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『珠生、社会人一年目の夏』〈3〉

   一週間後の、催事当日。  その日は週末であったため、舜平は珠生と彰の手合わせを見物すべく会場へとやって来ていた。転生者である舜平らには、今回の催事に参加する許可が下りているのだ。  てっきり京都御苑あたりで開催するものと思っていたが、場所は比叡山のただ中である。いつぞや藤原が珠生と舜平の修行をつけた場所に、催事の場を設けるというのだ。  日本の裏歴史に関わる重要人物である二人が、手合せをする……よくよく考えてみると、こんなことを大っぴらに京都市内で出来るわけがない。当然、手加減するだろうとは思うが、最強の鬼VS最恐の陰陽師との戦いとなると、少なからず、周りに影響が出るであろうということも想定に入れておかねばなるまい。  しかし、いくら王室の重要人物とはいえ、国外の人間にこのようなものを見せてもいいのかどうかという疑問も残る。舜平はどことなく落ち着かない気分のまま、車で比叡山へやって来た。  時刻は十六時半。催事が始まるのは十九時である。  今日も比叡山には入山規制がかけられていたが、運転席の窓を下げて制服警官に莉央からの公的なメールを見せると、すんなりと通してもらえた。延暦寺の駐車場に車を停めると、真夏とは思えないほどの涼やかな風が、ざっと舜平の黒髪を乱して吹き抜ける。 「あ、舜兄!」  見れば、真っ赤な軽自動車から亜樹と深春が降りて来るところであった。運転席側から降り立った深春は、舜平を見て表情を輝かせ、キーを持った手をぶんぶんと振り回している。 「おお、二人とも久しぶりやなぁ!」 「へへっ、なんか普段見れねぇもんが見れるっていうからさ」 「お前が運転して来たん?」 「そーそー。こないだ免許とったからさ、練習中」 「えらい可愛いの乗ってるやん。どうしたん?」 「柚子さんが買ってくれてん。二人で乗りやって」 と、亜樹は麦わら帽子をかぶりながらそう言った。幼稚園教諭として働き始めて一年目の亜樹は、いっときよりも少し痩せているように見えたが、表情は普段通り元気そうである。  深春は服飾専門学校に通い始めて二年目だ。いつもは古着系の小洒落た服装を好んでいむ深春だが、今日は行事が行事であるからか、珍しく襟の高いパリッとした黒いシャツを着て、濃色のデニムと小ぎれいな格好だ。髪の毛もさっぱりカットしており、あちこち無造作に跳ね上がった癖っ毛が可愛らしい。  もう卒業制作に取り掛かっているのだという話を楽しげに喋っている深春を見ていると、これまでの痛々しい事件自体がまるでおとぎ話のように感じられる。 「ねぇ、今夜ご飯行こうやぁ。喋りたいこといっぱいあんねん」 「おお、ええな。どこ行く?」 「なぁなぁ、飲みに行こうぜ!! 俺、堂々と酒飲めるようになったんだし!!」 「あ、そうか。深春ももう二十歳か……早いなぁ。俺も歳取るわけや……」 「もー、オッサンみたいなこと言わんといてよ。舜兄は今もかっこええで」 「そうか? 亜樹ちゃんは相変わらず、年上の男褒めるんがうまいなぁ」  延暦寺の社務所の方へと並んで歩いていると、建物の中から葉山が出てきた。三人の姿を見て、葉山は笑顔で片手を上げた。 「みんな、よく来てくれたわ」 「おー、葉山さんも来てはったんですね。お久し振りです」 「舜平くんは、特にお久しぶりね。さ、早速だけど着替えてちょうだい」 「着替え?」  舜平がきょとんとしていると、深春が舜平の隣でこう言った。 「莉央さんのメールに書いてあったじゃん。今日は全員黒装束でお出迎えなんだろ?」 「あ、そうなん? あんまちゃんと読んでへんかったわ」 「特に転生者であるあなた達は、宮様にきちんと紹介しておきたいしね」 と、葉山が先を歩きながらそう言った。 「うちなんて、舞を披露せなあかんねんで? 霧島で舞った神降ろしの舞」 「え? そんなことしていいのか? マジで神様来ちゃったらどうすんだよ!!」 と、深春。 「いやいや、そんな簡単に来ぃひんやろ」 と、舜平。 「大丈夫。今日使う装備品は全部レプリカだし、亜樹ちゃんにはいくつか手順を省いてもらうから」 と、葉山。 「本来ならここまでのことはしないんだけど、今回訪日なさるスウェーデンの第一王子は、霊的なものが視える人らしくて、あっちの国でもそういう面倒ごとを処理する集団を組織したいと考えているらしいの。だから今回、いろいろと見学して帰りたいんですって」 「へぇ、王子様で視えるってすげえなぁ。なんか漫画みてー」 と、深春が間延びした声でそう言った。 「陰陽師衆みたいなのって、世界でも珍しいんですか?」 と、亜樹が葉山に尋ねた。 「いいえ、そんなことないわよ。世界各国、名前や術式は違えど、悪魔祓いを生業とする集団は存在しているものなの。でも、スウェーデンではきちんと組織化されていないから、第一王子が率先してもろもろ取り纏めていく方向でいるらしいわ」 「へぇ……そうなんや」  そんな話をしつつ社務所の奥へと進むと、普段は会議などに使われる広々とした座敷に到着した。そこにはすでに数人の見知った顔が動き回っていて、皆すでに黒い狩衣姿である。 「そいや、珠生くんは? 今日の主役なんだろ?」 と、深春がきょろきょろと辺りを見回しつつそう言った。 「珠生くんと彰くんはもう山に入ってるわよ。いろいろ現場を見ておきたいって」 「へえ、そうなんや」 と、舜平。 「亜樹ちゃんは私と来て。巫女装束を準備してあるから、それに着替えて、一旦通しで稽古しましょう」 「はぁい」 「舜平くんと深春くんは、黒装束に着替えておいてね。着方が分からなかったら、その辺にいる誰かに聞いて」 「大丈夫ですよ」  亜樹と葉山が別室へと消えて行ってしまうと、舜平と深春は黒装束姿の紺野知弦から、たとう(がみ)に包まれた黒装束を手渡された。二人は、紺野とも久しぶりである。 「紺野さん、元気そうやな」 「あ、はい。おかげさまで」 「もう仕事には慣れはったんですか?」 「ええ、さすがに五年目ですからね。後輩たちもできたので、僕もあまり甘えたことは言ってられませんから」  そう言って苦笑する紺野は、確かに以前よりもすっきりと精悍な顔立ちになっていた。いかにも自信がなさそうだった気弱な面差しはそこにはなく、笑顔も立ち姿も、以前よりぐっと男らしい。 「深春くんも……お久し振りですね」 「あ、はい……」 「デザイナーさんになるんでしょう? すごいですね」 「あ、はい……でも別に、すごいとかじゃないっすよ。まだ全然ひよっこ以下だし」  数年前に起こった、祓い人にまつわる凄絶な事態。それを招くきっかけとなってしまったのは、深春と紺野の間で交わされた会話であった。なので今も二人の間には、どことなくぎこちなさが漂っている。  舜平はそんな二人を黙って見守っていたが、深春は深春で、紺野は紺野で、互いに何やらもの言いたげだ。しかしそこは、やはり紺野が一枚大人であるらしい。小さく咳払いをした後、紺野は微笑みを浮かべながらこう言った。 「僕は私服がダサいから、いつか買い物に付き合ってくれませんか。深春くん、いつもおしゃれでかっこいいですから」 「……え? そ、そっかな」 「そうですよ。僕は当分京都勤務だし、よかったら、また連絡ください」 「あ、おう……! いい店紹介してやるよ」 「楽しみにしてます」  そう言い置いて、紺野は部屋を出て行った。  紺野と和やかな言葉を交わすことができたせいか、深春の表情はどことなく晴れやかなものへと変化している。舜平は、深春の頭をわしわしと撫でた。 「よかったやん。仲よくなれそやな」 「お、おう……。まずはあのダセェ眼鏡からなんとかしてやんねーと、モテねぇな」 「そうか? あれはあれで知的だと思うで?」 「俺的にはちょっと許せねぇな。てか……はぁ、よかった。普通に喋れて」 「よかったよかった。俺もホッとしたぞ」  舜平のそんな台詞に、深春はちょっと眉根を下げて照れくさそうに微笑んだ。腕の中でがさりと音を立てるたとう紙を抱え直し、深春はちょっと甘えたような口調でこう言った。 「なぁ、これ着せてよ。俺、狩衣なんて着るの初めてなんだよな」 「おお、ええよ。そういや、お前も揃いの黒装束なんて、初めてやな」 「へへー、後で写真撮ろうぜ! 記念だ記念」 「おお、ええな」  うきうきと黒い着物を取り出す深春の側でポロシャツを脱ぎながら、舜平もひそかに安堵の笑みを浮かべていた。

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