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十二、隠れ家

 長い長いドライブの果てに、深春は裏寂しい山間の集落へと連れてこられていた。  車を降りると、海の気配がした。京都住まいの長い深春が触れたことのないような、本物の海の気配が。  曇り空にぬるい風、その中に潮の香りがする。  それをとても、懐かしいと感じた。  思い出したくもない過去を引きずり出すような匂いだというのに、深春の身体はそれをどこかで懐かしんでいる。  山の中にある古いロッジのような建物を振り返ると、拓人という男はさっさと階段を登って、年季の入った木の扉に鍵を差し込んでいる。楓はうーんと身体を伸ばしながら唸った。 「ここで、俺と拓人は暮らしてるんや」  ロッジを見上げていた深春に、楓はそう声を掛けた。辺りを見回すも、深い木々に囲まれている風景しかそこにはない。空が暗いせいもあり、手入れもされず鬱蒼と茂っている木々は、不気味だった。 「……能登の祓い人だろ。もっと仲間がいっぱいいんじゃねぇのかよ」 と、深春は薄ら寒さに腕をさすりながらそう言った。 「あー、奴らはもっと山奥に住んでる」 「家族は?」 「家族ね」  楓はくくっと笑うと、革ジャンのポケットに手を突っ込んで深春を見た。 「俺たちに特定の親はいねぇよ。生まれた子どもは里の子ども。子どもは一箇所に集められて育てられるんだ、施設みたいにな」 「……何でだよ」 「生まれつき霊力の認められた子どもは、すぐさま祓い人としての修行を始めるのさ。そうじゃない子どもは、普通の人生歩めるっていうのによ」 「水無瀬紗夜香、あいつもそうなのか?」 「あぁ、紗夜香ね。親父がわりとまっとうな男だったから、こんな不気味なところ嫌になったんだろうさ。噂によれば、千珠さまに骨抜きにされてるって? 馬鹿な女だね」 「……紗夜香は、水無瀬菊江を母親だって言ってたぞ」 「父親にそう言い聞かせられたんだろ。まぁ実際、紗夜香を産んだのは菊江だ。ちなみに、そこの拓人を産んだのもな」 「え。じゃあ……紗夜香の兄貴ってこと……?」 「まぁね。でも拓人は、俺たちとの暮らしを選んだんだ。霊力のない父親の言葉になんか、耳も貸さなかった。俺たちと同様、里の子どもになることを選んだのさ」  楓は薄ら笑みを浮かべたまま、淡々とそう説明する。深春はこの現代社会において、そんなことをいまだに続けているこの集団にも、また不気味さを感じていた。 「おい、早く入れよ。ここは夏でも寒いんだから」 と、拓人が顔を出し、二人を中へと招き入れた。  +  ロッジの中は、思った以上に快適に整えられていた。  天井が高く、二階はロフト状になっているらしい。十帖ほどの広さだろうか、ストーブの周りを囲うように二人掛け、一人掛け、ロッキングチェアが並べられ、その下にも絨毯が敷き詰められている。まだ七月末。薪ストーブは当然のごとく沈黙したままだ。  奥にはキッチンがあり、冷蔵庫や電子レンジなどの家電製品もきちんと整えられていた。拓人は盆の上に並べたマグカップに湯を注ぐと、軽く混ぜて深春に手渡す。インスタントのコーヒーだった。 「疲れたろ、五、六時間は車に揺られてたわけだし」  拓人は細い銀縁眼鏡の奥で穏やかそうな目を細め、深春にそう言った。 「……いや」  スポーツタイプの腕時計を見ると、時刻は午後一時過ぎだ。途中、サービスエリアで呑気に朝食などを食べたりしていた二人は、追手がかかることなどまるで考えもしていないような余裕っぷりを見せていた。  京都を出たのが明け方、それがえらく遠い過去のような気がしてくる。 「二階にベッドがある。ちょっと寝ててもいいで」 「……眠くない。それより、俺はこれから何をすりゃいいんだ?」 「まぁ、そう急くなよ」  楓はコーヒーを啜りながら、古めかしい革張りのソファにゆったりと腰掛けて足を組んだ。 「ちょっと見てもらいたいもんがある。でも、こっからまた車に揺られねぇとだから、ちょっと休憩したいんだよ」 「午後はお前が運転しろよ」 と、拓人が楓を軽く睨んだ。 「分かった分かった」 「見てもらいたいもんって?」  深春も一人がけのソファに腰掛けると、先を急ぐように楓に尋ねた。 「だからそう急くなって。……ま、お前にとっては懐かしい場所かもな」 「え?」 「金剛崎、って知ってるか?」 「金剛崎……?」 「能登半島の先っぽだ。……お前の生まれ故郷だよ、夜顔」  どくん、と心臓が跳ねた。  黒黒とした洞穴の風景が、一瞬にして深春の脳裏に蘇る。  孤独と寒さ、飢えに苦しめられた数年間。ずっと暗闇から夜顔を苛んだ人々の憎しみのこもった視線への記憶。  深春は思わず俯いて、頭を押さえる。 「……心配すんな。別にお前を閉じ込めに行くわけじゃない」 「じゃあ、何しに行くんだよ」 「怖い顔すんなってば。あそこに、雷燕っていう大妖怪が封じられてんのは知ってるか」 「当たり前だろ」 「雷燕、お前の父親や。本当の意味での、父親。そいつが千珠殿や陰陽師衆によって封印されたのが、五百年前や」 「……」 「一回くらい、顔を見せてやってもいいんちゃうかなと思ってな。これからこっちで暮らすなら挨拶くらいしておいた方がいい」  楓はそう言って、またコーヒーを飲んだ。つられるように、深春もコーヒーを一口飲む。濃いばかりで香りの薄いインスタントコーヒーだ。柚子の淹れてくれるコーヒーが、恋しくなった。 「でも、眠ってんだろ? 俺のこと分かるのか」 「きっと分かるさ。まぁ何にせよ、ここらを治めていた妖なんだ、礼儀は通しておいてもらいたいからな」 「ふうん……意外と律儀なんだな」 「まぁね」  ロッキングチェアでゆらゆらと揺れていた拓人も、少しばかり微笑む。深春がもう一口コーヒーを飲むのを、じっと見つめていた。 「……なんで、夜顔のことを知ってたんだよ」  深春のさらなる問に、楓は肩をすくめる。 「元気だな、俺ちょっと眠くなってきたってのに」 「いいから教えろよ。何でだ」 「……それはな、俺も転生者だから、かな」 「え……?」  楓は冷淡に微笑むと、身を乗り出して深春に顔を近づける。 「お前とは面識はないが、千珠さまや舜海さま、陰陽師衆のやつらとは多少面識がある」 「……そう、なのか……?」 「特に仲良くしてたのは、陰陽師衆の須磨浮丸っていうガキだった。よく協力してくれた、感心なガキだったよ」 「え、それって……。藍沢……」 「あぁ、あいつも転生して記憶を取り戻したらしいなぁ。お前には恨みがあるやろうな、俺たちとは違って」 「……待て、待てよ。なんだ? お前、一体誰なんだ。俺に何をさせようっていう……」  唐突に、視界がぐらりと大きく揺れた。  思わず取り落とした白いマグカップから、コーヒーがこぼれ落ちる。  深春は膝をついて、ぐわんぐわんと響く頭痛に顔をしかめた。視界がどんどんぼやけていく中、楓の顔に嘲笑が浮かぶのが見える。 「俺は、水無瀬楓真。俺が欲しいのは、今も昔も千珠殿、ただ一人」 「な……なんだって……?」 「青葉の城を攻め、千珠殿を手に入れようとしたんだが、失敗した。俺は、一ノ瀬佐為に殺されちまったんだ。その恨みも晴らしたいところだね」 「……そ、んな……」 「そのために、まずはお前を使役してやる。お前を使って、千珠殿を俺の物にする」 「……だ、駄目だ!! そんな……そ……」 「夜顔と千珠、そして雷燕……その全てを俺のものにする。最高じゃね? あははははっ」  楓はさも楽しげに高笑いすると、しゃがみ込んで深春の襟首を掴む。 「とりあえず寝ろ。目が覚めた時、お前はもう、俺のもんだ」 「そ……んな……」  ぺろ、と楓は唇を舐めた。がっくりと意識を失う深春を見てさらに満足気に笑うと、どさ、と手を離してその身体を床に転がす。 「やれやれ、薬が効かないのかと思ったよ」  拓人はあいも変わらずのんびりロッキングチェアに揺られながら、そう言った。表情ひとつ変えずに、倒れこんだ深春を見下ろしている。 「……不幸体質なガキは、騙すのも簡単だぜ」  楓は拓人を振り返ってそう言うと、また楽しげに大笑いする。  長い前髪を留めていたクリップを外すと、楓はばさばさと髪を掻きあげて、にやりと笑った。 「さて、早く来ねぇかなぁ、あいつら。何をのんびりしてるんだか」 「明日中には雷燕の封印を解くか?」 「いや、まずはこいつを使いこなさなきゃな」  深春の頭頂部を、靴下履きのつま先でつんつん蹴ると、楓はキッチンカウンターのそばに置いてあった黒いリュックサックを開け、中から鈍色に光る鎖を取り出す。 「寝ぼけたところで、俺の名を呼ばせるさ。まぁ今はせいぜい、いい夢見とくんだな」  楓の手の中で、鎖がじゃらりと音を立てる。  拓人は尚も表情を変えず、また一口コーヒーを飲んだ。

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