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三十、祓い人の里
富山県、某所。
常盤莉央は、高遠とともに祓い人の里へ赴いていた。
時刻は午前十時。のんびりとした田舎風景が広がる小さな盆地を、高台から見下ろす二人の目つきはどこまでも厳しい。
「……いいわ。やってちょうだい」
携帯電話で、結界班のリーダー・成田と短い会話をした後、莉央は腕組みをして鼻を鳴らした。
「もっと早く、こうしておけばよかったのよ」
「藤原さんは無用な争いを嫌うからな」
と、高遠は穏やかな声で応じる。
「現世に来て、随分と甘いお人になったものだわ」
パキッ……と冷えた音が響き、盆地を大きな結晶状の結界が覆う。各地に配備された術士が、ここから誰も逃げられぬよう、また式などを飛ばせぬよう、この土地を封じたのだ。
「さて、行きましょうか」
莉央は長い髪を夏の湿った風になびかせ、そう言い放った。
莉央と高遠の背後には、数十台の黒塗りのセダンが並び停まっていたが、それらがゆっくりと里に入っていく。
徐々に、里の中が騒がしくなり始めた。
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一方、彰と珠生、藍沢、敦を始めとする十数名は、深春と楓の探索のために山へと入っていた。残りの三十名あまりは、全員が氷見市にある祓い人の里へ回っている。
しとしとと冷たい雨が降り続く、すっきりしない天気の中を、皆が無言で進んでいく。スーツの上に黒い雨合羽を着込んだ男たちの群れは酷く異様なものに見えるが、それを見咎めるものもいない。
珠生は水の滴るフードの向こうに見える彰の背中を見あげた。珠生の言う場所を目指すように、小川を辿って上へ上へと脚を進めていくその歩調には迷いがない。
「珠生、怪我は痛まない?」
珠生の視線を感じたのか、彰が振り返ってそう尋ねた。
「うん、大丈夫だよ。朝方から、藍沢さんがまた治療してくれたから」
「そう。彼は器用だからね。働き者だし」
「そうなんだ」
大して興味も無さそうにそう返事をした珠生を見て、彰は少し笑った。佐久間によると、昨日は彰もぴりぴりとして怖かったとのことだったが、今日はいつものように寛いだ空気を纏わせている。
「莉央さん達……」
「あぁ、里を落としに行った面々のこと、気になるかい?」
「会議には遅れたから、何をするのか聞いてなかったし、ちょっと気になってさ」
「手荒なことはしないさ。抵抗する者はいるだろうけどね」
「そうだね……」
「こちらには水無瀬拓人がいるだろ。彼の身柄の受け渡しの条件として、楓についての情報は全て渡してもらうこと、まずそれが一つめの目的だ。……ま、人質の交換になんて応じる連中じゃないから、拒まれたら実力行使だな。里を包囲し、そこに住まう全員を、日本政府の監視下に入れること、それが二つめ。そのための手続きなんかを今日中にしてしまおうっていう寸法さ」
「手続き? お役所みたいだね」
「まぁそんなとこだ。宮内庁だって役所だからね。具体的に言うと、式として使っている妖はすべて手放すように勧告するんだ。契約を破棄できぬ妖がいる場合は申告し、こちらで妖の名を管理する。その上で、今後こちらの許可なく妖狩りをせぬようにと警告する」
「名前を管理?」
「聞いたことない?妖の真名 をこちらがもらうんだよ。妖と術者の取引というのは、名前を交換し、妖に術者が供物を与えることで成り立つ。祓い人が妖の名をこちらに渡すことで、妖の行動を制限できるのさ」
「へぇ。じゃあ、蜜雲にもなにかを上げたの?」
「ああ、あげたとも」
彰は意味ありげに笑い、珠生をちらりと見た。
「……な、何を……?」
不気味に微笑んでみせる彰に怯えて、珠生はごくりとつばを飲み込みながらそう言った。すると、彰が吹き出す。
「あははははっ、そんな大したもんじゃないよ。髪の毛さ」
「え? なぁんだ……」
「君と初めて会った頃から、僕はすでに髪が短かったろ。十五の時に蜜雲と契約したからね」
「へぇ、そうだったんだ」
「霊力の強いものは、髪の毛や爪といったもので十分なんだが、そうでないものが妖を飼おうとすると、それこそ内臓の一つでもあげないとだめなんだけどね」
「ふうん……。じゃあ深春と楓の間にも?」
「千珠にかけられたあの時の術を見るに……楓はかなりの霊気を供物として妖に与え続けることで、強力な戒めを与えているようにみえる」
「そんなこと、できるんだ」
「早死するだろうがね。まぁ長寿になんか拘ってる生き方じゃないから、きっと彼はそれでいいんだろうけど」
「……」
珠生は楓の冷笑を思い出していた。そして、燃え上がるような禍々しい……人のものとは思えぬほどの禍々しい霊気の気配を。
「あいつがここまでやる理由って……動機ってなんだろう」
「そうだなぁ。拓人の方は、取るに足らない個人的な理由だった。おそらく楓もそうだろうね」
「強い妖が欲しいって?」
「そう。あと、僕が目障りなんだろう。楓真にはかなり痛い思いをさせて殺したからな。葉山さんを置いてきてよかったよ」
「……そっか」
「陰陽師衆の守り続けた国を、祓い人の自分が滅茶苦茶にしたい……そういう理由もあるだろうな。雷燕を封じた功で、あの時期以降、都の陰陽師衆はまた更に権勢を増したしね。大半以上は君のおかげなんだが」
「そうかなぁ」
「君が望むなら、かなりの地位を帝から賜ることもできたと思うよう」
「いやいや、そんなの興味なかったし。それに俺は静かに暮らしたかったから」
「そうだったね」
彰は珠生のフードをかぶった頭をぽんぽんと叩いて、楽しげに笑った。まるで遠足にでも来ているかのような気楽さである。背後について歩いてくる敦のため息が聞こえる。
「おい! 何はしゃいどるんじゃ! 俺らはこれから大ボスのアジトに行くんじゃろうが! 緊張感を持たんかい!」
「そうだよ。ラスボス退治なんだ、楽しく行こうじゃないか」
と、彰は敦のげんなりした顔を振り返って爽やかに笑う。
「昨日は超不機嫌だったくせに、珠生くんが復帰した途端ごきげんさんかい」
と、敦がぼやく。
「あぁ、そうかもしれないな。僕の珠生に大怪我させてくれたこと、かなり腹が立っていたし」
「僕のって……」
と、珠生が苦笑いする。
「それを防げなかった自分自身にも、腹が立っていたしね」
「先輩……」
「ま、大将がそれくらいどっしりしてくれてんなら、俺らは安心して力を発揮できそうじゃけど」
敦はそう言って、肩をすくめる。
「そういうことさ。さて、そろそろ傾斜がきつくなってきたな。足を滑らせない様に気をつけるんだぞ」
「お前がな」
そう言い返した途端、敦はずるりと足を滑らせて濡れ落ち葉の上にすっ転んだ。
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