ふっと微笑んだ。珠生は固い表情のまま、ぎゅっと拳を握り締める。 「……すいません、生意気をいいました」 「いや、いいんだ。君の言うことは正しい。私も、少しけじめを持たなければいけないな」  ゆっくりと立ち上がった藤原は、珠生の肩にぽんと手を置いた。 「なぜかな、今の君の姿、千珠さまとだぶって見えた。きっと彼も、同じ事を言っただろうね」 「……ええ」 「あの時も、夜顔のことは千珠さまに一任した。雷燕のことも、君に大いに頼ってしまった。そして今回も……」 「俺はそれで構いませんよ。夜顔と俺の中にも、きっと何かしらの因縁があるんです。あの頃から、ずっと」 「そうかもしれないな」 「だから今回も、俺に任せてください。必ず、深春を取り戻します」  決意に満ちた珠生の言葉に、藤原は表情を緩めてため息をついた。そして、ゆっくりと珠生に向かって頭を垂れる。 「……よろしく頼むよ」  +  舜平の車の中、珠生は頬杖をついて窓の外を眺めたまま口を開かなかった。湊は後部座席からそんな珠生の横顔を見つめて、さっきの珠生の様子を思い出す。  ――……藤原さんの言うとおり、ほんまに千珠さまの顔に見えたな……。  今も、どことなく珠生の横顔は千珠の表情とだぶって見える。  千珠と珠生の顔立ちは、勿論異なる。  やや吊り気味で猫のような目をしていた千珠と、穏やかそうなアーモンド型の目をした珠生。一見人を寄せ付けにくいほどに冷たく整った顔立ちだった千珠と、男女問わず可愛いと構いたがられるような顔立ちの珠生。当然のことながら、二人の容姿は大きく異なっている。  しかしさっきから、珠生の目つきはどう見ても千珠のものと近づいてきているように見える。  雷燕のいる地へ赴くと決まったことで、珠生の中で何かが変わったのだろうか。 「……珠生」 「……えっ?」 「バイト、慣れた?」 「あ、うん。けっこう楽しいよ。和菓子美味しいし」 「そうか。能登へ行く間、休めるん?」 「んー……大丈夫だと思うけど」  淡々とした会話をしていると、いくらか珠生の目つきはいつも通りのものに戻ってくるようだった。舜平はちらりとそんなやりとりを横目に見たが、何も言わない。  先に珠生を自宅に送り届けると、またぱらぱらと雨が降ってきた。軽い挨拶のみで、雨を避けるように珠生は小走りにマンションへと消えていった。 「なぁ舜平」 「ん?」 「あいつ……大丈夫かな」 「なんで?」  車をスタートさせながら、舜平は湊に助手席に移ってくるように軽く顎をしゃくった。 「藤原さんも言ってたけど、俺も珠生が千珠さまに見えてんな」 「あぁ……。俺もや。それに、昨日深春がいなくなったあとも、そんなふうに見えた」 「まじか。それってさ、また妖気のバランスが崩れてるとかそういうことじゃないよな」 「そんな感じはせぇへんけどな。気持の問題かもしれへんな」 「気持ちかぁ」  舜平はゆっくりとワイパーが動くフロントガラスを見つめながら、赤信号で停車する。 「能登で……千珠は一回死んでる」 「あぁ……そうやな。あかんわ、思い出したくもない」 と、湊は首を振った。 「今回は一体、何と戦わなあかんのかも分からへん。深春かもしれんし、深春に宿った雷燕かもしれん……珠生なりに、覚悟が必要やろう」 「せやから、あの頃にだいぶ立ち戻ってるってこと?」 「そうちゃうかな」  舜平は再びアクセルを踏むと、青信号の烏丸通を南下する。湊は小難しげな顔をして、眼鏡をくいと押し上げる。 「今回、俺らは同行できひんのかな」 「……まぁ、霊力のない俺らが行ったところでってのはあるけど……。でも俺は、行くで。昔を知ってる俺が行って、何か役に立てることもあるかもしれへん」 「行くんか?」 「お前も行くやろ?」  当然のようにそう聞かれ、湊は驚いたように舜平を見た。そして、ふっと笑う。 「当たり前やろ。俺を誰やと思ってんねん。千珠さまのお守りは俺にしか出来ひんねん」 「ははっ、いまだにお守りか」  二人の顔に笑みが浮かぶ。  ばたばたと強くなった雨がフロントガラスを叩く音を聞きながら、二人は能登へ向かう算段について話しあった。

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