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十四、覚悟
アルバイトを終えて帰宅し、駐輪場に原付を停めていると、その横にある駐輪場に見慣れた黒いSUVが停まっていることに気づいた。
時刻は二十一時過ぎ、珠生はヘルメットをシート下収納に入れ込むと、ゆっくりとそちらに歩み寄る。
車内には誰もいない。珠生が駐輪場から出てあたりを見回していると、コンビニの袋を提げた舜平がやって来るのが見えた。
「よう、珠生」
「……何してんの?」
「先生から伝言。今夜は日付をまたぎそうやって」
「あ、そう。メールしてくれりゃいいのに」
「申し訳ないからってさ」
「わざわざ舜平さん寄越すほうが申し訳ないだろ。まったく……」
「丁度良かったんや。俺もちょっと、お前に話あったし」
「話?」
「ああ。上がってええか」
「うん……」
家に上がってもらい、いつものようにコーヒーを淹れていると、舜平はコンビニの袋からプリンを一つ取り出してカウンターの上においた。
「……なにこれ」
「やる。お前甘いもん好きやろ。俺は苦手やけど」
「……どうも」
ダイニングチェアに腰掛けた舜平は、じっと珠生を見ている。居心地の悪さに珠生は顔をしかめ、舜平を睨んだ。
「何見てんだよ」
「お前さぁ」
「何」
「やっぱ、イライラしてんな」
「舜平さんがじろじろ見てくるからだろ」
「今日、先生がな、珠生に朝から無視されたって嘆いてはったで」
「……もう、いちいち言わなくていいのに」
「はよう、向こうに行きたいんやな」
「……当たり前だろ!」
珠生はたまりかねたように声を荒げて、キッと舜平を睨みつけた。
「こっちにいて無駄な時間を過ごすくらいなら、向こうに行って深春のこと探したいに決まってるだろ!」
「そうやな」
「……駄目だ。こんなに苛立ってちゃ何も出来ない。それも分かってるんだ。でも……」
「千珠」
「なんだよ」
「覚えてるか。お前は能登で、一度死んでるんや」
「……あぁ、覚えてる」
「あの時お前は、誘われるように能登へ行った。俺ら人間との繋がりが煩わしくなったからやな」
「……あの時は、そうだけど」
「でも今回お前は、自分の意志で能登へ行くんやろ? 祓い人共にたぶらかされて、連れて行かれた深春を取り戻すために」
「……ああ」
「今のお前の気持ち、俺にはよう分かる。俺はすぐに、お前を追って能登へ向かったからな。お前が雷燕に殺されたら……お前がこのまま消えてしまったらどうしようって、不安で居ても立っても居られへんかった」
「……」
鋭くなっていた珠生の目が、徐々に伏せられていく。その時のことを思い出すように、珠生はぎゅっと拳を握った。
「あの頃と今では状況はだいぶ違う。焦るなとは言えへん。俺自身、正直不安や」
「え……」
「お前がまた、あの土地で死んでしまったらどうしようって、不安になる。今の俺は、お前の傷を癒すことも出来ひんし、今回一緒に行く事すら出来ひん」
舜平は寂しげに微笑んだ。
「……って、こんなことをわざわざ言いに来たわけじゃないねんけど……」
「舜平さん……」
珠生はキッチンから出ると、ダイニングチェアに座っている舜平に歩み寄り、ぎゅっとその頭を抱きしめた。舜平の手が、珠生の背や腰に回って抱き寄せる。
「……俺は死なないよ」
「……そうやといいけどな。能登のこと、俺にとってはあまりいい思い出とは言えへんから」
「そりゃあ、ね」
「深春が今、どういう精神状態でおるんかも分からん。俺らに敵対してくることだって考えられる。あいつかて、相当妖気も戻ってるからな、お前でも手こずるやろう」
「……かもね」
「お前は優しいから、深春に対してどこまでやれるか分からへん。あいつを傷つけるくらいなら、自分が傷つけばいいなんて、考えるなよ」
「……」
「そうなったら、深春を倒せ。ほんで、引きずってでも帰って来い」
「分かってる」
「ほんまか?」
「……そりゃ、出来れば戦いたくはないけど……」
「そんな気持ちで向こうへ行ったら、一瞬でやられるぞ」
「……」
「覚悟、決めてから行けよ。俺はそれを言いに来たんや」
舜平は珠生から少し身を離し、眉根を寄せてじっとその目を見上げてくる。いつになく不安に揺れる舜平の目の色に、珠生はぐっと心臓を掴まれるようだった。
「……くそ、あの時、霊力を取られんかったらこんな不安になることもなかったやろうにな」
悔しげにそう呟いた舜平は、珠生の頬に手を伸ばす。暖かく大きな舜平の掌に、珠生は思わず手を添えていた。
「お前を守れる力があれば、俺までこんなに苛立つこともなかったのに」
「……舜」
懐かしい呼び名に、舜平はぴくりと眉毛を動かす。
「大丈夫。俺は死なない」
ゆら、と珠生の瞳の色が琥珀色に染まる。舜平は驚いて、目を瞬かせた。
「……千珠」
「……分かるか、感じるんだ。あの頃の夢をみる度に、この身に妖力が戻ってくるのが」
「……でも、お前の身体じゃ……」
「霊力を高めていれば問題はない。それに、一時でいいんだ。夜顔を叩き伏せるだけの力が、ほんのひととき、蘇れば」
「でも」
「舜平さん、そんな顔しないでよ」
珠生は微笑んで、舜平の頬を両手で包み込んだ。
「……お前はいつも俺のそばに居て、馬鹿なこと言ってりゃいいんだ」
「あ……」
大昔に聞いた千珠の台詞を繰り返し、珠生は勝気に微笑んで見せた。琥珀色の瞳と、この自信に満ちた表情を見ていると、本当にあの頃の千珠を抱いているような感覚に陥る。
「笑っててよ、舜平さんは。それが舜平さんの仕事だろ」
「……生意気な奴」
舜平は思わず笑みをこぼすと、立ち上がって珠生を強く抱きしめた。珠生も身体を舜平に任せ、体重を預ける。
「俺は死なないよ……、舜平さんの霊力も取り戻さなきゃいけないし。大体、あれは俺のものだし」
「お前のもんってわけでもないやろ」
「何いってんだよ。舜平さんは俺のものだ。だからその霊力も、俺のものだし」
「……なんやそれ。どんな理屈やねん」
「ははっ」
胸の中で笑う珠生の吐息がくすぐったい。舜平は珠生の背に回した腕にさらに力を込めて、しっかりとその身体を抱く。
――愛おしい。今も昔も。
だからこそ……再びあの戦いの地へと送り出すのが忍びない。
「……そろそろ離してよ」
「え?」
「そんなに思いっきり抱きしめられると、……したくなる」
「……あ、ああ。すまん」
舜平は慌てて身体を離し、珠生の肩に手を置いたままじっとその瞳を覗きこんだ。
琥珀色だった瞳は、元の胡桃色の瞳に落ち着いている。
「俺にいやらしいことしてるとこ父さんに見られでもしたら、人生終わりだろ」
「……いやらしいこととか言うな」
にがり顔をする舜平を見上げて、珠生は可笑しげに笑った。その笑顔を見ていると、少しばかり不安が軽くなるような気がした。
舜平が珠生の肩を掴んでいた手に少し力を込めると、珠生はふと顔を上げる。
ゆっくりと重なる唇に、珠生はそっと目を閉じた。
弾力のある舜平の唇が触れることを、珠生も喜んで受け入れていた。回数を重ねる度に深くなってくるキスに、珠生は逆らうことが出来ない。
「……はぁ……」
思わず息を漏らすと、舜平の右手が珠生の腰を抱き寄せる。ふらつくままに舜平にもたれかかると、舜平は珠生をぎゅっと強く抱きしめた。
だがその時、がちゃりと玄関の鍵が開く音がして、二人は仰天した。
「ただいまぁ〜〜。……いやぁ、意外と早く帰れたんだ……って、あれ。相田くん?」
「お、おおおじゃましてます」
舜平はダイニングチェアに腰掛け、珠生はその向こうにあるソファの背もたれに腰掛けた状態で、各務健介を出迎える。健介は少しばかり驚いた顔をしていたが、「いらっしゃい」とすぐに破顔した。
「留守番しててくれたのかい?」
「いや、あの……そうっすね。最近顔見てへんし、大学生になってから元気かなと思って、話を……あははは〜〜」
あたふたと舜平がそんなことを言うのを、珠生は曖昧に微笑みながら聞いていた。健介は頷きながら嬉しそうに笑うと、
「いやぁ、相田くんはもうすっかり親戚のお兄さんみたいになってるなぁ」
と、言う。
「あ、あはははは。そうですねぇ、付き合いも長くなって来ましたし」
「コーヒーでも飲んでいって」
「あ、いやもう。いただきましたから……」
舜平の心臓はばくばくと暴れまわっているが、健介にはそれは伝わっていないらしい。珠生が内心胸を撫で下ろしていると、舜平はがたがたと立ち上がった。
「ほな俺……そろそろ。珠生くん、またな」
「あ、うん。気を付けて。……くださいね」
「またいつでも来てやってくれよ。ああ、明日の実験の助手、頼んだよ」
「あ、はい。よろしくお願いします。じゃ……失礼します」
珠生の目にはなんとも不自然な笑顔で消えていった舜平であったが、健介はにこにこしながら手を振っている。珠生は一応見送りとして、玄関先までついていった。
「……ほな、気を付けてな」
舜平はちらりと振り返って、念を押すようにそう言った。珠生は頷く。
「分かってる。……良かったね、ばれなくて」
「やかましい。じゃあな、はよう寝るんやで」
「はいはい」
珠生がダイニングに戻ると、健介はジャケットを脱ぎながらまだにこにこしている。
「本当に仲良くなったもんだなぁ。父さんも嬉しいよ。彼は良い学生だからね」
「あ、うん……良い人だよね」
「珠生が二十歳になったら、三人で一緒に飲みに行ったりしてもいいかもなぁ。あぁ、今から楽しみだ」
鼻歌交じりにバスルームへと消えて行く父親ののっぽな背中を見送りつつ、珠生はすこし笑った。
平和な日常は、ここにある。
本当の家族。俺の父親……。
「覚悟、か」
――この日常に深春を取り戻すためにも、家族のために自分がここへ戻るためにも、俺はもっと決意を固めなければならない。
能登の祓い人を討つ。
千珠ができなかったこの大仕事に、俺が片を付けるんだ。
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