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『珠生、社会人一年目の夏』〈6〉

   見れば、彰の背後に二人、黒装束の術者が立って印を結んでいる。一人は佐久間、そしてもう一人は敦だった。普段はちゃらちゃらしている二人だが、こうしてきっちりと貴族装束に身を包み、引き締まった表情で術を放つ姿は、さすがのようになかなか凛々しい。  銀色に輝くかまいたちのような刃をひらりと交わしたあと、珠生は空中で一回転し、天から降ってくる黒鉄色の牢獄からも逃れようとした。しかし、通常ならば直線的な動きでしか敵を捕らえることのできない黒錠牢だが、今日はぐいんと投網のような形に変化(へんげ)し、球状の鳥かごのような形になって珠生を囲い込んだのである。  その術を放ったのは敦である。こめかみに汗を浮かべながら、複雑な印を結んでいるのだ。馬鹿一辺倒に攻撃にばかり力を注いでいた敦が、あんなにも難しげな術式を操っているということに、舜平は驚きを隠せなかった。そして、若干、悔しいとも思った。  ――なんや、俺が普通に社会人やってる間に、レベルアップしてるやん……。  舜平の焦燥にも似た感情をよそに、手合わせは続いていく。  見慣れない術の変化に驚いたのか、珠生は鉄格子の鳥かごに囚われたままずん……と地面に墜落した。砂利が飛び散り、篝火が微かに揺れる中、ついさっきまで珠生が手にした一振りの太刀が、がしゃんと地面に突き刺さった。  そして間髪入れず、佐久間が高らかに詠唱する。 「陰陽結界術・錐行(すいぎょう)!! 急急如律令!!」  ビシィッ……!! とあたりの空気が一瞬にして凝結するかのような音が響き、透き通る正八面体の物体が、鳥かごの上をさらに封じる。佐久間と敦が嬉々とした表情で目を見合わせる中、彰は油断のない目つきでじっと珠生の捉えられた結界の中を見据えていた。  数秒、しんとした沈黙が落ちた。  二重に囚われ、これにてあっけなく幕引きなのかと思った矢先、錐行の中で銀色の光が迸った。  そして一閃、横一文字に鋭い光が空を切る。珠生が宝刀で結界を破り、ひらりと身軽に空へと飛び上がったのである。  面で顔を隠しているから、呆気にとられる敦と佐久間のことをどんな目つきで見下ろしていたのかは分からないが、いつにも増して身軽なその動きを見ていると、二人の張った渾身の結界術を破ったことに喜びを感じていることは間違いがなさそうだ……と舜平は思った。  刃を携えた珠生は、一直線に敦と佐久間に斬りかかった。二人が身構えるより前に刃を振りかざした珠生の前に、突如薄い玉虫色の膜が張る。宝刀が振り下ろされた衝撃を全て飲み込み、珠生の動きを封じるその術を放ったのは、敦らの背後に立つ彰であった。 「あれは陰陽結界術・薄氷(うすらい)。詠唱なしであれを作れるのは、過去でも現世でも佐為だけだったわ。にしても、引き立て役にしても可哀想よね。ここ半年修行して新技身につけたのに、珠生くんにはあっさり破られて、もっと強い結界術を見せつけられちゃうなんて」 と、莉央が面白そうにそんなことを言っている。相変わらず性格の悪い女や……と内心舜平は思ったが、露草宮が素直に「そうなんですか!? すごい人なんですね……!!」と感動しているものだから、舜平は口をつぐむしかない。  そうこうしている間に、珠生は宝刀をパッと手放し、ひらりとまた一回転して陰陽師から距離をとった。珠生の手を離れた宝刀は霧散して消え、また改めて珠生の手のひらの中で息を吹き返す。  その時、ずっと途絶えていた雅楽が再び高らかに旋律を奏で始める。それを合図のように、敦と佐久間がさっと彰の背後に下がり、舞台は再び珠生と彰だけとなった。  皷の音はより一層高らかに響き、笙と鈴の音が空気を盛り上げていく。  まっすぐに目線を交わす二人の間に高まる緊張感が、こちらにも伝わってくる。  たん……と珠生が地面を蹴ったその瞬間、彰はさっと印を結んで詠唱した。 「土爆天閃(どばくてんせん)!! 急急如律令!!」  ぼこぼこぉっ……と地面が盛り上がり、一瞬にして盛大に爆ぜた。再びあたりを揺るがす大技のあおりを受け、舜平の張った結界壁もびりびりと震えている。  そのあまりの衝撃波に恐れをなしたのか、フェルディナンド王子は不安げに辺りを見回すばかりである。莉央と露草宮は意気投合しているのか何なのか「宮様! 見まして!? 今のが陰陽師衆に伝わる伝統的な大技の一つですのよ!!」「す、すごい!! ダイナマイトでも仕掛けているわけじゃないよな!?」「そんな小狡いことするわけないでしょう! これこそ、わたしたち陰陽師衆が受け継いできた素晴らしい力と技なのです!!」と大盛り上がりしているのである。  深春はどこに行ったのかと思って視線をめぐらせてみると、能舞台で、葉山の結界の中にいる亜樹の傍に控えている。きっと爆風渦巻く能舞台に取り残されている亜樹が心配になったのだろう。  そういうわけで、今フェルディナンド王子の不安に気づいてやれるのは舜平だけである。舜平は顔だけで王子を振り返ると、「大丈夫ですか」と英語で尋ねた。  すると王子は、はっとしたように舜平を見つめて、小さく何度か頷いた。そして、「君もあんな技が使えるのかい?」と質問をしてくる。 「ええ、まぁ。といっても、今は普通の製薬会社に勤務していますけどね」 「……え? なぜ? 君は、こんなにも強く、素晴らしい力を持っているのに。どうしてそれを生かす道を選ばなかったの?」 「……なぜ、と言われると……」 「日本の術者たちは、素晴らしい使い手ばかりだが、僕には見える。君の力は、そこに居並ぶ陰陽師たちよりもずっと強いじゃないか」 「……」  フェルディナンド王子のストレートな問いかけに、舜平は言葉を失っていた。  なぜ、と問われると、はっきりとした答えを返すことができない。  それこそ、舜平がここ最近……いや、大学院にいた頃からずっと、胸に抱え続けてきた迷いだからだ。 『相田舜平』としての人生を生きる――それが、舜平の願いだったはずだ。また、専門性の高い学問を学ぶ舜平の意思を尊重してか、周囲の皆も、珠生も、誰も舜平の力をそこに求めようとはしなかった。  だから、これでいいと思っていた。  でも、こうして久しぶりに霊力を使い、そして、炸裂する大技に心臓を震わせてようやく、舜平の中に巣喰い続けていた迷いがくっきりとした形を成して舜平を追い立てるのだ。  選ばれし者しか持ち得ないこの力を、眠らせておいていいのだろうかと。  珠生を一番そばで守ってやりたいと思っているのに、どうしてそれを実行しないのか――と。  舜平が黙り込んでいると、ドォン!! とまた激しい爆音が響いた。  爆発した土塊をなぎ払いながら、一直線に彰に詰め寄った珠生が、彰に宝刀で斬りかかったのだ。  とっさに太刀を抜いてその刃を受けている彰だが、その衝撃の強さに表情が歪む。鍔迫り合いをしているだけだというのに、ふたりぶんの強大な霊気と妖気が爆発し、あたりにつむじ風を巻き起こしているのだ。  砂利が飛び散り、篝火がいくつか倒れる。手加減なしに彰に打ち込む珠生の表情は見えないが、そこには遠慮のかけらも見ては取れない。  すると一瞬、彰は太刀の柄から手を離し、素早く珠生の胸元を指先で突いた。 「爆!!」 「……ぐっ……!!」  彰の触れた場所が、火を吹いた。  珠生のくぐもった悲鳴が、かすかに舜平の耳にまで届いてくる。  白い狩衣の胸元が黒く焦げ、珠生は後ろにひらりと一回転して、砂利の上に膝をついた。すると彰は太刀を地面に突き立てすぐに印を結ぶと、深く息を吸い込んで詠唱した。 「陰陽・百花繚乱(ひゃっかりょうらん)!! 急急如律令!!」  カッ……とあたりが薄緑色の光に包まれた。上空に、美しくきらめく五芒星が浮かんでいる。  それが彰の得意中の得意技であるということは知っているが、まさか最大級の大技を味方相手に使うとは。舜平が空を見上げて唖然としていると、五芒星からまっすぐに、光の槍が降り注ぐ。 「あの馬鹿……っ……」  思わず身体が動きかけるが、背後にいる国賓をほったらかして行けるわけもない。舜平は固唾を飲んで、槍が突き立ち深くえぐれる地面を睨みつけていた。  カシャン……と乾いた音がする。  ふと見れば、さっきまで珠生のいた場所に、真っ二つに割れた鬼の面が落ちている。  その場に珠生の姿が見えず、舜平は不安にかられて辺りを見回した。  片手で印を結んだまま、彰は唇に小さく笑みを浮かべている。  一体どういう演出なのかと舜平がそわそわしていると、遥か高く、頭上にざわめく大樹の樹冠から、焼け焦げた白い狩衣姿の珠生が飛び出してきた。  銀色の髪をなびかせて高らかに跳躍し、彰の脳天めがけて刃を振り下ろす珠生の姿は、五百年前の千珠の姿そのものだった。  ――千珠……。  彰は再び太刀の柄をぐっと握って横一文字に構え、振り下ろされた珠生の刃をしなやかに受け流した。そして、宝刀を握る珠生の手首を素早く捉えて自分の方へと引き寄せると、とん、と珠生の額を指で突いた。  彰の指先に灯る金色の光。  直後、珠生の全身から力が抜け、ぐらりと彰の方へと倒れ込んだ。  柔らかく珠生を受け止め、彰はその場に膝をつく。すると、またあの声が聞こえてきた。 『朝廷を裏切りて、幼帝を殺めんがため、鬼を操りし者あり。囚われの鬼、陰陽師の手によりて、解放されん』  珠生は彰の腕の中で目を開き、澄んだ瞳で彰を見上げている。  そして、感謝の意を示すかのように柔らかく微笑むと、するりと身を引いて彰から離れ、俊敏な動きで暗闇の中へと消えて行った。 『帝の御身、陰陽師によりて護られん。京の都にまた静けき夜戻りにけり』  どどん、どどん……と物語を締めくくるように、ゆったりとした大太鼓が拍を刻む。

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