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『傷口をなぞる指』〈五〉

   荒れ狂う突風に弾き飛ばされそうになるのをぐっとこらえ、天を仰いで叫び声をあげる珠生のもとへ、舜平は駆け寄った 「珠生……!!」 「うぁあああああ!!! ぁぁ……ぐ、ぅっぅ……!!!」 「珠生!! やめろ……!!」 「はは……あっははははは!! ほら見ろ!! この餓鬼は人ではない!! 人に害をなす邪悪な妖なのだ!!」  妖気を爆発させる珠生に向かって、影龍はそう言い放った。しかし、その目にはそこはかとなしに恐怖の色が見え隠れしている。  そんな影龍の声には耳を貸さず、舜平は正面から強く搔き抱いた。珠生は闇雲に舜平の胸を突き放そうとするが、舜平は遮二無二珠生の身体を抱きしめて、「すまんかった……!! 俺のせいや!! 頼むから鎮まってくれ! 珠生……!!」と訴えかける。  珠生の身体は、まるで灼熱の溶岩を内に秘めているのではないかというほどに熱く熱く高ぶっている。さっきまでは明るい茶色をしていた珠生の瞳だが、今は金色に近い琥珀色に染まっていた。縦に裂けた瞳孔は獣のそれのようであり、よく見ると犬歯も鋭く尖っている。  まるで、妖鬼のように。 「封印術、封魔永劫!! 急急如律令!!」  その時、騒然とする場に、凛とした声が響き渡った。  佐々木衆の面々が、驚いたようにさっと後ろを振り返る。その目線の先には、黒い軍服に身を包む、壮年の男が立っていた。口元に笑みを浮かべつつ複雑な印を結ぶ男の肩からは、外套(マント)がばたばたと激しくはためき、胸元を飾る勲章や金色の飾緒(モール)が揺れて、きらきらときらめいている。  珠生の額に、青緑色に光り輝く五芒星が浮かび上がる。直後、珠生はかくんと全身の力を脱力し、ぐったりと舜平の方へ倒れかかった。  珠生の様子を見て、その男はすっと印を解いた。ここいら一帯をめちゃくちゃに吹きすさんでいた風が止み、ふたたび春ののどかな田園風景が戻ってくる。 「なるほど、すさまじい力だ。しかし、その使い方を誰にも教わったことがないようだね」  と、その男は穏やかな声でそう言った。  影龍は憎々しげにその男を睨みつけ、「藤原殿。……どうしてここに」と低い声を出す。 「君たちが妙に騒がしいと言うのでね、その少年が棲んでいた山に使いをやったよ」 「ほう、それで……?」 「その子はね、人里に害を与えぬように、危険な山の妖たちを総べていたらしい。結果、その里は豊かに栄え、人々は穏やかで実り多い暮らしを得ている」 「……っ。し、しかし、妖は妖だ!! その山の妖どもをけしかけ、帝都に害をなす存在にもなりうるではありませぬか!!」 「そうだな。佐々木衆の君たちがこんなことをしなければ、きっとそんな未来は来ないだろうけれど」 「……」  藤原と呼ばれた男の顔から、笑みが消える。影龍は怯えたように背筋を伸ばし、ごくりと小さく喉を鳴らした。 「君たちのそういうやり口が、人と妖の間に憎しみを生むのだ。手前勝手な正義をふりかざし、平和に暮らしていた人々の心を乱し、さらなる混乱を呼ぶ」 「っ……し、しかし、猿之助様は……帝をお守りするために……!」 「生憎だが、帝は猿之助の思想を危険視されている。ここ数年、君たちがやたらと無益な争いを生む様に、ひどく心を痛めておいでだ」 「なんだって……」 「明日にでも、解体通告がゆくよ。君たち佐々木衆は特別警護職の任を解かれ、方々の遠隔地に左遷されることになるだろう」 「な……!!」  影龍を始め、佐々木衆の面々の顔に戸惑いが走った。確固たる口調でそう言い放つ男の背後に、すっと斉木彰が現れる。 「守清が行なっていた地下牢での狼藉のことも、たった今影龍が行なっていた少年への拷問も、全て帝に報告させてもらいますよ。君たちのしていることは違憲行為ですからね」 「……斉木……貴様。俺を付け回していたのか……」 「当然だろ。取り巻きが多くて、僕の存在に気づいていなかったのかな? 昨日からずっと君のそばにいたのに」 「な、なんだと!?」 「ふふ……君は昔から、本当に詰めが甘いね。さぁ、さっさとここから立ち去ることだ。おとなしく沙汰を待つといい」 「……くそが……っ! 行くぞ!!」  ぎり……と奥歯を噛み締めながら、影龍は忌々しげに彰を睨みつけ、足音も荒々しくその場から去って行った。  物事が着々と片付いていく様を、珠生を抱いたままじっと見つめていた舜平であったが、ふと腕の中で珠生が身じろぎをしたたことに気づき、はっとした。 「……珠生!」 「ん……」  首に残るのは、締め上げられた時に着いた赤いあざだ。首だけではない。四肢全体に、痛々しい痕が刻まれているのだ。舜平は唇を引き結び、すっと珠生を横抱きにして立ち上がる。そして、こちらに歩み寄ってくる藤原と彰の方へ体を向け、一礼した。 「……ありがとうございます。ほんまに、助かりました」 「斉木くんに呼ばれて慌てて来たんだが、間に合ってよかったよ。ははは」  そう言って、藤原はこともなげに笑った。  次期・特別警護職棟梁の地位を約束された、藤原修一という男である。普段から帝の側近として護りについているため、帝からの信頼も格段に厚い。  飄々とした口調には不似合いなほど、きっちりと正装した姿には華々しい威厳がある。黒い軍服に裏地が濃い紅色の外套をつけており、腰には彰たちと同様日本刀を帯びている。藤原は白い手袋の嵌った長い指で、そっと珠生の額を撫でた。 「……さっきも言った通りだ。この子はね、力の操作ができないが故に、里から鬼呼ばわりされていたらしい。そして、厄介払いと言わんばかりに、荒ぶっていた山の妖たちへの供物として捧げられた、哀れな子だ。しかし山の妖は彼を受け入れ、力を認め、山の主として彼を迎え入れた。皆、この子の無事を案じているらしい」 「供物、ですか」 「そう。十になるかならないか、という年の頃だったらしい。彼の家族は、ずっとこの子を手放したことを後悔して、苦しんでいる。もう死んだものと思っているようだがね」 「……そうなんや」 「ひょっとすると、この子には特例を認めるべきかもしれない。山へ戻って暮らしたいと言うのなら、そうするのがいいのかもしれない。そうなると、彼の家族は過去に囚われて苦しんだまま、ということになるが……」 「……」 「彼がうんと言うのなら、力の使い方を帝都で学び、帝の守りとなる手助けをして欲しいものだがね。半妖であるということは、人と妖の架け橋となりうる可能性を秘めた貴重な存在。……私としては、ここに残って欲しいものだけれど」 「……そうですね」 「目が覚めたら、彼に選んでもらおうか。君には、引き続き怪我の治療と護衛を頼むよ」 「……申しわけありませんでした。俺が、油断をして……」 「君らしくない失態だが、結果、この子の潜在力を見ることができたんだ。まぁいいじゃないか。起こってしまったことは仕方がない、君は君のやるべきことをしてくれたまえ」 「了解しました」  藤原はぽんと舜平の肩を叩いて笑顔を見せると、彰を従えて踵を返す。舜平は二人の背中を見送りながら、腕の中に抱いた珠生の顔を見下ろした。 「……山に戻る……か。帰りたいんやろうな、君は……」  舜平が誰にともなく呟くと、珠生はまた微かに呻いた。

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