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三十一、身に戻る霊力

 舜平と湊は、莉央と高遠に同行して、祓い人の里長との面会に立ち会うことになった。何故莉央が自分たちを連れて行くのかということに疑問を感じ得なかったが、二人は平服のままスーツ姿の二人に付き従う格好でとある大きな古い民家の前に立っていた。  茅葺屋根の、いかにも年代物という風体の大きな屋敷。冬場はきっと、ここにも大量の雪が降り積もるのだろう。腰の高さほどの石塀で囲まれた屋敷へと、門をくぐって入っていく莉央の歩調はいつものように颯爽としている。  屋敷の玄関の前には、すでに初老の男が一人と、壮年の男が一人、いかめしい顔で立っている。 「宮内庁の者です。今日はお話があって参りました」  莉央は不遜とも取れる態度でそう言い切ると、腰に片手を当てて少し微笑んだ。男たちの苦々しい顔が、さらに渋くなるのを見て、高遠が口を挟む。 「我々は平和的な解決を望んでいます。ご協力ください」 「……どうぞ」  たっぷり十秒ほどの沈黙の後、壮年の男の方がそう言って四人を家の中に招き入れた。初老の男は、やれやれと首を振りながら先に屋内へと消えていく。  冷たい板張りの長い長い廊下を、ひたひたと靴下はだしで進むと、壮年の男は四人を小奇麗な和室へと通した。莉央と高遠が座布団の上に座り、その背後に舜平と湊も正座をする。 「……しばしお待ちを」  そう言って、男は一度その場を辞した。なんとも言えない緊張感に、舜平はため息をつく。 「何で俺らを連れてきたんですか」 「水無瀬菊江と一番長く対峙したのは、珠生くんとあんただけよ。気配で分かるでしょうから、確認のために連れてきたわけ」 「確認?」 「ここにまだあの悪習が残っているとしたら、ここの人たちはヘマをした人間の目を焼いて顔を分からなくしてしまうのよ。初めてその話を藤原さんに聞いた時はぞっとしたわ。野蛮な行為だと思わない?」  莉央は横顔だけで舜平を振り返ってそう言った。高遠も、静かに一度頷いた。 「そうすることで我々からの追求を逃れてきた。身内は身内で粛清したとね。だから今まで、僕らはそれ以上手を出せなかったわけだ」 「そうなんや……」 と、湊。  衣擦れのかすかな音と共に、すいと小柄な老婆が姿を現した。その手を取って足元を気遣っているのは、先ほどの初老の男である。  四人は姿勢を正したと同時に、息を呑んだ。  老婆の目は白く濁り、全く光を映していない。それでも感じる、祓い人の持つ独特の不気味な霊気。その老婆の身体には、強力なそれが宿っているのが分かる。 「……おや、今の陰陽師衆棟梁は女なんやな」  男に支えられながら上座に座した老婆は、嗄れた声でそう言うと、莉央の方へと顔を向けた。 「お分かりになりますのね」 「匂いと気配で分かる。ここへ宮内庁の役人が来るのは、二、三十年振りだねぇ?」 と、老婆は背後に座った男にそう尋ねた。 「ええ、そうです」 「……して、なんの用や」  老婆は穏やかながらも迫力のある声色でそう言うと、両手を膝の上に置いて背筋をやや伸ばした。莉央は、凛とした声で言った。 「水無瀬楓の所業について、こちらの皆様はどのようにお考えですか」 「……楓か」 「あの若者は、転生者ですね。彼はこの地に我々がかつて封じた雷燕の封印を破壊し、こちらの手のものを傷つけた挙句、自分の式として使役しているという始末ですわ。それを、あなた方はお諌めになろうとは思わなかったのでしょうか」  表情を変えず、石のように動かない老婆の代わりに、初老の男がまた苦々しい表情を浮かべる。 「……先日、楓には我々からも注意をしたところでした」 「あら、そうでしたか」 「しかし、ここ数年あまりで楓の力は爆発的に成長し、もはや誰の言うことも聞きません。あいつの行動は、我々としてももはや手に余る」 「……だから放置している、と」 と、高遠。 「仕方ないでしょう。もう我々としては、あいつは里を出たものとして考えています。拓人も、薫もね」 「薫? それは?」 「あの三人は昔から仲が良くて、幼い薫は二人に付いて回っていました。昨晩から姿が見えないので、きっと二人について行ったのでしょうな」 「探さないのですか? 少年が行方不明だというのに?」 「本人の意志でしょうから」  全く心配していない様子に、莉央が明らかに多少腹を立てたのが顔で分かる。高遠は莉央を諌めるようにちらりと視線をやり、その先を引き受けた。 「その水無瀬拓人ですが。今、我々のもとに捕縛されています」 「ほう……そうですか。どうぞお好きになさってください。あいつももう、この里を出たものとして扱っています」 「……身柄を引き受けたいとは、お思いにならないと?」 「ええ、反乱分子は、必要ありません。この里の秩序のためにも、もう不要の存在です」 「……そうですか。水無瀬菊江はどうなりましたか?拓人の話によると、菊江は楓の指示で京都に攻め入ったと聞いていますが」 「菊江は、未だに起き上がることすら出来ません。きっと先は短いでしょう。楓の指示……ね。あの見境のない男なら、何をしていても不思議ではないですがな」 「そこまでして楓が力に拘るということに、あなた方は何の疑問も抱かなかったのですか」 と、莉央。 「力こそ全て。そういう考えは、間違いではないと思っていますが?」  男はそう即答した。莉央と高遠が顔を見合わせる。  すると、老婆がゆっくりと(めし)いた目を開いて、なにか話を始めた。 「水無瀬楓真さまこそ……水無瀬の民を強くした最高の術者じゃ」  一瞬、その初老の男ですら、老婆の言うことを理解できないという表情を浮かべた。 「……長、一体何を……?」 「その生まれ変わりたる水無瀬楓こそ……この現世において祓い人の新たな歴史を作り出すにふさわしい男じゃ」 「え……?」  男の顔に、緊張が走る。高遠が、動いた。 「縛!」  じゃらじゃら、とどこからともなく金色の鎖が生まれ、老婆の身体を雁字搦めにした。それにも動じることはなく、老婆は背筋を伸ばした格好のまま、ニタリと笑う。 「水無瀬本流の血筋たる我らのみが……楓真様のお供を許される。その他の者は、皆この地で朽ちていくが良かろう」 「……どういう、意味です」  ふらりと立ち上がった男の顔には、驚愕の表情が浮かんだままだ。老婆はくくっと低く笑った後、また動かなくなった。莉央は溜息をついて、携帯電話を取り出した。 「私よ。いいわ、すぐに作業を初めてちょうだい」 「……何をするんだ!」  老婆にも莉央にも怯えた目を向けながら、その男はうろたえる。莉央は携帯電話を仕舞いこみ、こう言った。 「今後、あなた方は日本政府の管理下に入って頂きます。そのための手続きを少々」 「手続き……?」 「あなた方の式は、全てこちらで管理します。あなた方の行動も、今後は全て我々の監視下に置かれます」 「……な」 「お聞きになったでしょう、あなた方の長は、水無瀬楓に煽られた危険思想の持ち主なのです。これを放置するは、この国のためにならないということをご理解いただきたいですわ」 「水無瀬本流の血筋、ってのはあと、誰がいはるんですか」  今まで黙って事の成り行きを見つめていた舜平が、ふと口を開いた。男はぎょっとしたように舜平を見遣ると、うろうろと落ち着かない目線を伏せる。 「……水無瀬菊江、拓人、紗夜香の兄妹と……そして文哉。あとはこの、長です」 「そこの婆さんの家族は?」 「皆……もうこの世にはおられません。菊江は長の孫娘に当たるので……」  舜平は立ち上がり、老婆のそばに膝をついた。ゆっくりと持ち上がる老婆のしわだらけの顔が、舜平の方を向くのを待つ。 「なんで今、俺らにそのことを話したんや」 「……お前は、法師……あぁそうか、菊江が奪ったあの霊気の持ち主だね……」 「……」 「……霊力がなくとも、力強い気を持っているね……くく、千珠さまの餌か……」 「答えろ、何でや」  答えになっていない老婆の言葉に動じることもなく、舜平は繰り返しそう尋ねた。やがて、諦めたように老婆は再び机上に目を落とす。  屋敷の外が、がやがやと騒がしくなっていくのが聞こえる。ばたばたとこの屋敷の中にも宮内庁の者が出入りしている気配を感じた。 「……我々は、楓真さまを崇めながら育った。今も昔も。あのお方は、最強の技を編み出された。我々が力を増すきっかけとなった術を……」 「あの鎖か」 「……そう。だからこそ、楓があの方の生まれ変わりと知った時は、なんとも言えず誇らしく、この者のためならなんでもしようという気持ちにさせられた。……楓自身は、分家の枝葉の端に生まれた、なんという事のない子どもだったが……。みるみる力を取り戻し、顔つきも態度も、身にまとう霊力さえも色を変えていく様を見て、あぁ、本物だと思った……弱体化を続ける我々を助けるために、彼の方が蘇ってくださったのだと、信じていた……」  舜平は集中していなければ聞き取れないような、掠れた小さな声に耳を傾けながら、前世で見たあの男の姿を思い出していた。楓と全く同じ目つきをした、あの男の姿を。 「でも……楓は私の孫たちに、酷い扱いをした挙句……捨て駒同然で京都へ送り込んだ。菊江は楓の慰み者に成り下がり……その関係を知る文哉のことすらも、力の差を見せつけ、奴隷のように扱った……。それを諌めたわしも、殺すと脅され……段々、怖くなったのさ……あの方の作り上げた、いや壊した世界の果てには、何もない。我らのことはきっと……利用価値がなくなれば皆殺しにするだろうと……」 「……なるほどね」  舜平はため息混じりに呟くと、立ち上がってすぐ脇の襖に手を掛けた。 「水無瀬菊江、ここにおるんやろ。俺の霊気を返してもらう」 「待て、菊江は……」  男が舜平を制止するように声を上げるのを、舜平はじろりと一瞥した。 「今そんなこと話し出したんは、日本政府がやって来てほっとしたからなんちゃうんか。あの男のやっとることが手に負えへんから、これ幸いとこっち側に助けを求めたくなったんやろ、婆さん」 「……」 「ほんなら、返すもん返してもらおうか。どうせお前らには合わへん気や、楓ぶっ倒すための戦力になれる俺に、返品したほうがええと思わへんか」 「……長」  困惑しきった顔で、男が老婆を見下ろす。老婆はしばらく目を閉じていたが、ゆっくり何度か頷いた。 「……いいやろ……」 「封印、お前なら解けるんやろ」 「解ける」 「ほんなら、オッサン。はよう持って来いよ。こんな話になった以上、俺がここにいる必要なんかないねん。さっさと楓を探しに行く」 「……あれを、ここへ」  老婆の指示通り、一旦席を外して戻ってきた男の手には、ビー玉大の白いガラス球を持って戻ってきた。  よくよく覗きこんでみると、透明な薄いガラス球の中で、白い煙がゆっくりと円を描くように蠢いているのが分かる。  舜平は老婆のそばに座り、老婆が萎れた掌の上でそれを弄ぶ様子を睨みつけていたが、しびれを切らしたように言った。 「……おい、はようせえ。何見とれてんねん」 「……力強い、そして濁りのない気ぃや……。何故やろうな……我々には持ち得ない、穢れのない霊気……」 「それは俺が法師やからちゃうか」 「……それだけではなかろう。本当に、千珠どのが好む理由が、今ならよう分かる」 「どういう意味や」 「お前の霊気がここにあったこの数ヶ月……わしは何度かこれを手にする機会があった。……気持ちが淀み、何もかもが憎らしく、邪魔に思えて仕方がなくなるような心持ちの時……お前の気に触れていると、それが薄れて消えていくような感じがしたものじゃ……」 「……」 「半妖ゆえ、あの方も心を揺らしやすい若者だったのではないか……? 迷い迷って、醜い感情に呑まれ、そんな自分を恥じる……そんな一面があったのではないか」 「それは……まぁ」 「そんな淀みをすべて浄化するこの霊気を……随分と助けにしてきたことやろう……。わしの心持ちも、これで変わった。お前のおかげかも知れん」  老婆は白目ばかりの目をゆっくりと持ち上げて、舜平の方を向いた。舜平もその目から目を逸らすことなく、じっと受け止める。 「楓真さまの怨念から、わしを一歩手前で踏みとどまらせてくれたのは、お前のおかげかも知れんな……」 「……まだ終わってへん。礼を言うんは、全部片付いてからにしろ」  老婆の掌の上で、小刻みにガラス球が震えた。その振動は次第に振れ幅を増し、ついにはパリンと割れて砕け散った。狭い球体の中で蠢いていた白い煙が、一気に質量を増して膨らんだかと思うと、舜平の身体を包み込む。 「舜平……!」  じっと固唾を飲んでその場を見守っていた湊が、思わず腰を浮かせて声を上げた。  しかし、白い煙をまとっていた舜平の影はすぐさま立ち上がると、両手を胸の高さに上げ、その気をその身に吸収するように深く息をする。  どくん、どくん……心臓が、以前にも増して力強く全身へとその気を送り出す。  血液も、呼吸も、すべてが軽い。 「舜平……お前」  舜平は大きく息を吐いて、天井を仰いだ。身体中に満ちていく、霊気。感覚が研ぎ澄まされ、意識の隅々まで澄んでいくような感覚だ。  自然と、笑みがこぼれた。  その身に、霊力が戻ったのだ。 「……やっぱ、こうやないとな」 「舜平! 霊気、戻ったんやな」  湊が嬉しそうに笑みを浮かべて、立ち上がった。舜平はからりと笑うと、「おお、この通りや」と言って拳を握り締める。 「それなら、舜平くんはすぐに佐為たちを追ってちょうだい」 「おう!」  すぐさま駆け出そうとした舜平のシャツの裾を、はっしと湊が掴んだ。ぱっと振り向いて湊を見ると、その顔には誇らしげな笑みが見えた。信頼と、喜びのはっきり見て取れるその表情に、舜平も笑みを返した。 「珠生と深春のこと、頼むで」 「おお、まかしとけ」 「気をつけて」 と、高遠。  こくりと頷いて高遠を見ると、その隣でやはり安堵の表情を浮かべている莉央が見えた。皆にずっと心配をかけていたこと、そんな自分を今まで温かく迎え入れてくれていたことに感謝の気持が湧き上がる。 「ほな、後で」  短く、それだけをその場に残して舜平は駈け出した。  ――分かる、感じる。誰がどこにいて、今何をしているのかということ。  この祓い人の地に立ち籠める、不気味な空気の正体も、今なら分かる。ここは、種類も系統もばらばらの妖たちが、無秩序に存在する異様な世界。自然界ではありえない世界なのだ。  ふと、意識の端に水無瀬菊江の霊気を感じ取った。  それは今にも消えてしまいそうに弱く、脆いものだった。あの日、自分を攻めに来た頃の禍々しさなど、欠片すら感じることが出来ない。  ただ疲れ、絶望している女の霊気。楓真を身に宿す楓によってぼろぼろにされた、可哀想な女の。  ――まぁ、そこで大人しくして寝てろ。今日で、あいつは終わりや。  舜平は里を抜け、山へと入っていく。  身が軽く、どこへでも駆けていけそうな気分だ。  珠生の気を感じる。彰も、敦も、皆のいる方向は手に取るようにわかる。  ――急げ……!!

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