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二、京都府警察本部にて

 京都府警察本部は京都府庁の敷地内にあり、珠生らが詰めている宮内庁京都事務所からも目と鼻の先である。事務所に出勤した後、珠生と舜平は五条菜美樹と共に京都府警の会議室へと徒歩で向かった。  府警本部庁舎は、鉄筋コンクリート三階建・地下一階という構造で、築八十七年という歴史を持っており、都道府県警の本部庁舎としては現存最古のものである。  新町通側からその外観を眺めると、柔らかなクリーム色に塗られた外壁はあたたかみがあり、建物の中央部分の窓は全てアーチ型に作られるなど、レトロモダンな雰囲気だ。タイルのそこここに黒ずみが見られるなど、全体的に古めかしくもあるが、昭和一桁の時代からここに建っているとなると、もはやこれは歴史的建造物なのではないだろうかと珠生は思った。  建物の中も外観どおりのレトロさで、ここが府警本部であるということを忘れそうになる。しかし、古めかしいコンクリートの階段の横手にある受付で立ち働いている職員たちは皆、紺色の制服を身につけているため、ようやくここが警察署なのだという実感が湧いて来た。 「お疲れ様です。特別警護担当課の沖野です。少年課の岡本さんと、十時にお約束をしているのですが」  窓口にいた職員にそう声をかけると、三十代後半ほどと思しき婦警の両目がまん丸になった。その後たっぷり十秒ほど珠生の顔を見つめているものだから、珠生は怪訝な表情で小首をかしげた。  すると婦警は生真面目そうな黒縁眼鏡の奥でしぱしぱと目を瞬きつつ、「……え? え?」と改めて珠生そう問いかけ直してくる。 「え? あの……」 「宮内庁の者です。捜査協力の件で」  婦警の反応にきょとんとしている珠生の横から、舜平がそう声をかけ、柔らかく微笑んだ。すると婦警はまた目を丸くした後にぽっと頬を紅色に染め、「ぁ、あああ、宮内庁……あっ、はい! 少々お待ち下さい!!」とせかせかと電話をかけ始める。  別の婦警に通された会議室で担当の刑事を待っている間も、常にドアの外に人の気配がしていた。珠生は落ち着かない心持ちでそわそわしていたのだが、舜平は会議室の窓から外を眺めたりとリラックスした様子である。  自分のほうが半年先輩であるはずなのに、珠生よりもずっとスーツ姿も板についているし、こういう雰囲気にも慣れているように見え、珠生はやや憮然とした。 「どないしたん、怖い顔して」 「え? 別に」 「ドアの外の婦警さんらが気になってんねやろ」 「……そういうわけじゃないけど。舜平さんのほうが落ち着いて見えるからさ、なんだかなぁと思って」 「ははっ、しゃーないやろ。俺の方が社会人経験は多いんやし」 「そうかもしれないけど、俺の方が先輩なのに」 「まぁお前、二十二の割に若く見えるからな」 「……」  舜平はそう言って軽く笑うと、珠生の隣に座って湯飲みに入った濃い茶を飲んだ。 「それに、殺風景な事務室にお前みたいのが急に現れたら、そらみんなびっくりしはるやろ」 「……そうかな」 「ま、こういう機会も今後増えるやろうし、婦警さんらとも仲ようしていかなな」 「そういうのは舜平さんに任せるよ」 と、珠生がため息をついていると、こんこんとドアがノックされ、若い男が顔を出した。 「すみません、お待たせしました」  入って来たのは、誠実そうな顔立ちをした若い刑事だった。舜平ほど背は高くないが、痩身ながらもぴんと芯のある身体つきをしており、どことなく隙のない雰囲気を感じる青年である。  立ち上がった珠生と舜平の前で、その青年刑事はすっと軽く腰を折り、礼儀正しく一礼した。そして名刺入れから名刺を取り出し始める。  ――あれっ? この人、どこかで……。 「生活安全部刑事課所属の岡本洋介と申します。この度は、捜査協力を快く引き受けてくださって、ありがとうございま……ん?」  珠生は、その若い刑事の顔に見覚えがあった。その青年の顔をしげしげと見つめていると、青年もまた珠生の顔を見て、ちょっと目を見開いている。そしてハッとしたように目を瞬いた。 「……君! あのときの!」 「あ……どうも。その節は……」  この刑事とは、二度ほど顔を合わせたことがある。  一度目は、十六夜結界を張り直した時だ。岡本刑事は特別警戒態勢壱式に従って、京都御所を警備していた制服警官の一人だった。あれは珠生がまだ十五歳の頃であるから、もう七年も前の話である。  そして二度目は珠生が高校二年生の時だ。水無瀬紗夜香の命令を受けた男たちが、珠生と湊、そして空井斗真を襲った時のことである。  斗真を守るために、珠生はその男たちを打ち倒した。直後に、付近をパトロール中だった警察官がその場に現れ、現場にいた珠生を補導したというわけだ。その時の警察官が、目の前にいる岡本だったというわけなのだ。 「知り合いか?」 と、舜平が怪訝そうな顔でこちらを見つめていることに気づき、珠生ははっとして舜平を見上げた。そして名刺をまさに差し出している岡本に向かい、珠生は小さく頷いた。 「高二の時、補導されただろ。その時の……」 「ああ、あん時か」 「……なるほど。やっぱり君は、ただの人間じゃなかったってことなんだね」 「え?」  岡本の、やや興奮を含んだ声が聞こえてくる。珠生は改めて岡本に向き直って、内ポケットから名刺入れを取り出し、名刺交換をした。  岡本は珠生の名刺を食い入るように見つめつつ、はぁ、と感極まったようなため息を漏らす。そして名刺と珠生を見比べながらこう言った。 「特別警護担当官……沖野珠生、さんとおっしゃるんですね。ずっと気になっていたんです。七年前の、御所警護のときから」 「え?」 「謎めいた特別警戒態勢のことも、二度も不可思議な現場に居合わせた、君自身のことも」 「そ……そうですか」 「ようやく、あなた方の真実を知ることができるのかと思うと……!」  がし、と岡本に両手で左手を掴まれて、珠生はぎょっとした。岡本はすっきりとした双眸に情熱的な光を湛えて珠生を見つめている。 「ずっと関心があったんです。不可解な事件が起きるたび、宮内庁の名前が捜査資料に上がってくる。でも、詳細を閲覧できるのは高官のみで、現場で動く僕らには何の情報も降りてこない。上司に尋ねても、『聞くべきことじゃない、知ろうとするな』と諭される。捜査に入った先輩方に話を聞こうとしても、『教えられない』と言われるばかりで……!」 「……はぁ」 「今回の事件、絶対にあなた方が動くと思っていました。なので、僕はすぐにこの事件の担当に、」 「そろそろ離してもらえますか。沖野が困っていますので」 と、舜平がやんわりと間に入ってくる。大柄な男に真上から見下ろされ、岡本はぎょっとしたように舜平を見上げた。そして舜平に掴まれた手首を見下ろして、ごほんと咳払いをする。 「申し訳ない。つい……興奮してしまいました。ようやくこの日が来たのかと思うと、気持ちが逸って」 「私たちの職務に関心を抱いてくださるのは結構なことですが、事件当事者へのご配慮も忘れないでください。我々はあくまで、事件被害に遭われた方のために動くのですから」 「そ、そうですよね。すみません……」  ついさっきまでのほほんとお茶を飲んでいた舜平が、きびきびと厳しい口調でそんなことを言うものだから、珠生はすっかり驚いてしまった。そして岡本も、いつになく威圧的な舜平の態度と言葉に気圧されてしまっているようだ。 「こら、何してるんだよ」  見かねた珠生が腕に触れると、舜平はちらりと珠生を見て軽く咳払いをした。そして舜平は手を岡本から手を離すと、すっと内ポケットから名刺を取り出す。 「相田舜平と申します。どうぞよろしくお願いします」 「あっ、どうも……ご丁寧に」 「では、事件の詳細について教えていただけますか」 と、珠生は舜平と岡本を宥めるように、つとめて優しい声でそう言った。すると岡本は珠生を見て、救いを得たかのように表情を緩め、こくこくと頷く。 「そ、そうですね! どうぞ、お座りください!」  岡本は挙動不審気味にガタガタと椅子を引き、二人にも座るように促した。そして小脇に抱えていた黒いバインダーから資料を取り出し、二人に一部ずつ配布する。  A4サイズの捜査資料の左上には『極秘』というスタンプが押されている。その赤い文字を見ていると、珠生の緊張感も否応なしに高まってきた。  珠生はごくりと息を飲み、資料の一ページ目をゆっくりとめくった。

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