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十七、浮丸を知る者

 雷燕の封印場所は、日本海が一望できる崖の先端。  現在、金剛崎と呼ばれている。ここはパワースポットとしても有名で、非常に霊威の高い場所でもある。  そこには普段から幾重にも結界が敷かれ、何人たりとも容易には近づけぬようになっている。  この数ヶ月、より一層の警戒態勢が敷かれ、常に宮内庁職員がそこを見張るようになっていたが、今のところは動きはない。  その日も、藍沢要は崖の先端に置かれた石碑を少し離れた場所から見つめていた。そして、あたりに漂う霊的なものの気配を窺っているところである。  ここは景色が非常に美しいということもあり、市の観光名所となっている。晴れた日は確かに青い海に白波が砕け、雄々しい風景を美しいと感じることもあるが、今日のような曇天の日に、荒れ狂う海を見に来る物好きは居ないだろう、と藍沢は見慣れた景色を眺めていた。  ほんの一、二キロ先には、この絶景を生かした宿もある。断崖に沿うように建物が並ぶ、ユニークな造りをした高級旅館だ。今回、その宿は一ヶ月前から宮内庁で借りきっており、一般客は誰もいない。今は京都から来た職員たちがその宿を出入りしながら、代わる代わる付近の警戒にあたっている。  藍沢は腕時計をちらりと見た。  午前四時半。空が白み始め、夜が明けようとしている。  藍沢のすぐ後ろには車が十台ほど停まることのできる駐車場があるが、この天気でこの時間だ、観光客の使う車は一台もない。  ぱた、と頬に水滴が降ってくる。重苦しい色をした空を見上げると、ぱたぱたと、小降りながらも雨が降り始めたようだった。   藍沢は車に戻ろうと踵を返す。  その時、磨かれた黒い革靴が、ぴたりと止まった。 「……誰だ」  二人の男が立っていた。服装は今時の若者といった風体であるが、その人を小馬鹿にしたような目つきの鋭さは尋常ではない。  手前に立っているのは、茶色い髪を肩の辺りまで伸ばした、一見ホスト風の軽薄そうな男。前髪をヘアピンで留め、形の良い額の下には細い眉と奥二重のぎらりとした目がある。すっと通った鼻梁の下で、薄い唇が微かに歪んだ。男の着ている黒い革ジャンが、海風にはためく。  その後ろに立っているのは、いかにも育ちの良さそうな身なりをした長身の男だった。ぱりっとしたブルーのシャツの上に白いカーディガンを羽織り、黒いチノパンツには皺ひとつ見当たらない。知的な細い銀縁メガネの下にあるのは、穏やかながら冷ややかな色を湛えた目だ。  二人からは大した霊気を感じないというのに、ぴりぴりと危険を感じるセンサーが反応しているような感覚に陥った。  ――こんな至近距離に近づかれるまで、何も気づかなかったというのか? それに、同行して来た結界班の人間がこの付近を見回っていたはずだ。皆はどうした……。 「よぉ。今世では、ずいぶんといい男になったみてぇだな」 「……え」  はっとした。この若者二人は、式が念写してきた水無瀬衆の若者二人組だ。まさか堂々と自分たちの前に現れるとは思っても居なかったため、藍沢はやや目を見張る。  ――それに、何故自分の前世のことを……。 「……訳わかんねぇって面だな。冷たいねぇ、俺を覚えてないのかぃ? 一緒に青葉の城を落とした仲じゃねぇか。まぁもっとも、俺はその晩一ノ瀬佐為に殺られちまったけどな」 「お前……まさか」  楓は藍沢の微かな狼狽を楽しむように目を細めると、にいっと唇をつり上げて笑った。  ――……この笑い方、間違いない。 「水無瀬、楓真……か」 「ご明察。そんくらいは覚えてたみたいだな」 「何故……俺が分かった」 「分かるに決まってんだろ。お前のその卑屈な霊気、見目は代わっても性根は変わってないようだなぁ。相変わらず、佐為や千珠を恨んでんのか? 五百年も経ってるのにご苦労なこったな」  楓は一歩、また一歩と藍沢に近づいてきた。藍沢はぐっと拳を握り、すぐに術を発動できるように霊気を高める。 「どうなんだ? 今世でも佐為の下でこき使われる気分は。お前を生涯に渡って騙し続けた狡い大人だろ? もっとも今は、お前のほうが年上らしいな。それも願望の現れか?」 「黙れ。僕はもう何も恨んでなどいない。過去は過去だ」 「ふうん。そうかい? せっかくまた俺たちと組まねぇかって誘おうと思ってたのによ」  楓は大仰に肩をすくめて、眉毛をハの字にする。完全に人を舐めきった態度に、藍沢は微かに苛立ちを覚えた。 「水無瀬楓だな。後ろのやつは水無瀬拓人だろう。お前たちには、我々の監視下に入ってもらう」  はっきりとした声で藍沢がそう言い放つと、楓はちらりと拓人を振り返り、またにやりと笑った。 「偉そうな口きくじゃねぇか。びくびくしながら俺の言うこと聞いてたあの頃が懐かしいねえ」 「お前らはただのチンピラだ。大人しく僕と来てもらおうか」 「ふん……やれるもんならやってみろよ」  挑戦的な口調だった。  藍沢が印を結び、霊力を開放するのと同時に、楓はさっと両手を真横に開き、歯を見せて邪悪に笑った。 「縛道雷牢!! 急急如律令!」 「人喰(ひとばみ)ども、こいつを喰らえ!」  拓人が悠々とした足取りでその場から消える。それと同時に、楓の背後から黒い煙が湧いた。  煙の中からわらわらと現れたのは、つるんとした禿頭に虚ろな眼と口がぽっかりと空いた、気味の悪い妖の群れだ。ぼろぼろの着物を身に纏わせ、にゅるにゅると不気味に動く手足を動かして、藍沢の元へと群がってくる。数にして、それは悠に五十体はいる。 「……人喰か」  人喰は墓場の土から作られる卑しい妖だ。能登の術者達が好んで使役する低級な妖であるが、ここまでの数を一度に操るような術者は聞いたことがない。  しかも一体一体が大きく、上背のある藍沢よりも一回りは大きい。自らの肉体を補うために人を喰らう人喰は、藍沢の新鮮な血肉を求めているのだ。 「小賢しい真似を……白雷波!! 急急如律令!」  藍沢の放った白銀の矢が、最前列で藍沢に躍りかかろうとしていた人喰を薙ぎ払う。  ぼたぼたと土くれに戻るもの、頭を半分崩されながらもそれでも藍沢を食おうとするもの……その屍を乗り越えて、多くの人喰が藍沢に迫った。  ――一度に排除しなければ面倒だな……。  藍沢はひらりと後ろに跳んで人喰の群れから距離を置きつつ、冷静にそんなことを考えた。そして、複雑な印を素早く結ぶ。 「黒貫爆轟(こっかんばくごう)! 急急如律令!」  地中から黒い蔓のようなものが無数に生え、人喰たちの身体を貫いた。貫かれた勢いで上へ上へと身体を持っていかれながらも、人喰は虚しく手足をばたつかせ、虚ろに空いた目で藍沢を見ている。 「滅せよ!」  藍沢が凛とした声で命じると、その蔓に身体を貫かれていた人喰が爆ぜた。ばらばらと土くれが降りしきる中、藍沢はその向こうで腕組みをし、笑みを浮かべている楓を睨みつける。 「あっはははは!! なかなかエグい技使ってくるじゃねぇか!! お前、陰陽師衆にいるより祓い人に転職したほうがいいんじゃねぇの!?」 「黙れ! 次はお前だ!」 「馬鹿言うな。お次はこいつだ」  まるでゲームでも楽しむかのような口調で、楓は胸の前で柏手を打った。するとその頭上から、巨大な蛇が真っ赤な口を開いて、藍沢に襲いかかる。  鋭い牙と唾液が見えた。藍沢は舌打ちをすると、横っ飛びに逃れながら、ベルトに挟んでいた仕込み刀を抜く。  大型犬ほどの大きさの蛇の頭に刃を突き立てた瞬間、その蛇の影から飛び出してくるもう一匹の蛇が、藍沢に向かって牙を向いた。  右手に握った刃は、正面から襲いかかる蛇の頭に突き立ったままだ。  ――反応できない……!! 「……くそっ!!」  どうすることも出来ず、藍沢が目を見開いた瞬間、蛇の頭が縦に裂けた。藍沢に向かって牙を向いた格好のまま、血飛沫を上げて倒れていく蛇の向こうに、真珠のように輝く直刃の刃が見えた。  千珠の宝刀を握りしめた珠生が、風のように現れた。

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