414 / 533

『珠生、社会人一年目の夏』〈1〉

  「彰と手合わせ?」  とある日の夜。珠生は舜平の住むマンションの一室で、料理の腕をふるっていた。  大学を卒業し、晴れて宮内庁へと入省した、一年目の夏のことである。  舜平はリビングのローテーブルでラップトップを開き、持ち帰りの仕事をこなしていたが、珠生の言葉にふと顔を上げた。 「なんかのイベントか?」 「うん。スウェーデン王室の人たちがお忍び訪日するらしいんだけど、そのおもてなしを担当するのが露草宮(つゆくさのみや)様なんだ。宮様はスウェーデンの第一王子と留学先で知り合って、ずっと仲良くしてるんだって」 「ほう、そうなんや」 「莉央さんが、王子様に見初められたらどうしましょうって心配してたけど」 「いやいや、そらないやろ。てか、なんで手合わせを見せんの? 日本文化を紹介するんやったら、もっと他にもあるやろうに。能とか歌舞伎とか」 「そうなんだけど。転生者同士の手合わせが見たいって、宮様から猛烈リクエストがあったらしいよ」 「へぇ、珍しいこともあるもんやな」 「高校生の頃に古文書を読んでから、裏日本の歴史にどハマりしてるらしいよ。まぁ、そういう人が皇族にいてくれたら、俺たちも仕事しやすいけどね」 「それもそやな」  珠生は、十六夜結界の敷かれた京都において、重要な守りとなる存在だ。そのため、東京や北陸、または九州への転勤はおそらくないであろうということだった。しかし常盤は人使いが荒いので、「何かしら異変が起きた時には、数ヶ月単位の出張を命じるから覚悟なさい」と言っていたのを思い出す。  そして舜平は現在、勤務先である製薬会社のほど近くにマンションを借りている。実家から通えなくもないのだが、毎日比叡山を上り下りするのはさすがに面倒であると言うことで、就職を機に実家を出たのだ。  通勤が楽という理由以上に、一人暮らしをしていれば、珠生とのんびり二人で過ごす時間が取りやすくなる、というのが本音でもある。珠生は今も実家暮らしであるし、勤務時間も変則的だ。日中はお役所仕事に就いているのだが、結界班が不穏な気配を感じ取ろうものならば、関西圏のあちらこちらへと走り回らなければならないのである。帰宅が夜中を過ぎることも稀ではない、初めの一二ヶ月、珠生はぐったりと疲れ果てていたものだった。  学生の頃は知らなかったが、日本各地で起こる怪異は思った以上に多いのだ。これまでは、藤原や葉山をはじめとする宮内庁特別警護担当官たちが片付けていた問題を、今は珠生も一緒になって解決しているのである。 「んじゃ、また東京か?」 「ううん、京都だって。明日打ち合わせなんた」 「へぇ。てか彰は研修医になりたてやろ? 忙しいんちゃうん?」 「うん、そうみたいだね。けどいい気晴らしになるって、こないだ電話で言ってたよ」 「電話? なんやねんあいつ、俺には全く連絡寄越さへんくせに、お前には、」 「まぁまぁ」  珠生がテーブルにハンバーグの皿を置くと、舜平の表情がちょっと緩んだ。こっくりとした深い色合いのソースがたっぷりとかけられた、大きめのハンバーグだ。 「おお、うまそうやなぁ!」 「最近あんままともなもの食べてなかったからさ、ちょっとこういうの食べたかったんだ」  そう言って、珠生はワイシャツの上につけていた濃紺のエプロンを外し、舜平の向かいに正座した。舜平はちょっと心配そうに珠生の顔を覗き込む。 「そういえば、ちょっと痩せたんちゃう? これ以上細なってどうすんねん」 「は? 痩せてませんけど。着痩せしてるだけだし」 「すまんすまん、失言やったな」  舜平はそう言って手を伸ばすと、珠生の頭をわしわしと撫でた。珠生はむすっとした顔で舜平をにらみつつ、味噌汁に箸をつけた。 「最近、奥琵琶湖の方で妖が騒がしいんだ。毎晩琵琶湖行ってるから、寝不足なんだよ」 「へぇ、そうなんや。誰と組んでんの?」 「佐久間さん」 「ふーん、佐久間さんね…………え!? あかんあかんあかん!! あのセクハラ大魔神と二人きりで琵琶湖やと!? あかんやろそれは!!」 「まぁ、毎回のようにお尻とか触られるけど」 「あかんやん!! 俺が藤原さんか常盤に訴えたろか?」 「大丈夫だよ。紺野さんもいるから、いつも止めに入ってくれるし」 「紺野さんか……頼りにならへんな」 「ま、なんだかんだ仲良くやってるから大丈夫。日中のお役所仕事よりずっと楽だよ」 「あぁ、どんな仕事してるんやっけ?」 「宮内庁京都事務所ってのがあるんだけど、俺はそこの管理部管理課ってとこにいるんだ。御所にある文化財の管理とか、参観を希望する団体とかの案内とか、まぁ、もろもろね。外国人相手の仕事も多いんだよね」 「へぇ……お前が団体を相手にねぇ」 「まぁ、まだサポートでしか入ったことないけど……。もっと英語とか頑張んないと……」 「ああ、お前英語喋れへんねやったな。先生はペラペラなのに」 「うるさいなぁ。いいよね舜平さんはペラペラで」 「俺はノリと勢いと専門用語でなんとかやってるだけやけどな」 「ふーん」 「拗ねんな拗ねんな。若いねんから、すぐ覚えられるって」 「別に拗ねてないし」  そう言って、もぐもぐと白飯を咀嚼している珠生を見て、舜平はふっと微笑んだ。なんだかんだと言って、こうして二人でゆっくりと食事を取るのは二ヶ月ぶりだ。珠生が何をしていても可愛らしく見えてしまい、ついつい顔が緩んでしまう。 「しかし、お前……黒服、似合うてたな」 「え? そうかな」 「おう。キマってんで」 「あ、ありがと……」 「ワイシャツとか、なんかええな」 「……舜平さん、目つきがエロいんだけど」 「え? そうかぁ?」 「エロいよ」  そう言って、珠生はうっすらと頬を染めた。  この部屋に珠生が入って来た瞬間から、舜平はしげしげと黒いスーツ姿の珠生を眺め回していたのである。ワイシャツの袖をまくり、エプロンをしてキッチンに立つ珠生の姿を見ているだけで、舜平はむらむらとよからぬことを考えてしまう始末。  今目の前でハンバーグを食べている珠生の姿も、何だか無性に可愛らしい。もう二十二歳なのだから、『可愛らしい』などという形容詞を当てはめていいものかどうかは疑問であるが、まだどことなく学生っぽさを残している珠生の整った顔立ちに、キリッと締まった黒いスーツというアンバランスさが、舜平にとっては妙にツボなのである。  パリッとしたワイシャツとノーネクタイで、ひとつふたつボタンを開けている珠生の襟元は妙に色っぽく、そこからちらりと覗く鎖骨のラインがものすごく妖艶だ。  そこにきつくキスを降らせたら、珠生は一体どんな反応をするだろう……そんなことを考え始めると、むらむらと落ち着かない気分になってしまうのだが、珠生が久々に作ってくれた料理もまたすこぶる美味いため、舜平はしばらく無言で手料理を堪能した。そして両手を合わせて「ごちそうさま」と言う。 「舜平さんもたまには援護しに来てよ。このままじゃ腕が鈍るんじゃない?」 「おう、もちろんええよ。……腕が鈍るか、せやなぁ。最近霊力使ってへんし」 「なんか勿体無いよね。昔みたいに、俺たちと戦ってくれたら……」 と、珠生は何かを言いかけて、ふと言葉を切った。  そして、何かを誤魔化すようにサラダを一気に食べ終えて、ため息をついている。 「ごめん。舜平さんには舜平さんの仕事があるのに」 「いやいや、何で謝んねん。そら、俺もそうできたらよかったんかなって思うことあるし……」 「そう、なんだ」 「うん。……でも、院まで進んで、留学もして、就職までして……ってなると、なかなかこっちの道も捨てがたいというか」 「す、捨ててほしいなんて思ってないから! ……ごめん、俺、別にそういう意味で言ったんじゃなくて」 「……分かってる」  申し訳なさそうな顔でしゅんとしてしまう珠生の隣に座り直すと、舜平はぎゅっと珠生の肩を抱いた。珠生の匂いと体温が愛おしく、舜平は目を閉じて、珠生の背中を労わるように撫でてやる。 「ちょっと疲れてんのかもな。まだ七月やし、こういう生活にもまだ慣れてへんやろから」 「いや……そんなことないよ」 「好きやで、珠生。……お前のそばにいてやりたい」 「……べ、別に……そういう意味じゃないし」  甘やかされてプライドが傷ついたのか、珠生はむうっとふくれっ面をして舜平を突っぱねようとした。しかし舜平はその手首を取ってそのままラグマットの上に珠生を押し倒し、不機嫌な目つきで自分を見上げる胡桃色の瞳をじっと見据えた。 「かわいいな、お前は」 「……可愛いとか言われても嬉しくないっての。俺、もう二十二だよ?」 「そうやけどさ。……腕っ節は無敵のくせに、俺にはこうやって弱いところを見せてくれるとか、ほんまにかわいいで」 「……」  珠生は気恥ずかしそうに目を伏せて、こてんと顔を横に倒した。舜平はそっと顔を寄せ、珠生の首筋に唇を這わせる。 「……んっ……ま、待ってよ。シャワーとか、俺っ……!」 「待てへん。待てるわけないやろ。こうやってお前と過ごすん、二ヶ月ぶりやで」 「ぁっ……ンっ……」  間髪入れずに珠生の唇を塞ぎ、すぐに口内を舌で舐ると、珠生はやや抵抗を示すように身体を硬くした。しかし、ゆったりとした動きで粘膜を愛撫するうち、珠生の吐息と肉体は素直に熱を孕み始める。 「ん……っ……ァ……しゅんぺい、さん……っ」 「セックスしたい。……珠生は? ここ、こんなにしてんのに、まだ俺を焦らすんか」 「あ、ぅっ……」  細身の黒いスラックスの股座を、やや強い力でぐっと握り絞めてやると、珠生は腰をよじって甘い悲鳴をあげた。長いまつ毛に縁取られた瞳はすでに陶然と涙に濡れ、赤く染まった唇から漏れる吐息はひどく熱い。 「ま……てない」 「え? 何やて?」 「待てない……俺も……」 「……そうか」  珠生は両腕を舜平の首に絡めると、ぐいと自分の方へ引き寄せた。もう一度深く舌を絡み合わせ、吐息を奪い合うような激しいキスを交わしているうち、いつしかスラックスを抜き取られていた。 「……(はよ)う、挿れたい……」  いつになく切実な舜平の声が、珠生の最奥をじんと熱くする。珠生は無言でなんども頷いて、自ら脚を開いて舜平を誘った。 「俺もほしい、ほしいよ……早く、しよ? 舜平さん……」 「……エロいカッコしてくれるやん。ええよ、すぐ、挿れてやる」  めくれ上がったワイシャツの下に覗く白い腰と、黒いボクサーブリーフ、そして履いたままの黒いソックス。興奮を主張する屹立を下着越しに撫で上げながらじっと珠生を見つめると、珠生は頬を赤く染めながら「ぁん……」と淫らなため息を漏らした。  舜平はきりりとした目元に獣じみた光をちらつかせ、着衣のまま舜平を煽る珠生の肉体に、激しい愛撫を与えるのであった。  

ともだちにシェアしよう!