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十一、罪

  「おう舜平、戻ったんか。……あれ、珠生くんは?」 「珠生は子どもの付き添いや」 「なんじゃつまらん。お前だけか」 「うっさいハゲ」 「きっついなぁ相田くん。俺、一応先輩やで? 先輩の佐久間さんやで?」 「……すんません」  車で叡山電鉄鞍馬駅の駐車場に戻って来た舜平のもとに、黒いダウンジャケットを着込んだ敦と佐久間が近づいてきた。ちなみに敦は真冬でも坊主頭である。  そこにいるのが舜平だけだということに気づき、二人は心底つまらなそうな顔をしている。ついさっきやらかした失態のことで若干へこみぎみだったため、舜平は素直にムッとしてしまった。 「それより、そっちは収穫あったんか?」 「おう、あったあった。そのことでミーティングしよったとこじゃ」 「え? そうなん?」 「ほんま、ありえへん話やで。……ていうか寒いから。話すなら車の中にしよ」 「あ、そうですね」  舜平が運転席に、そして敦と佐久間が後部座席に収まる。二人は寒そうに手をこすり合わせつつ、風を遮ることのできる場所に入って、ほっとしたように溜息をついた。 「俺ら、ここであのばあさんが喋ってた話の真相について調査しててんけど……現実は、噂とか作り話とか、そんな生ぬるいもんとちゃうかったわ」 「……というと?」  重たい口調で話しをする佐久間の方へ身体を向けると、佐久間はちょっと声を潜めてこう話した。 「鞍馬山に鬼が出るって言うのはな、あのばあさんが山の方へ人を近づけへんようにするための嘘やったんや」 「人を近づけないように……?」 「ああ。でもな、何十年もその話をし続けてきてるからか、あのばあさんはそれが現実やと思ってるみたいやねん」 「ほう」 「何を聞いても同じことばかり言うて話が進まんかったもんじゃけぇ、佐久間さんが彰の許可とって自白術をやったんじゃ。それでやっと、どういう意図があって、あんな根も葉もない噂話流しとったんかが、分かった」 と、敦が話をつなぎ、硬い表情でこう言った。 「そのばあさん、若い頃に自分の子どもを殺して、山に埋めたんやと」 「え……? ほ、ほんまか?」 「あぁ、ばあさんが若い頃な、妻子ある男との間に赤ん坊ができてしもたらしいねん。その男、当時はここいらじゃかなりのお大尽だったらしくてな、認知もされへんし人には言えへんし、一人じゃどうやっても育てられへんし……ってことで、殺して、この山に埋めたらしいわ」 「……まじか……」  右水と左炎が言っていたことは、そうそう古い話でもなかったということらしい。自分を産み落とした親に殺され、冷たい土の中に埋められてしまう赤子の姿を思うにつけ、舜平の表情はじわじわと険しくなってゆく。 「もう六十年以上……下手すりゃ七十年以上は経っての自白やから、法的に裁くことはできひんけど……」 「相手の男も最悪じゃ。……ほんっまに、やりきれん話じゃわ」 「……せやな」  苦々しい顔で溜息をつく敦と佐久間を労うように、舜平は珠生が淹れたコーヒーを差し出した。二人の表情がやや緩むのを見て、舜平もまた、溜息をつく。 「鬼が出る、なんて噂を流し続けて、殺人と遺体遺棄を隠蔽しようとした……ってことか」 と、真っ暗な駐車場をフロントガラス越しに眺めつつ、舜平はそう呟いた。 「そういうことやな。……これで事件はみんな解決、ってことになるんやろか」 と、佐久間がどこか釈然としないような口調でそう言った。 「んー……いや、そうとは思えへんけどなぁ。でも、殺人については警察の方へ委ねることになるから、俺らの手からは離れるな」 「そうじゃな」 と、舜平の言葉を受け、敦がコーヒーをすすりながら頷いた。 「でもな、あと、まだ気になることがあんねん」 「何?」  舜平は、鞍馬寺本殿のほうで起こったことについて、敦らに話して聞かせた。  動き出した神使の虎のこと、虎たちが語ったことと崎谷宗喜少年の様子のこと、そして、純粋無垢な虎たちを、裏で操っていそうな何かの存在を感じたこと……。 「なるほどな。……それで彰たちは、山でゴソゴソしとったんじゃ」 と、敦が言った。 「山でゴソゴソ? そうなんや」 「その辺については、警察との話が済んでからって言われてんけど。……ていうか、佐為様、今は研修医やねんろ? なんやかんや任せっきりで悪いなぁと思うんやけど、バリバリ率先して動かはるから悪いなぁ」 と、佐久間が頬を掻きながら、申し訳なさそうにそう言った。 「まぁ、彰もこっちのことが気になってしゃーないみたいやしなぁ。あいつのやりたいようにさせてやったらええんちゃいます?」 と、舜平はそう答えたあと、「そういえば、彰と湊は?」と尋ねた。 「芹那がばあさんと警察待ってて、そこに一緒におる。多分今頃、もっと詳しい話聞いてんちゃうかな……」 と、佐久間。 「そうそう、舜平来たら連れてこいって言われとったんじゃ」 と、敦がポンと膝を叩き、思い出したかのようにそう言った。 「なんやねんそれ。ほな早う案内してぇや」 「そうじゃな。……ていうか、車は入れんとこじゃけ、歩きでいくで。二十分くらいかかるんじゃ」 「遠っ」  なるほど、舜平の迎えにここまで歩いて来て冷え切っていたため、すぐに車に入りたがったのかと、舜平は理解した。  そこから、痺れるように冷え込んだ暗い山道を二十分近く歩き、舜平らはようやくその老婆――名を三好(みよし)タエというらしい――の住む家のそばまでやって来た。  敦によると、タエは昔、山道のそばで土産物屋をやっていたらしいが、今は知人の娘夫婦に店を譲って、ここで隠居をしているのだという。  この町からほとんど出ることがなく、ずっとここで生活して来たと言うこともあり、地域の人間たちの間では、そこそこに信頼を置かれる存在なのだとか。そのため、町の人々がタエの様子を見にくることもよくあるのだという。  舜平はそれを聞いて、頷いた。そうでなければ、小学生相手に鞍馬の話をするという役回りは回っては来ないだろう。過去の事件について知らない人間たちにとって、タエの存在はいったいどういうものだったのだろう……と、舜平は思いを巡らせた。  三好タエの住まいは、えらく年季の入った平家建の家だった。ここへ来るまでに何軒かの家を見たものの、年老いた女が一人で暮らすには、あまりにも不便で寂しい場所のように思える。横長の窓からは頼りない電球の明かりが漏れていて、風が吹くたびにガタガタと屋根の端が揺れている。薄いドアの前に立ち、「戻ったぞ」と中へ声をかける敦の背後で、舜平は白い息を吐いた。 「ああ、舜平か」  玄関を入ってすぐは、台所。そしてその奥には居間がある。玄関先から古びた畳の敷かれた六畳間の方を覗き込むと、ちゃぶ台の前に座った小さな老婆の姿が見えた。そしてその傍らには、彰と湊、そして芹那総司の姿もある。大の男が五人も入って来てしまえば、その平屋の家はぎゅうぎゅう詰めといった様子だ。気を遣ったのか、それとも、この家の中に漂う陰気な空気を嫌がったのか、敦と佐久間は外で待つと言い、家の中には入らなかった。  三好タエは、思っていたよりもずっと小柄な老婆だった。真っ白な髪はまだまだたっぷりとしているものの乾いていて、頬は目元は落ち窪み、肌の色も土気色。どことなく健康を害しているように見えるような容貌だ。  ふと、タエの目がぎょろりと動き、舜平の方を見た。その眼光の鋭さに、舜平は思わず何度か目を瞬いた。しかしタエの目はすでにうっすらと白濁していて、舜平の姿がはっきりと見えているとは考えにくい。 「ばあさん、目、悪いんか」 と、舜平は何気なくタエにそう尋ねてみた。しかし、タエからの返答はなく、虚ろな空気が漂うのみだ。しかし舜平はかまわず家に上がり込むと、タエの傍に近づいて、ゆっくりと膝を折った。 「目ぇも悪いのに、こんな辺鄙なところに一人暮らしとは。何かと不便なんちゃうか」 「……」 「人目を避けてこんなところに隠れ住んでいるようにも見えるが、町の人らとは関わりがあるんやなぁ」  舜平はゆっくりとした口調で、返答を求めるでもなくそう言った。するとずっと虚空を見つめていたタエの目が、ゆっくりと動く。 「……あたしは、ここいらのことは何でも知っとる。ずぅっとここに住んどったんやから」 「そうか。……過去に色々あったにせよ、若い町のもんからは頼りされてんねんな」 「……鬼はいる。この山には鬼が出るんや……」 「え? けど、それは……」  あんたの拵えた作り話やろう、と言いかけて、舜平は慌てて口をつぐんだ。彰はそんな舜平の姿を見て、ゆっくりと首を振っている。  タエはそれ以上舜平の言葉に応じることなく、再び貝のように口を閉ざした。背中を丸めてうつむきがちになり、微動だにせぬ姿は、タエの頑なな態度が現れているように見えた。そんな中、彰が低くゆっくりとした声でこう言った。 「この人は、鬼が本当にいると思い込んでいるようだね。長年にわたって吐き続けて来た嘘が、いつしかこの人の中では現実になってしまったらしい」 「……自己暗示か」 「それに近いかな。自白術をかけるまでは、『自分の子供は鬼にさらわれ、喰われたのだ』と言い続けていたからな。痴呆も進んでいるようだし……難しいな」 「……」  警察を呼んではいるが、すでに時効をとっくに過ぎた事件である上、タエを法的に罰することは難しい。しかもタエのこの状態では、遺体遺棄現場の特定もきわめて困難だろう。この一件が落ち着いたら、赤ん坊の残留思念を探して供養してやれたらいいのに……と舜平は思った。  何となく重たい沈黙が流れる中、外で吹き荒ぶ冬の風が、ガタガタと家を揺らした。頼りない電球がちらつき、部屋の中の薄暗く肌寒い。数点置かれている家電製品もかなりの旧式であるということもあり、ここが現代であるということを忘れそうになる。  その時、タエがぴくりと身体を揺らし、虚空を見上げた。そして、しわがれた声でこんなことを口にする。 「……鬼はいる……。この間だって、あたしのもとにやって来た。あたしの子を喰らった鬼が」 「……はぁ? 何言うてんねん、ばあさん」 「鬼はいる。こんどはあたしを殺すんだ。あたしを、あたしを、」 「ばあさん、落ち着けって。どないしたんや急に」 「あたしが悪いから、悪い人間だから、あたしが、あたしが悪いことをしたから、ああ、あああ」  枯れ枝のような指で頭を抱え、タエは苦しげにそううめき始めた。  己の罪を隠すために吐き始めた嘘。年老いて、その嘘が彼女の中で現実になったとしても、我が子に手をかけた罪悪感が、タエの心に深く深く根付いているのかもしれない。  その時、遠くで鳴り響くサイレンの音が聞こえてきた。

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