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四十五、師匠
京都に着いたら寄って欲しいところがあるのだと深春に頼まれ、舜平はとある病院へと車を走らせた。そこは岩倉病院跡にある宮内庁御用達の病院ではなく、左京区にあるごくごく普通の総合病院だった。
深春は皆に先に帰っていてくれと頼んだのだが、全員外で待っていてくれるらしい。病院の駐車場に車を入れたあと、舜平は病院のすぐ隣にある小洒落たカフェを指差して「あそこで待ってるわ」と言った。どことなく疲れた空気を背中に漂わせながらカフェの方へと歩いて行く四人を見送って、深春は総合病院のクリーム色の壁を見上げる。
高遠から、ここに紺野知弦がいることを聞いていたのだ。京都に帰ったら真っ先に紺野に謝罪をしようと、深春はずっと考えていたのである。
巨大な総合病院の玄関ロビーを抜け、渡り廊下を進み、深春は入院病棟の方へと歩を進めた。
昼前の明るい日差しが、院内の雰囲気をどことなくのんびりと見せている。適度に空調の効いた廊下を歩きながら、深春は何度か深呼吸をした。そしてほどなく目当ての個室を見つけ、ドアの前に立つ。
「あの……失礼します」
低い声で来訪を告げ、深春は静かにスライドドアを開いた。そして、部屋の中にいた人物を見て、深春はわずかに目を見開く。
「ふ……藤原さん」
「深春くん、おかえり。待っていたよ」
藤原修一が、ベッドサイドに佇んでいた。窓の外からの眩しい光を背負った藤原の表情は影になっていて、はっきりとは見て取れない。藤原の手前にあるベッドの上には紺野の姿はなく、めくれた布団があるだけだった。
「あ……えーと……紺野さんは?」
「売店に行ったよ。君がくると聞いて、コーヒーとおやつを買ってくるって」
「え? ……そんな気ぃ遣わなくてもいいのに。てか俺、謝りに来たのにおやつとか食ってる場合じゃ……」
「すまなかった」
紺野がいなかったというばつの悪さを誤魔化すようにぽりぽりと頭を掻く深春に向かって、藤原は深く頭を下げた。そんな藤原の行動にぎょっとした深春は、目を瞬いて唖然としている。
「謝らなければならないのは、私のほうだよ。君は何も悪くない」
「い、いや、え? なんで藤原さんが……」
「私の中途半端な気持ちのせいで、君の動揺を見逃した。私がもっと君の状態を客観視できていれば……君は、祓い人たちの誘いに乗ることもなかったろうに」
「中途半端な気持ち、って……え? なに? 藤原さん、俺のこと、す、好きなの?」
「え?」
予想だにしなかった問いが返ってきたことで、珍しく藤原がぽかんとした表情になっている。しばし妙な沈黙が流れたあと、藤原の吹き出す声が、病室の中に小さく響いた。
「ちょ、ちょっと待って……ふ、ふふふっ、そ、そう聞こえてしまったかな? ご、ごめん。変な言い方をしてしまって」
「え? なに? 違ぇの?」
「ええと……そういう意味じゃなくてね」
藤原は数秒笑いをこぼしたあと、自らを落ち着けるように深呼吸をした。そして深春に数歩歩み寄り、そっと肩の上に手を置いた。
「私は君のことを、自分の息子の身代わりのように扱っていた。……それが今回の出来事の、元凶だったと思うんだ」
「え?」
「君にはまだ言っていなかったんだけど、祓い人の事件が起こり始めた頃……離婚したんだ。息子とも、離れることになってね」
「え? ま、まじ……?」
「だから……父親を求める君を見ていたら、何が何でも力になりたいと思ったんだ。これからは私が君のお父上に変わって、君のことを守りたいとさえ思っていた」
「え。ええ?」
「深春くんが陰陽師衆の皆の目を気にして、引け目を感じていることは分かってた。だから、どうすれば君があの集団の中で安心して力を奮えるのだろうと、ずっとずっと考えてたんだ。結果、私は重たい修行を急ぎすぎた。君の力を、皆に認めてもらいたいと気が急いて……」
「な、何で? 何で、お、俺なんかのために……?」
いつになく言葉に詰まりながらそんなことを語る藤原の姿を、深春は呆然と見上げていた。すると藤原は、ぎゅっと力強く深春の両腕を掴む。
「君はね、『俺なんか』なんて、自分を卑下する必要なんかないんだ。君の能力は未来につなぐべき、素晴らしい力なんだよ?」
「……え」
藤原は深春に、真摯な目つきでそう訴えかけた。いつになく切迫感のある藤原の目つきに戸惑いを感じはしたが、藤原から与えられる言葉はどれもこれもが深春にとってありがたく、そして嬉しいものだった。
「でもね……君にとっての父親は、血の繋がった本物のお父さん、ひとりだけだ。……そして、私にとっての息子も、あの子だけ。私の勝手な都合や想いで、君のお父さんに成り代わろうなんて、どこまでもおこがましい……本当に、すまなかった」
「い、いやいやいや……!! 何言ってんだよ、俺……そんな! 俺、嬉しかったよ? 藤原さんが俺に優しくしてくれるのも、俺のこと色々考えてくれんのも、すげぇ嬉しかったんだ! 頭下げたりしないでくれよ、あんたがいてくれたから俺……」
深春はふと言葉を切って、能登での出来事を思った。
封印を壊した時、この身に宿った雷燕の妖気のこと。恐ろしいほどに強大な力だというのに、その力が身体の中にあるということに、どこか安堵感を感じていたこと。
雷燕は様々な意味で深春の父親であり、深春の根となる存在だ。それは、深春が今までずっと探していたものだった。
最後に言葉を交わした雷燕の笑顔と美しい風景を思い出すと、自然と心が温かくなる。深春は、藤原の穏やかな目元をじっと見つめて、こう言った。
「俺……雷燕に会ったんだ。ちゃんと話せて、色々……なんかスッキリしたっていうか」
「雷燕に?」
「うん。俺はずっと、自分が生まれて来た意味を探してた。俺なんかいない方がいいんじゃねーかって、ガキの頃からずっと思ってたけど……今はもうそんな気持ち、全くなくってさ」
「……」
「確かに、今の俺の父親は、あのクソ親父だけだ。そりゃ、ひでーこといっぱいされたけどさ。……どんなにクソ野郎でも……やっぱ、それは変わらねぇ」
「うん、そうだね」
「俺、いつかあいつに会いに行こうと思ってるんだ。俺がちゃんとした大人になって、あいつがきちんと社会復帰できるようになれたら……その時は、一緒に暮らせたらいいなって、思ってる」
「そうか……」
「でも、藤原さんは……俺にとって、やっぱどっか、特別だから。藤之助の代わりってわけじゃねーけどさ、俺、たまに藤原さんと話してて、藤之助のことを思い出したりしてた。俺のこと全部認めて、過去も力もひっくるめて俺を守って、いろんなことを教えてくれて、俺を我が子のように愛してくれた、藤之助のこと」
「……藤之助か、懐かしいな」
藤之助の名前を聞いて、藤原の顔が柔らかく緩む。深春はぎゅっと一度目を閉じてから、身体を折ってがばりと頭を下げる。
「本当に、ありがとうございました! 野良犬みてーだった俺のこと、認めてくれて、力をつけさせてくれた! あの……これからも、俺のこと……ビシバシ鍛えて欲しいんです! 弟子にしてください!」
「弟子!? ……弟子、か。嬉しいな。そんなふうに言ってもらえるなんて」
「て、てか……藤原さんはみんなの師匠だから、俺が独り占めになんてできねぇか。そんなことしたら、斎木先輩や葉山さんにブチギレられちまうけど……」
「はは、いや、そんなことはないよ」
「いや、そんなことあるよ! だから、藤原さんさえよかったらだけど、これからも俺のこと、鍛えて欲しいんです」
深春は顔を上げ、藤原の様子を窺う。藤原は口元に笑みを浮かべたまま、すっと深春の頭の上に手を置いた。
「私は厳しいよ。弟子になるからには、容赦はしない」
「は、はい! 望むとこっす!!」
「本当についてこれるか?」
「はい!!」
「よし」
藤原は張りのある声でそう言うと、わしわしと深春の頭を撫でた。そして、髪の毛をぐしゃぐしゃにされた深春に向かって手を差し出す。
「力の使い方を教えてあげよう。君に陰陽術を叩き込む」
「はい、よろしくお願いします!」
「ふふ、久しぶりだよ。弟子を取るなんて」
「そうなんすか? まー、藤原さん偉いし忙しいもんな」
「今はもう、そういうことは常盤に任せているからね。これからは、後世を育てることに力を注ぐとするかな」
「それいいじゃん! 藤原さん、そっちの方が向いてんじゃねーの?」
「こら、口の利き方」
「あっ……すんません」
「やれやれ、礼儀作法から教えないといけないな」
そう言って微笑む藤原の顔は、これまでになく生き生きとして、力に漲っているように見えた。深春は嬉しそうな笑顔を浮かべ、子どものように軽やかに笑った。
そんなやりとりを病室のドアの向こうで聞いていた紺野は涙目になりながら、ほっとしたように笑みを浮かべている。手に提げたコンビニの袋をぎゅっと握り直し、紺野は勢いよく病室に入っていった。
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