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二十五、拓人の証言
水無瀬拓人は全身を拘束具で戒められ、能登支部の雑居ビルの一室に転がされていた。
スチールの椅子に腰掛けてそれを見下ろしているのは、彰の現世における剣道の師、中井実篤である。彰は中井の傍に立ち、腕組みをして、冷ややかに拓人を見下ろしている。
「随分大人しいんだな」
彰の声に、うなだれていた拓人が身じろぎする。
「……色々と聞きたいのはそちらでしょう」
拓人は静かにそう言った。中井が拓人の首根っこを掴んで上半身を起こし、壁にもたせかけると、拓人はふうと息を吐いた。
「一ノ瀬佐為、か。今の名前はなんて言うんですか」
礼儀正しい口調だった。彰は中井とちらりと目を見合わせる。
「君のようなやつに名乗る必要が? 君は水無瀬拓人、で間違いなさそうだね。歳は二十二だったか」
「ええ、まぁ。……あなたは今も昔も優秀な人材だそうですね。羨ましいですよ、ちゃんと表舞台で認めて貰える場があるんだから。大学も、一流国立大の医学部ときたもんだ。しかも、美人な恋人までいるなんて、幸せですね。俺たちとは、何から何まで違う」
恋人の存在をちらつかせる拓人に、彰の表情が僅かに険しくなる。しかし彰は淡々とした口調で応えた。
「……よくもまぁ、色々と調べてくれたものだ。……まぁいい、これからはこちらの質問に答えてもらうぞ。もし反抗的な態度を取れば、どうなるか分かるな」
「ええ。文哉みたいに、ぼろぼろにされるんでしょ」
拓人は嘲笑を浮かべてそう言った。彰にとっては、苦々しい思い出のある相手だ。
「その様子を見ると、あいつは里まで逃げ延びたようだな」
「ま、逃げてきたところで、彼を暖かく迎えてくれる人なんかいないですがね」
「水無瀬菊江は? あの女は文哉の姉だろう?」
「菊江さんは、あなた方に完膚なきまでにやられて、未だに病床から起き上がることすら出来ません。そして文哉も同じような状況だ。妖を己の体に憑依させるあの術は、相当力を持っていかれるから」
「なるほどね」
「あいつには大した霊力がないから、ああして手駒にされる以外、俺たちの集落にいる理由がないんですよ」
冷たい物言いに、中井は顔をしかめた。彰は表情を変えず、腕を組んで質問を続けた。
「菊江は楓の目的を達するために動いていたようだな。その辺のこと、何を知ってる」
「……くくっ」
拓人は、品のいい顔を歪めて、初めて少し卑しく笑った。
「菊江は、楓とできてた。できていたというか……まぁ、ほとんど楓の奴隷みたいなもんですかね」
「……奴隷、ね。戸籍上、菊江は君の実母だろう。君はそれを許すのか」
「俺には関係ありません。あの集落にいる以上、俺たちに特定の親はいない。皆があの集落の子どもなんだから」
「水無瀬紗夜香のことも、何も感じないと」
「……あぁ、あいつか。俺たちとずっと集落にいればよかったものを。何の力もない父親にだまくらかされて、京都なんかへ……」
「でも結果的に、彼女は菊江の手駒に堕ちた。もともとそういう手筈になっていたんじゃないのか?」
「さぁ?菊江さんにそのつもりはなかったと思いますよ。でも、楓に命じられたら、あの人は逆らえない。娘だろうがなんだろうが、利用できるものは利用したと思いますよ」
「菊江が楓にご執心、ということかな」
拓人はまたにやりと笑い、目を背けて床を見た。
「……ま、そういうことです」
「ふうん、なるほどね。しかし、あそこまで酷使しておいて、楓は彼女を捨てたのか」
「楓にとって、菊江も文哉も、駒の一つにしか過ぎない。それがどうなろうが、あいつは気にもしないよ。情の一つも感じていないだろう」
「……どこか、彼を軽蔑したような口調に聞こえるが?」
彰は、すこしばかり意地の悪い笑みを浮かべた。拓人は眉根を微かに寄せて、苛立ったようにため息を吐く。
「あいつの女の趣味に辟易してるだけだ。利用できそうな相手は、かたっぱしから無理やりにでも自分のものにする。……俺はそういうやりかたが嫌いなだけ」
「やり方が気に入らない上に、相手は君のお母さんだ。……関係ないと言いながら、よくもまぁそんな奴と一緒にいられたもんだね」
「……しつこいな、もういいでしょう、その話は!」
拓人はついに声を荒げ、彰を睨みつけた。
言葉とは裏腹に、拓人は自身の母親のことを心の底では気にしているように見える。彰は床においていたペットボトルのスポーツドリンクを飲み、話題を変えた。
「君たちの集落に、水無瀬楓が住んでいる形跡はなかった。別にアジトを持ってるんだね」
「……まぁね」
「それはどこにあるんだい?」
「俺の知っている場所は一箇所だけだ。それに、そこにはもういないと思いますけどね」
「ほう。行動を常に共にしていた君にも、わからないことがある?」
「……誤解しているみたいだけど、俺も楓にとっては手駒の一つにしか過ぎませんよ。俺に与えられていた命令は、雷燕の封印を解くまでの時間稼ぎをすること。まぁ、それはうまく行った。目的を達したから、もう楓に僕は必要ないんです」
「ずいぶんと割り切った関係だな。君は何でそんなやつに協力している?見たところ、君は彼よりもずっと冷静で、思慮深そうに見えるのに」
「……この世界を壊すっていう、楓 の馬鹿げた理想に惹かれただけです。壊せるもんなら、その先にある世界を見てみたいと思った。それだけです」
「……そう。君は、この世界の何が不満だったんだい」
「あなた方には分からないでしょう。俺たちがあなた方の活躍の裏で、どんな辛酸を舐めてきたか。それが現世まで持ち越されたこの狂った土地から、俺はずっと出て行きたかった。でも、できなかった」
「……紗夜香から、だいたいのことは聞いている。でも彼女と違って、君は十分に大人だし、出て行こうと思えばいくらでもそうできたんじゃないのか」
「”祓い人の血を絶やすべからず”。里の中にはそんな掟があります。今はまだマシだが、先祖たちは集落の中で血族結婚を繰り返してきた。それも御存知ですか」
「まぁ、多少は」
「集落の中での人間関係はひどく濃い。幼い頃からそれに慣れてしまった俺は、そこから出て行く勇気すら持てなかった。不満は貯まる一方なのに、何も出来ない自分に苛立った。そんな時、楓にこの件について話をされた。だから俺は、引き受けた」
「ふうん……随分と個人的な、随分とつまらない動機だな」
嘲りを含んだ口調でそう言い放った彰を、拓人はじっと強い目つきで見あげた。彰の表情が、すうと冷えていく。
「君は現代人だから知らないんだろう。雷燕がどんなに恐ろしい妖か。どれだけの被害をこの土地に与えてきたか」
「あぁ、知らないね」
拓人も挑戦的な口調でそう言い返した。彰は数歩拓人に近づき、しゃがみ込んで顔を近づける。
「その雷燕の落とし子たる夜顔に、何があったか。夜顔が我々に何をしたか」
「……」
「全く……腹が立つ。君たちの境遇に、僕が同情を示すとでも思ったか。疑問を感じながらも過去の悪習を断ちきれなかったのは、君の弱さでしかないだろう。……陰陽師衆の活躍?その裏で、実際何があったか知りもせず、何を知ったような口を。君はただ、不満をぶつける相手を探していただけだろう?」
彰は切れ長の目に怒りの色を滾らせ、拓人の襟首を掴んだ。すっと縦に裂けた彰の瞳孔を見て、拓人の表情が揺れる。
「その目……」
「いいかい。完全に復活した雷燕を、祓い人ごときが操れるわけがない。雷燕を封じたのは、神封じのための強力な結界だ。表層が崩されようと、君たちに破れるものじゃない。ただ深春を……彼の罪悪感を利用して、今回の事を成そうとしたこと、僕の仲間を大勢傷つけたこと、これは許されることじゃない。分かるか」
「……」
「どんな深い理由があるのかと思えば……水無瀬楓真は僕への個人的な復讐と、ただただ強力な妖を所有したいという自己中心的な欲望のため。君にいたっては、外へ出ていけない自分の鬱屈を晴らすため。……全く、くだらない。笑えるくらい、くだらないよ」
彰が目を細めて残忍に微笑むと、その身体から明るい青緑色の妖気が湧き上がる。
「佐為さま……」
本気で怒りを露わにしている彰の背中に恐れをなしたのか、中井が立ち上がって声をかけようとした。しかし、その後の言葉が続かない。
「何が能登の祓い人だ。五百年前、お前らを皆殺しにしなかったことを、今心底後悔している」
「……何を……」
燃え上がるような彰の妖気に、拓人は強張った表情を浮かべて身を震わせている。彰は拓人に更に顔を近づけると、ぺろりと舌なめずりをして続けた。
「そうすりゃ、こんなくだらない茶番にわざわざ付き合わされることもなかっただろうさ。……全く、くだらないよ」
彰は荒々しく、拓人の体を突き放した。拓人は、後頭部を強かに壁に打ち付けた痛みに、声を上げる。立ち上がった彰は、中井を振り返って静かな声で命じた。
「こいつから、聞き出せることは全て聞き出すんだ。集落のこと、現在の戦力のこと、術のこと、全てをだ」
「はい」
「珠生、藍沢、敦の回復を待つ間、僕が直接水無瀬楓探索の指揮を執る」
「はい」
「その間、有益な情報が得られたら、逐一僕に連絡を入れろ。どんな手荒なことをしても構わない」
「承知」
彰はちらりと拓人を一瞥してから、足早に部屋を出て行った。
がらんとした部屋に満ちていた彰の圧迫感から解放され、拓人はがっくりと頭を垂れる。
「……一番怒らしたらあかん人を、怒らせてしもたな、あんた」
中井はスチール椅子を引きずって拓人のそばに腰掛けると、人差し指と中指を拓人の額に突き立てた。
拓人の目から光が消え、途端にぼんやりとした表情になる。
「時間がないねん。あんた、理屈っぽそうやからな、直接脳内の情報を見せてもらうことにするわ」
「あ……う……」
「これは忘却術の逆の技や。時間はかかるが、まぁゆっくりあんたらの住む世界と、あんたの生活を覗かせてもらうで」
中井は目を閉じた。
そして、水無瀬拓人の生い立ちを鳥瞰するように、意識の中に沈み込んでいく。
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