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『珠生、社会人一年目の夏』〈2〉

   そして次の日、珠生は京都駅の近鉄線ホームにいた。舜平の住まいのある伏見から、京都駅までやって来たのだ。  今日は、グランヴィアホテルで打ち合わせである。  通勤時間帯であるため、京都駅はどこもかしこも人でごった返している。そろそろ世間は夏休みだが、今の珠生には何の関係もないことだ。 「……完全にやりすぎた……。まぁでも、今日は打ち合わせだけだし何とかなるか……」  ずんと重たい腰を無意識に摩りながら、珠生はそうひとりごちた。昨夜の舜平との濃厚なセックスのおかげで、珠生はすっかり寝不足なのだ。ああして時間を気にせず身体をつなげたのは久しぶりだったため、珠生もついつい貪欲に舜平を貪ってしまった。  明るい部屋で、お互いに着衣のまま、深々と挿入された瞬間の熱い滾りを思い出し、珠生は小さく身震いをした。  前戯もほどほどに貫かれ、若干の苦しさを感じたものの、それが逆に珠生の性感に火をつけた。いつもなら舜平は珠生よりもよっぽど余裕があり、珠生は焦らされてばかりであるのに、昨日の舜平はいつになく余裕がなく、言葉も少なめに珠生を抱いた。  舜平の凛々しい瞳が快楽に濡れ、口からは荒い吐息ばかりが漏れる。腰の動きもいつになく性急で、珠生の腰を掴む舜平の手は、とてもとても熱かった。  そんな舜平が愛おしくて、激しく求められることが嬉しくて、珠生は自分から淫らな台詞を口にして舜平を煽った。それは舜平のセックスに対する素直な感想に過ぎなかったのだが、舜平は猛々しい表情に薄く笑みを浮かべつつ、煽られるまま珠生を深く深く穿つのだった。  体位を変え、場所を変え、無我夢中でセックスに溺れているうち、いつしか空が白み始めていた。身体はぐったりと疲れているし、これ以上続けていると翌日にひびくと分かっているのに、舜平から注がれる愛撫や体液が美味で、そして力強い霊気に包み込まれていることが幸せで、舜平と離れるのが切なくて……。 「……はぁ……眠い」 「……随分とお疲れのようだねぇ」 「うわぁあああ!!」  人波に逆らうことなくのろのろと歩いていると、不意に、背後から誰かに耳元で囁かれた。  珠生は仰天して、大声を出してしまう。近鉄線改札口からJR線西口へと早足に向かうビジネスマンたちが一斉に珠生を見て、驚いたような顔をしている。珠生は恥ずかしさのあまり、真っ赤になってしまった。 「せ、先輩……!」 「やぁ、おはよう。珠生」  背後に立っているのは彰だった。  彰はにこやかな笑みを浮かべて、立ち止まりかけた珠生をスマートにエスコートし、すたすたと人波に乗る。 「もう、やめてくださいよいきなり!!」 「ふふっ、ごめんごめん。隙だらけだったからさ」 「あぁ、びっくりした……」 「その様子だと、昨日は舜平のところにでも泊まったのかな?」 「う」 「疲れてそうだけど、力の流れはすごくいい。なるほどねぇ……」 「ちょ! やめてよそんな目で見るの!!」 「ははっ、ごめんごめん」  珠生と揃いのような黒いスーツ姿の彰は、爽やかに微笑みながら珠生と歩調を合わせた。午前中とはいえ、むっとするような熱気に包まれた人混みの中だが、彰はすごく涼しげだ。 「研修医って忙しいんでしょ? 大丈夫なの?」 「まぁね。でも、今日は打ち合わせの後、また病院に戻るよ」 「大変だなぁ」 「学ぶことが山のようにあるからね。けど、毎日が充実していて、とても刺激的だ」 「そっかぁ……すごいね、先輩」  そう言って珠生が微笑むと、彰は微笑みを浮かべながらすっと珠生の肩を抱く。気づけばグランヴィアホテルの入り口の前に着いていた二人は、そのまま肩を並べてエレベーターに乗り込んだ。 「珠生はちょっと疲れてるみたいだって、葉山さんから聞いたんだけど。仕事はどう?」 「うーん、妖退治のほうはいいんだけど……やっぱ、昼間の仕事はまだ慣れないね」 「ふふっ、珠生は人見知りだもんね。でも、この国の文化を受け継ぎ、後世へとつなげていく大事な仕事だ。頑張ってくれたまえよ」 「うん、頑張る……」  珠生が苦笑いを浮かべながらそう言うと同時に、グランヴィアホテル最上階のスイートルームに到着した。もはや通い慣れた部屋に中に、今日は藤原の姿がある。珠生らの姿を見て、窓辺に立って外を眺めていた藤原は、にっこりと微笑んだ。 「やぁ二人とも、おはよう」 「おはようございます」 「おはようございます」  藤原は、特別警護担当課本部長の座を常盤莉央に引き継いでからは、京都と東京を往復しつつ、後世の育成に力を注いでいる。世界遺産・下鴨神社すぐそばという好立地にマンションを購入して一人暮らしをしつつ、日々若者の鍛錬に励んでいるのだ。  いっときよりもずっと、藤原の表情は晴れやかだ。離婚した妻子とはほとんど会えていないようだが、日々若者たちを相手にしているせいか、力が肉体の隅々まで漲っているような、たくましさを感じる。 「藤原さん、昨日はここに泊まったんですか?」 「いや、ここは常盤が宿泊しているんだ。今はちょっと出ているんだけど」  彰はまめまめしくお茶を淹れに行ったため、珠生と藤原はソファセットに腰掛けて雑談を始めた。藤原は白いワイシャツにノーネクタイで腕まくりをし、ぐっと日に焼けた引き締まった腕を晒している。年々若さを取り戻していくかに見える藤原を前にしていると、自然と珠生の背筋も伸びるものだ。 「ここの賃料も馬鹿にならないし、こういうミーティングの時は私の自宅を使うようにしてもいいかなと思ってるんだがね」 「あ、いいですねそれ。藤原さんの家、すごく広いし」 「ふふ、大枚を叩いたからね。……けどまぁ、今日は大事なお客様が来られるからなぁ。こういう時は、ホテルのような場所が便利だし、きれいだからね。私は掃除は苦手なんだ」 「そうなんですか? すごく几帳面そうに見えますけど……ん? 大事なお客様?」 「ああ、誰だと思う?」 「はぁ」  珠生がきょとんとしていると、すっと部屋のドアが開いた。  タイトな黒いスーツに身を包み、グラマラスな脚に尖ったピンヒールを履いた常盤莉央が、すっと部屋の中へと身を滑らせた。  そして珍しく、うやうやしい手つきでドアを押さえている。 「あら、もう来てたのね。ちょうどよかったわ」 「常盤さん、お疲れ様で……」  そのドアの向こうから姿を現した一人の男を見て、珠生はふと動きを止めた。  淡いグレーの細身スーツに身を包んだ、上背のある肌の白い男。艶のある黒髪をきれいに撫で付け、品良く整った顔立ちに淡い笑みを浮かべる、凛とした雰囲気の優男だ。テレビで何度も見たことのある顔であり、宮内庁に入省する際の式典でも、顔を見たことのある人物であった。 「……つ、露草宮さま?」 「やぁ、どうも。今日はお忍びなんだ、堅苦しい挨拶は無しにしてくれよ」  数人の供を連れただけという軽装で、今生天皇の第二皇子・露草宮(つゆくさのみや)喜仁(よしひと)親王がホテルの室内へと足を踏み入れて来たのである。  喜仁は御年二十四の若者で、皇族きっての美男子だ。国内外にもファンが多く、公務の際にはどこへ行っても黒山の人だかりが出来上がるほどの人気ぶりだ。  身長一八二センチ。上背があり筋肉質な肉体は、堂々たる風格だ。中等部時代からバスケットボール、剣道、水泳を続けており、今はロッククライミングが趣味だというスポーツマンでもある。  アクティブなばかりではない。詩歌の腕も素晴らしく、何冊か本も出している。音楽の方にも才があり、ピアノやヴァイオリン、サックスなどの腕前もプロ級という凄まじさだ。  オーラ溢れる皇族の男が現れたことで、スイートルームが恐ろしく高貴な場所になったように感じられ、珠生はどうにも落ち着かなくなってしまった。ソファに座る藤原の背後に立ち、直立不動で喜仁の姿を眺めることしかできない。  しかもさっきから、ちら、ちらと喜仁の目線がこちらを向くものだから、より一層落ち着かない。珠生は伏せ目がちに藤原つむじを見つめながら、時折ちらりと喜仁を見てみる。するとばっちり目があった。 「……君……ひょっとして」 「えっ……? え? 僕ですか?」  溢れ出すような高貴なオーラに包まれた喜仁に食い入るように見つめられ、珠生は思わずたじろいでしまった。すると莉央に「ビビりすぎ。逆に失礼でしょ」と窘められる。  はっとした珠生は咳払いをして、なんとか背筋を伸ばして喜仁に向きなおる。すると喜仁はすっと立ち上がり、澄み渡る眼差しで珠生をじっと見つめながら、つかつかと珠生の方へと歩み寄って来た。目の前に仁王立ちする喜仁相手に珠生がぎょっとしていると、突然両手をぎゅっと握られた。 「もしかして……君が、千珠さま、なのかな!?」 「……えっ!? ええと……あ、はい……そうです……すみません」 「あぁ……!! やっぱり……!! 藤原さんから、何度もお話を聞いていたんですよ! 現世に蘇った君も、ものすごく美しい容姿をしているからすぐに分かると!」 「は、はぁ……」 「物語を裏切らないこの美貌……はぁ……なんて美しい青年だろう。こんなにも小柄でか細いのに、今もかの伝説的な力を宿しているだなんて……実にロマンだ」 「はぁ……」  小柄でか細いと言われたことには不本意さを禁じ得ないが、目を逸らすのも失礼に思われて、珠生は引きつった顔のまま喜仁の顔を見上げた。喜仁は感極まった表情で身を乗り出すように珠生を見つめ、うるうると瞳を潤ませ始める。するとすぐそばで成り行きを見守っていた藤原が立ち上がり、すっと喜仁の腕に触れた。 「こらこら、初対面の相手に、迫りすぎですよ」 「あっ……すみません。ついつい興奮してしまって」 「お気持ちが高ぶられるのも分かりますが、今の彼は現代人で、宮内庁の職員でもありますから」 「ああ……そうですよね。失礼。僕としたことが」  藤原に物申され、喜仁はすっと身体を離した。藤原の堂々たる態度に救われて、珠生はホッと胸をなでおろす。  喜仁と藤原は親しい間柄のようで、それにも少し驚いてしまう。皆のもの言いたげな視線に気づいたのか、藤原は「喜仁様に古文書の読み方を教えたのは私でね」と言った。 「藤原さんには色々と語っていただいてたんですよ。いやぁ、実に感激だな。物語の登場人物たちが、こうして僕の目の前に……」  喜仁は、今度は彰に目をつけたらしい。大きく手を広げながら莉央の背後に立っている彰に歩み寄ると、大きな手で彰の手を握り、ぶんぶんとオーバーに握手をする。 「君が佐為さま、でしょう!?」 「……ええ、そうですよ」 「やっぱり……やっぱりそうなんだね!! 君が身にまとうオーラっていうのかな、なんていうか常人離れしているもんな!」 「お分かりいただけますか、喜仁様」 「そりゃあもう!」  彰の態度は落ち着いたもので、珠生はおどおどしてしまった自分が途方もなく恥ずかしくなった。が、喜仁はそんなことは御構い無しに、さも幸せそうな表情で彰、莉央、藤原、そして珠生の顔を見比べている。 「ああ、楽しみだなぁ。君たちが僕の目の前で戦いの場を再現してくれるなんて……本当に、本当に楽しみです。ありがとうございます!」  そう言って、喜仁はがばりと直角に腰を折った。  興奮気味の喜仁を藤原がなだめすかしつつ、ようやく打ち合わせが始まった。

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