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二十九、藍沢の治癒力
翌朝も、珠生は藍沢の治療を受けた。
寝起きの悪い珠生は、なおもうとうととしたまま横たわっていたが、不意に藍沢に頭を撫でられたことで目を開けた。
「……何ですか」
昨日より、この男の顔色もいくばくか良いように見えた。藍沢は彫りの深い顔に笑みを浮かべて、こう言った。
「いえ。こうして弱っているところを見ていると、可愛らしいなと思いましてね」
「……気味の悪いことを言わないでください」
珠生はそっぽを向いて、腹に感じる暖かい気から逃れようとした。しかし、身動ぎするとぎゅっと腕を捕まれてしまう。
「治療は受けておいたほうがいい。もう少しですから」
「……」
それもそうだ、と珠生は動くのをやめた。ただ、同性とはいえこんな事を言う男の前でパンツ一枚になるということにどうしても抵抗を覚える。
舜平や湊は各々用事で部屋を出て行っており、ふたりきりだ。居心地悪いことこの上ない。
「相田くんは、私がまた祓い人と通じてるんじゃないかと疑っているような目つきでしたが……」
ぽつりと話始めた藍沢の方を見上げる。
「生憎、今の私はそんなことは考えていません。ただ陰陽師衆のために、動くのみです」
「……そうですか」
「君たち三人は、陰陽師衆でもないのに協力的ですね、昔から」
「俺は、あなたが言うようにすでに半分以上人間じゃないかもしれません。そんな俺が、夜顔や雷燕に心を寄せることは、あなたでも何となく分かるんじゃないですか」
珠生の少しばかり挑戦的な口調に、藍沢は目を瞬かせて珠生の顔を見下ろす。天井を見上げたままで、珠生は続けた。
「結果的に、俺たちは須磨浮丸であったあなたを騙した格好になったことは謝ります」
「……それはもういいんですよ」
「どうやったって、俺は今も昔も完全には人ではありません。でも、人を護って生きていくのだと、雷燕を封じた時に俺は決めたんです。人の世に、大切な物が出来過ぎた。浮丸のことは、ずっと気に掛かっていました。ただただ、平穏に生きていってくれることを祈るばかりでした」
「平穏でしたよ、あの後はずっと」
藍沢はふっと笑って、珠生の腹の上に翳していた手を引っ込めた。浴衣の前を合わせてやると、珠生がゆっくりと身を起こす。
「陰陽師衆にとっての大義名分とはなにか。あの時俺は知ったんです。実丸の……弟のことは、その犠牲に他ならない。俺たちにしか持ち得ない力、成し得ない技……それが一体何のために授けられた力なのか、自分なりの答えが出ましたから」
「そうですか。……ただひとつ言えるのは、護るものは、今も昔も変わらないということです。水無瀬楓は俺よりもずっと人間かもしれないが、あいつはこの世界を壊そうとしている。我々は、それを止めるまでです」
「……君は、今大学生ですか?」
「え? はい……それが?」
「そのような若い姿でこんなことを語られると、ギャップに戸惑ってしまいますね」
そう言って、藍沢ははははと笑った。腕まくりをしていたシャツを直しながら、立ち上がる。
「前世においても今世においても、舜海どのがあなたという人を未だに守っている理由が、何となく分かりました」
「舜海が、ですか」
「君はとても、清廉な魂を持っているんですね。沖野珠生くん」
「……」
「そして今も、誰よりもずっと美しい」
藍沢はスーツの上着を羽織り、ポケットに手を突っ込んだ。珠生はなんともいえない表情で、藍沢を見上げる。
「治療は終わりです。もう自由に動けるはずですよ」
「へぇ」
珠生はひょいとベッドから飛び降りると、全身の機能を確かめるように腕を回したり部屋を歩き回ったりした。傷はふさがり、痛みもない。
「ありがとうございます。これなら探索に加われる」
「霊力のない彼より、私のほうが君の役に立てると思いますがね」
藍沢は満足気に動きまわって着替えを探している珠生に、笑顔でそんなことを言った。珠生の手が止まり、戸惑いがちな目線が向けられる。
「君の傷を癒せず、気を高めることも出来ない彼を、側においておく理由があるんですか」
「理由?」
「そうです」
「理由なんて、必要ないですよ」
やおら珠生は浴衣を脱ぎ捨てて、藍沢の前でジーパンに脚を通しはじめた。湊がまた洗ってくれたらしいが、あの量の血を吸ったジーパンはもとよりずっと黒い色になってしまっている。
「そんなことのためだけに、あの人は俺のそばにいるわけじゃありません」
「じゃあ、何のために?」
「あなたには関係ない」
ぴしりと珠生はそう言い切って、鞄から小さく畳んでおいた黒いポロシャツを着込んだ。白い肌が黒い布の中に隠れてしまうのを、なんとなく惜しいと藍沢は思った。
「治療については礼を言います。ただ、俺たちの関係について余計な詮索は無用です」
薄茶色の大きな目には、なんとも言えない迫力がこもって見えた。妖気も霊気も、自分とは格が違う。珠生の纏う威圧感に、藍沢はごくりと息を呑んだ。
「会議、してるんでしょう。俺たちも行きましょう」
「あ、はい……。そうですね」
現世では童顔の大人しそうな青年になったものだと思っていたが、その瞳や口調から放たれる威圧感は千珠の頃と何も変わらないことに気付かされる。
付き従うように、藍沢は珠生を追った。
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