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珠生、相田兄弟に萌える
とある週末、珠生はひとりで四条烏丸のあたりを歩いていた。
京都へ来て四年目。大学生になった珠生は、ようやく人混みを恐れずに一人で街を歩けるようになった。
その日は、大学の授業で必要な本を探すべく、四条通り沿いにある本屋へやって来たのである。
それは参考資料として教授が紹介していた古典文学なのだが、図書館で借りるのではなく、どうしても自分の手元に置いておきたかったため、わざわざ本屋までやって来たというわけだ。
「……あった」
狭いエスカレーターを登って、目当ての本があるべき場所へとやって来た珠生は、数分で目当ての本を見つけ出した。求めていたものがすんなり手に入り、珠生は満足感に小さく笑みを浮かべて本の表紙を撫でる。ついでにぶらぶら本屋の中を散策しようと歩き回っていると、ぽんと誰かに肩を叩かれた。
「珠生くん?」
「……えっ? あ、将太さん?」
そこには、舜平の兄・相田将太が立っていた。
普段修行で顔をあわせる時、将太はいつも黒い法衣を身につけているのだが、今日はごくごく普通の洋服姿だ。淡い灰色の長袖Tシャツを着て軽く袖をまくり、すらりとした細い脚を覆うのは細身のジーンズ。足元は黒のスニーカーだ。将太のカジュアルな格好が物珍しく、珠生はしげしげと無遠慮に将太の全身を見つめてしまった。
「見過ぎやって。なんか変?」
「い、いえ、かっこいいです! なんか……見慣れなくて」
「ははっ、そらそうやな。びっくりやなぁ、こんな街中で会うなんて。ひとり?」
「あ、はい。将太さんも買い物ですか?」
「うん、久々に休みでさ。たまには街に出て現代社会を感じようかと思てな」
「あそっか。ずっとお寺ですもんね」
「そうやねん」
こうして会話をしていると、やはり将太の顔立ちは舜平によく似ている。しかし舜平とは違い、ほっそりとした体つきややや長めに伸ばした髪の毛のせいか、将太はどことなく中性的な雰囲気を醸し出している。
舜平と同じような顔、同じような霊気の波長、そして匂い……。血縁者の持つ独特の共通点があまりにも多くて、なんだかすごく変な気分だ。
寺で会う時は、これから修行だという緊張感があり、将太も珠生も気を引き締めているため会話は少ない。しかし私服姿で街中を歩く将太は寛いだ空気を漂わせていて、いつになく多弁だった。
「ちょっと疲れたんやけど、なんか食わへん? 時間ある?」
「あ、いいですよ。今日はもう何もないんで、大丈夫です」
「そっか、ありがとうな」
そういって優しく微笑む将太の顔は、驚くほど舜平によく似ている。ついつい赤面しそうになってしまい、珠生はわざとらしく「あはは」と笑った。
「ど、どこ行きます?」
「ちょっと甘いもん食べたいなぁ。ここでもいい?」
「いいですよ」
そう言って将太が指差したのは、百貨店の裏手の通りにある新しそうなカフェだった。店内は落ち着いた色調で清潔感もあり、居心地が良い。静かに流れるジャズの音色、コーヒーのふわりとした香りが満ちたクラシカルなカフェだ。店の中は適度にひと気があり、賑やかというわけではないが静まり返っていると言うわけでもなく、自然と寛げるような雰囲気だった。
互いに注文を済ませると、将太はおしぼりで手をぬぐいながら店内を見回した。珠生は何故だかドキドキしながら同じように手をぬぐい、ちらちらと将太を見る。
「どしたん? 私服が珍しい?」
「あっ、えーと、はい……そうですね」
「ははっ、いつもは坊主のかっこばっかやもんなぁ」
「こうしてると、お寺関係の人には全然見えないですね」
「そう? そう言ってもらえると嬉しいわ」
将太は笑うときに少し首をかしげる癖があるようで、にこやかに微笑む姿が妙に麗しい。舜平の爽やかさとはまた異なる魅力に気づいてしまい、珠生はついついどぎまぎしてしまった。
「しゅっ……舜平さんとは、出かけたりしないんですか!?」
気を紛らわせるために質問をしてみるが、なぜか声が上擦るのである。
「んー、最近はないかなぁ。あいつが高校生んときくらいまでは、たまに一緒に河原町に出て来て、買いもんとかしとったけど」
「高校生のとき!? すごいなぁ、仲いいんですね」
「ふふっ、あいつけっこうお兄ちゃん子なんやで」
「えっ、そうなんですか!? 俺たちの中じゃ、舜平さんは兄貴的ポジションだけど……」
「せやろなぁ。そういうタイプやな、あいつは。下に妹もおるし」
「舜平さんがお兄ちゃん子……お兄ちゃん子……」
「中学入ってからも、風呂とかたまに一緒に入ってたしね。『にーちゃん、風呂行かへん』とかって誘ってくんねん。かわいいやろ」
「へ、へぇえ……」
にこにこしながら弟のことを話す将太の姿に、珠生はえもいわれぬ不思議なときめきを感じていた。
――タイプの違う美形兄妹が仲良く風呂に入ったり、仲良く買い物に歩いたりしている……何だそれ、ドキドキするんだけど。
しかも、いつもは兄貴キャラでぐいぐい周りを引っ張っているような舜平が、そして珠生を抱く時は大人の男オーラ全開で焦らしプレイなどを強いてくる舜平が、将太の前では甘えんぼの『弟』キャラでいるだなんて……。と、珠生は唐突に盛り上がってくる胸のときめきを抑えるように、ぐいっとコーヒーをあおった。
「いい、ですね……最高ですね、仲良しの兄弟……」
「せやなぁ。図体はでかいし俺よりよっぽど強いけど、かわいいもんや」
「ほ、他にはどんな思い出が……?」
「珠生くん? 顔赤ない? 大丈夫?」
「大丈夫です!!!」
珠生は目をキラキラさせながらいい返事をした。
「思い出かぁ……。あ、俺、小学生の頃心臓の手術したんやけど」
「あ、はい……聞いたことあります」
「そか。……あんとき、舜平はまだ幼稚園児やってんけどさ」
「舜平さんが……幼稚園児……幼稚園……」
「珠生くん?」
「あ、いえ、なんでもありません」
「手術はうまいこといってん。でもさ、術後ってほら、力入らへんやろ。ぐったりしてる俺の俺の枕元で、『にーちゃん、しんどいん? おむね、いたいん?』ってあいつ、シクシク泣いててさ。こらはよう元気にならなあかんなぁって思ったんや」
「うぐっ……か、かわいい……」
「せやろ〜、かわいかってん。……って珠生くん? ほんまに大丈夫?」
「え、ええ、全然問題ありませんです、はい……」
珠生がぎゅううっと胸を掴んで身悶えているものだから、将太の顔がさすがに引きつってくる。珠生はお冷をあおった。
「すみません、ちょっと暑くて」
「あ、そう……」
「ていうか、すごく意外っていうか、舜平さんにもそう言う面があったんだなぁって、新鮮です」
「ははっ、そっか。今も家では一緒に飲んだりすんねんけどさ、君らが宮内庁の用事で色々忙しくしてる話も、しょっちゅう聞くで」
「あ、そうなんだ……」
「うん、大変やったな、色々と。ほんま、君はすごい子や」
「あ、いえ……俺はそんな。いつも舜平さんに助けてもらってばっかりで……」
珠生がもじもじしながらそう言うと、将太はテーブルの上にやや身を乗り出してきた。
「そういえば、今日は舜平とは会わへんの?」
「え? ……あ、はい、バイトだって言ってたし……」
突如質問を返されて、珠生はぎょっとした。何をどう言えばいいのか分からず、ついつい正直に答えてしまう。
――うーん、将太さん、どこまで何を知ってるんだろう……。いつか実家に泊めてもらったとき、まずい場面見られてるし……。っていうか、こんなに兄弟で仲いいってことは、将太さん、舜平さんのことすっごい好きなんじゃないのかな。男の俺が舜平さんと付き合ってるとか知ったら、激怒するんじゃ……。
と、珠生は途端にそんなことが気になり始め、そわそわと落ち着かない気分になった。そんな珠生の様子を察してか、将太はからりと明るく笑う。
「ごめんな、いきなり。……あん時からさ、君と舜平、どうなんやろうって気になっててん」
「あ……はい。ですよね……」
「あの……そんな身構えんといて。俺、妙な偏見とか、ないしな」
「はぁ……。でも、実の弟さんが俺と、なんて……」
「いやいやいや、珠生くんやったら大歓迎やで。おとんもおかんも、次はいつ珠生くんが家に来るんかって、しょっちゅう舜平に聞いてるしな」
「はぁ……」
「君と出会ってからの舜平 、毎日すごく楽しそうやねん。まぁ元々元気なやつやねんけど、なんというか……落ち着きが出てきたというか、人間的に柔らかくなったというか……」
「え、そ、そうなんですか……?」
「うん。……あいつにもさ、人と違うもんが見えてまうっていうのを気にしたりしとった時期があったからか、わりとほんまは神経質なところがあるやつやねんな。見た目があんな感じやから、あんまりそういう風には見えへんかもしれんけど、結構繊細で、悪い方に思い込むと、なかなか立ち直れへんところがあったりとかしてて」
「そ、そうなんですか?」
いつも朗らかで頼もしく、皆のムードメーカーである舜平に、まさかそんな一面があるとは驚きだった。珠生は目を瞬いて、向かいでミルクレープを幸せそうに食べている将太を見つめた。
「色々とな、思い悩むとしつこいやつなんや、昔から」
「そうなんですね……。でも、どっちかって言うと、俺がいつもくよくよしてるから、舜平さんには励ましてもらってばっかりで……」
「舜平にとっては、それがいいんかもしれへんな。君の力になりたくて、あいつは自分を強く持っていられる……そういう感じがするっていうか」
「そうなのかな……」
「それだけじゃないけどな。酔って珠生くんの話するときの舜平の顔、もうデレデレやもん。バレへんほうがどうかしてるわ」
「えっ、俺の話?!」
将太は上品な手つきでコーヒーを口に運んで一口飲んだ後、ほっこりとした優しい笑顔を浮かべた。
「学祭に行った話とか、旅行に行った話とか……あとは、戦ってる時の珠生くんが、どんだけ強くて美しいかっていうこととか」
「ええー……恥ずかしい……」
「その顔見てたらさ、ほんまに君のことが大事やねんなぁって分かるよ。せやし、君も舜平と同じ気持ちでいてくれるんなら、俺も嬉しい」
「……そ、そうですか?」
「ああ、心強いな」
「……ありがとうございます」
珠生が赤面しながらそう言うと、将太は爽やかに笑った。そして時計を見て、すっと机の上の伝票を取った。
「付き合ってくれてありがとう。今度は三人で飯でも食おか」
「あっ、はい。……でも、ちょっと恥ずかしいかも」
「ははっ、俺も照れくさいけどな。珠生くんと舜平が仲ようしてるとこを、目の前で見るわけやし」
「な、仲良くなんてしませんよ! 普通ですよ、外では!!」
「外では?」
「あっ」
ついつい口を滑らせる珠生に気持ちのいい笑みをくれると、将太はすっと立ち上がった。
「ほな俺、そろそろ行くわ。夕方から檀家さんとこ行かなあかんから」
「お務めがあるんですね。あ……俺ももう帰って、夕飯の支度しなきゃ」
「そういえば、舜平が、珠生くんの飯めっちゃうまいって言っとったなぁ。今度俺にも食わしてや」
「そ、そんなことまで……」
遠慮したものの、将太に奢られてしまい、珠生は恐縮しながら頭を下げた。
「ほなな。また修行んときに」
「はい、よろしくお願いします」
雑踏の中に溶け込んで行く将太の背中を見送っていると、無性に舜平に会いたくなった。でも、舜平は今日アルバイトだと言っていたし、当たり前のように父親も家に帰ってくるため、のんびり二人きりで過ごす時間は望めない。
「まぁ、いいか。次会ったら……ちょっとからかってやろ」
珠生はそうひとりごちて、地下鉄に乗るべく歩道沿いの階段を降りた。
おしまい
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