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『珠生、社会人一年目の夏』〈9〉

   結局、酔っ払い二人はホテルに宿泊することとなり、舜平と湊も付き添いとして残ることになった。  亜樹と深春も泊まりたがっていたのだが、翌日予定があるということもあり、二人は渋々帰宅していったのである。  本当ならば、珠生と二人きりで宿泊したかったが、あてがわれた部屋は、四人一室の広々とした部屋であった。  ででんと並んだシングルベッドは、四つともそれなりの広さがあって、マットレスもふかふかだ。ピンとはった白いシーツから香るほのかな匂いにも、そこはかとない高級感を感じる。  真ん中の二つのベッドに彰と珠生を転がして、舜平は湊とため息をついた。 「はぁ、疲れた」 「ほんまやで。……あ、藤原さんからメールや。話してきたいし、ちょっと出て来てもええか?」 「あぁ、ええよ。その間にシャワーでも浴びさせてもらうわ」  湊はくたびれた様子を見せながらも、彰と珠生のジャケットを脱がせてやったりと世話を焼いている。昔よりもオカン度が上がっているな……と湊を見守りつつ、舜平は急いで部屋を出た。  藤原からのメールには、ロビー横のラウンジで待っていると書いてある。舜平は階段を使って早足にロビーへとおりてゆくと、視線をめぐらせて藤原の姿を探した。  しかし、ラウンジの中に藤原の姿はない。代わりのようにそこにいたのは、カウンター席に座る金髪の後ろ姿。舜平は戸惑いつつもゆっくりと歩を進め、王子のやや後ろから声をかけた。 「……あの」 「ん? ……あっ、ああ……さっきの」 「隣、いいですか? 藤原さんと話すことがあったんですけど」 「どうぞ」  王子はすっと隣の椅子を引いて、舜平をにこやかに微笑みかけた。舜平も笑みを返しつつスツールに腰を下ろし、バーテンダーにビールを頼んだ。  おしぼりで手を拭きつつ、高級感あふれるラウンジを見回していると、横から王子の視線を感じた。ちら、と横目に王子の方を見てみると、王子はどこまでも澄んだ瞳でじっと舜平を見つめているのだ。  こうも間近に座っていると、俳優のように整った容姿は華やかで眩しく、目線を向けることさえ躊躇われてしまうほどに高貴である。舜平が曖昧に微笑みながら目線を返すと、王子はまた微笑んだ。 「あの、藤原さんは?」 「トキワさんが酔いつぶれてしまったから、代わりに喜仁を部屋まで案内しに行ったよ。僕は、フジワラさんと飲み直す約束をしててね、ここで待ってる」 「あ……そうなんや」 「日本のオンミョウジは強いと聞いていたけれど、想像以上だった。君からも、ものすごいエネルギーを感じるよ」 「あなたにも視えるんですね、俺たちと同じように」 「うん……でも、僕の周りには、こういう力を持った人間はいない。だから僕はずっとインターネットの世界の中に仲間を求めてきた。立場上、自由に何処へでもいけるわけじゃないが、今はネットの中で仲間を見つけることができる。……これまでは、それでなんとか自分を保っていたんだけど」 「……けど?」  王子はマティーニのグラスに口をつけ、唇を潤した。そしてじっと前方を見据えている。 「これは表沙汰にできない話だが……国王である父が、ゴースト……こちらでいうアヤカシに、付きまとわれるようになってね。目に見えて体調が悪くなっていっていた。医学的にはどこも異常が見当たらないのに、父はやつれていく一方で……」 「え? それ、どないしたんです」 「喜仁に連絡して、フジワラさんの力を借りたんだ。まさかスウェーデンでアヤカシ退治をすることになるとは思わなかったよっていいながら、あっさりとアヤカシを追い払ってくれた。……僕は視えるばかりで、何もできなくて」 「……そうやったんですか」 「アヤカシは僕に言った。『よく見てるといい、何も出来ないまま国王がじわじわ死んでゆく様を』って、楽しそうに。向こうも僕に気付いてるんだ。力はあっても、何も出来ない不甲斐ないヤツがいるってね」  藤原が国をまたいで陰陽師の仕事をこなしているということにも驚きを隠せないが、その時王子が感じていた苦悩や不安は、舜平にもやすやすと想像できるものであった。視えたり感じたりするだけで、何もできない。祓い人事件の時に霊力を失った際、舜平は王子と同じような感覚を味わったものだった。 「その時、フジワラさんの術を見て、すごいと思った。そして、国としてこういう術者を抱える日本政府のことを尊敬した。スウェーデンには、そんな集団はいないからね」 「なるほど。それで、陰陽師の力をもっと見ておきたかったってことですか」 「そういうこと。……願わくば、僕自身がアヤカシ祓いをできるスキルを身につけていきたいところだが、僕にはそういう自由もない。修行には何年も時間がかかるだろう? 公務もあるから、国を空けるわけにはいかないしね」 「ですねぇ」 「だから、この国の裏歴史をもっと聴きたくて。オンミョウジが組織化されるまでのこととか……でも、トキワさんが途中から酔っ払ってしまって、あまりのんびりとは話せなかったんだ」 「……申し訳ないです、ほんまに」  舜平が常盤の無礼を詫びていると、王子は軽やかな声で笑った。 「いや……。こんなにも、僕を普通の人間として扱ってもらえる場所はそうそうないから。とても新鮮で、楽しかった」 「ほんまですか? 国交断絶とか、やめてくださいよ」 「そんなことしないよ。むしろ、ありがたいなと思ったんだ。皆、同じものが視えて、同じものと戦っている……。仲間と協力して戦えるのは、素晴らしいことだ」 「……確かに、そうですね」 「僕も、君たちのように力が使えたら、守れるものも増えるんじゃないか……と思うと、居ても立っても居られない気持ちになってしまうんだ。だからね、この先僕はどうしたらいいだろうかと、フジワラさんに相談しようと思っていたところなのさ」  王子は、くいっとマティーニを飲み干した。そしてバーテンダーにお代わりをオーダーしている。舜平は、泡の消え始めたビールにようやく口をつけ、王子の境遇や立ち位置について思いを馳せた。 「……俺……ちょっと思ったんですけど」 「ん?」 「王子自身が強うなって、戦う必要はないんちゃうかなって」 「え?」  くるんとカールした長い睫毛と澄み渡る青い瞳が、じっと舜平を見つめた。舜平は身体を王子の方へと向け、続けた。 「あなたには視える目と、権力がある。王子は、異能集団を組織化したいって思ってはるんでしょ? 王子と同じように、孤独の中で戦っている人は必ずおる。そういう人らに居場所と仲間を与えてやることこそが、王子の仕事のような気がするんです」 「……なるほど」  王子は指で顎を撫でながら、考え事に耽るかのように目を伏せた。そして小さく何度か頷く。 「すみません、生意気なことを」 「……ううん、いいんだ。どんな意見でも聴きたいと思っていたし、君の考えは理にかなっていると思う」 「……俺は、藤原さんと彰に見つけてもらえて、良かったと思ってる。二人が俺たちの前に現れなかったら、何も始まらなかったと思うから」 「そうなのかい?」 「俺は珠生と出会って、ほぼ同時期に過去を思い出した。最初は二人で過去の記憶に振り回されて、随分途方に暮れていた時期もありました。でも、藤原さんと彰に導かれて、俺らはちゃんと転生できた……そんな感じがしてるんで」 「……へぇ」 「随分と懐かしい話だね」 と、背後から藤原の柔らかな声が聞こえて来た。振り返ると、ジャケットを小脇に抱えた藤原が立っている。  舜平の隣に腰を下ろした藤原は、バーテンダーにペリエを注文し、ふふっと懐かしげに笑みを浮かべた。 「そうそう、初対面のあの日、私は舜平くんに殴られたんだ。ははっ……懐かしい思い出だよ」 「す、すんませんした。あの時は……」 「いやいや、無理もないよ。君の大事な珠生くんに怪しく迫る黒服の男なんて、殴って当然だ」 「はぁ……」  舜平と藤原の日本語についていききれないのか、王子はちょっと小首を傾げている。舜平は曖昧に王子の方へも笑みを見せて、これまで王子と話していた内容を藤原にかいつまんで伝えた。藤原はうんうんと相槌を打ちながら話を聞き、泡を立てるペリエを一口飲む。 「……そう、私もそう思う。だからね、異能集団を組織するためのノウハウを、スウェーデンに伝えていこうと思っているんだよ」 「そうなのかい!?」  王子も、これは初耳だったのか、舜平よりも驚いている。そしてホッとしたように笑みを浮かべ、くいっとマティーニを飲み干した。 「それは、フジワラさんが僕の元へ来てくれるということなのか?」 「いや、ここは若い者に任せようと思っているよ」 「えっ、誰にですか!?」  まさか珠生では……!? という嫌な予感がして、舜平はガタンと身を乗り出した。藤原はにこにこといつもの笑みを浮かべつつ、こう言った。 「常盤に行ってもらおうと思ってる。あいつは海外経験も豊富だし、語学も堪能だ。日本人らしからぬ押しの強さもあるから、王子を導いていくにはうってつけの人材だと思う」 「……大丈夫ですか、色々……」  能力的には常盤が一番適任だと思うが、色々と性格に問題があるような気がして、舜平は恐る恐る王子の方を見た。王子は若干たじろいでいる様子でもあるが、鮮やかな青色の瞳は真剣だ。 「確かに、彼女は力も強い。それに……あれくらい堂々とした人のほうが、僕としてはありがたいかもしれない」 「そうだと思うよ。酒を飲むとあんなふうになってしまうけれど、彼女は頭もいいし、芯が強く根性もある。ちょっとやそっとのことじゃ折れない強さが、常盤のいいところだ」 「……確かに」 と、舜平。 「でも、嫌がらないかな。しばらくスウェーデンに来てもらうことになるんだよね?」 と、王子。 「むしろ喜ぶと思うよ。今、常盤は日本政府と我々の橋渡し的な仕事をこなしているが、おべっかやお世辞の一つも言えない彼女にとって、これはかなりのストレスらしい。日本人の気質は細かくて面倒なところがあるからね、常盤にはちょっと向かないのかなと思っていたところだし」 「ほな、誰がその本部長のあとを引き継ぐんです」 「私は、高遠を推そうと思っているよ。彼なら、きっとうまくやってくれるはずだ」 「ああ〜確かに」  世渡り上手な高遠ならば、お役人同士のやりとりも上手そうだ。舜平はうんうんと大きく頷いた。 「じゃ、じゃあ、トキワさんをしばらく貸していただけると……?」 「ええ、そのように手配しますよ」 「ありがとう……!! 助かります!!」  王子は心底ホッとしたような表情で、藤原に眩い笑みを見せた。こうして実際に人が動けば、滞っていた事態が動きが生まれるであろうことに、王子も安堵したのだろう。王子はにこやかな表情で、三人分のグラスシャンパンを注文した。 「さて、これでスウェーデン政府に恩を売れる。……問題は、さらにうちが人材不足に陥ってしまう、ということだね」 と、藤原は日本語で、舜平にそんなことを言う。  ついさっき、湊との語らいで心を決めていた舜平は、ごくりとひとつ息を飲んだ後、まっすぐに藤原の目と見つめた。 「俺も、藤原さんに話したいことがあります」

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