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二十一、彰と虎

   その日の午後、珠生は再び鞍馬寺を訪れていた。  今日は、斎木彰も一緒である。貴重な休日を使って検分に来てもらうことに申し訳なさを感じずにはいられないが、彰がいてくれるととても心強い。珠生は、昨日起きた出来事を洗いざらい彰に話した。 「……駒形司、か。聞いたことのある名前だ」 「えっ、ほんと?」  珠生の話を聞くなり、彰はそう言って腕組みをした。二人は、鞍馬寺の本殿までの石段を、ゆっくりと登っているところである。今やすっかり通い慣れた道だ。 「ああ。でもまぁ……良くない噂の方が、多いかなぁ」 「どんな噂? 藤原さんの先輩って言ってたけど……」  勢い込んで珠生がそう尋ねると、彰は何かを思い出そうとするかのように目線を上にあげ、冬の風にさわさわと揺れる木々の樹冠をじっと見つめた。そして、重々しい口調でこんなことを言う。 「駒形司は、陰陽師の血筋を持つ宮内庁職員だ。室町時代中期の頃くらいからかな、ちょうど戦国時代にさしかかったあたりから、駒形家は様々な新術の考案により、陰陽師衆内で急速に力を強めた一族なんだよ」 「そんな昔から?」  室町幕府の弱体化により、各国で戦国武将が争いを繰り広げていたあの時代。それはまさに、千珠らが戦場にて力を振るっていた時代と重なる。そんな昔から、駒形一族は時代の裏方として、陰陽師衆の活躍に一役買っていたということらしい。 「そう。と言っても、彼らが得意としたのは結界術だ。あの頃から使われている結界術の多くは、駒形家が考え出したものなんだよ。黒城牢、縛道雷牢、氷牢結晶あたりがよく使われてるかな。あと、明治後期から使われ出した新しいものでいえば、結界術・虫網とか、錐行の術なんかもそうさ」 「聞いたことある」 「だろ? でもね、第二次世界大戦後あたりからの駒形家は、攻方の術を考案することが多くなったらしい。しかも、術者の身を削るような、危ういものばかり。まぁ、それは先行きの見えない不安を反映していたのかもしれないね。日本は敗戦国で、列強各国に国政から何からいじくり回されていた時代だった。当時は誰しもが不安だっただろうから」 「……戦後、か」  珠生は高校時代日本史を選択していたが、戦後の日本で何があったのかということは、実際よく分からない。ただただ教科書に並んだ文章の羅列でしか理解していないことに、珠生ははたと気がついた。その当時の人々がどういう気持ちで日々を過ごしていたか、そしてそれが裏日本にとってどういう影響を及ぼしていたかなんて、現代を生きる珠生にとっては、想像することさえ難しい事実である。  彰の言葉に、色々と考えさせられてしまう。しかし彰は、淡々と話を続けた。 「契約関係にない妖を使役したりするようなものもあって、当時は色々と物議を醸したと聞いてるよ。それじゃまるで、祓い人のやってることと同じだって。いや、もっとたちが悪いってね」  そう言って、彰はふうと溜息をついた。白い息が、しんと冷えた山の空気に溶けていく。 「かつて猿之助が陀羅尼を操った術、あれも禁術だった。にも関わらず、駒形はそれに酷似した術を現代でも使おうとした。それはさすがに上層部からお咎めがあったようだが、彼は懲りずに、様々な術を編み出した。しかもそれを、全て自分で実験するんだ。そのせいで怪我を負うことも厭わないような……例えるなら、マッドサイエンティストみたいな人物だったらしい」 「そこまでして……」 「駒形が考案した術は、なかなかに禍々しいが……攻撃力は強いものが多い。黒槍(こくそう)の術や、珠生の受けた黒貫爆轟(こっかんばくごう)は、僕も使うことがある。一度に敵を抹消できるから、便利といえば便利なんだよね」 「そうなんだ……」 「だから、何とも言いにくいところもある。実際、彼の考え出した禍々しい術を使う者としてはね」  そう言って、彰は苦笑した。  今日は、彰に右水と左炎を紹介(?)するつもりでここに来た。加えて、昨日は駒形が出現したおかげで右水らを訪ねることができなかった。 「ところで君、機動隊員をボコボコにしたらしいじゃないか。葉山さんに聞いたよ」 「噂早っ……。先輩と葉山さん、すごく仲がいいんだね」 「まぁそれは否定しないけど」 「でも……別に喧嘩したわけじゃないよ? これからも稽古をつけてくださいって頼まれたんだ。別に悪いことをしたわけじゃ……」 「おおかた、全員赤ら顔になって、ハァハァいってたんだろ? 鼻血を出してる奴はいなかった?」 「え? あ、うん。よく分かったね。顔を殴った覚えはないんだけどな」 「……やれやれ、舜平の苦労が偲ばれるよ」 「?」  彰の言葉に小首を傾げているうち、二人は鞍馬寺本殿に到着した。  昨日起こった貴船神社奥宮での爆発のせいということで、今日は鞍馬山も入山禁止となっている。それらは宮内庁権限で行われる措置だ。  いつもなら大勢の人で賑わっている鞍馬寺だが、今日はまだ空に日があると言うのに、ひっそりと静まり返っている。吹き抜ける冷たい風にかすかに眉を寄せつつ、珠生はまっすぐに狛虎の方へと歩み寄った。 「右水、左炎、ごめんね。昨日は来られなくなっちゃって」 と、声をかける珠生の隣で、彰が物珍しげに狛虎の像を見上げている。しかも対の像の周りをぐるりと一回りして、前から後ろから、ゆっくりと眺め回しているのだ。彰のそんな眼差しを嫌がったのか、今日の二頭は、じっと気配を押し殺している。 「先輩、見過ぎ」 「あぁ、ごめんごめん」 「二人とも、大丈夫だよ。この人は敵じゃない、頼もしい味方だ」  見かねた珠生がそう言うと、ようやく石像の中でぐるぐると唸るような声が聞こえて来た。内側から湧き上がる神気が青い光となって狛虎の像を淡く光り輝かせ、みるみるその姿を変えていく。  青白く光る毛並みの美しい二体の虎が、ふわりとその場に舞い降りた。警戒しているのか、二頭は毛並みを擦り合わせるように寄り添いながら長い尻尾をぴんと立てて、瑠璃のような深い蒼を湛えた鋭い双眸で、じっと彰を見据えている。 『……こいつも変わった気を持つ人間だ』 『あやしい気配がするぞ……』 「あやしいとか言われてる。ふうん……なるほどね、神使の虎か。美しいな」  ふわふわと不思議に揺らめく長い毛並みは、よく見ると抜けるように白い毛だ。青白い光を吸って、神秘的に光り輝いているように見えるらしい。珠生は猫好きであるため、もぞもぞと触れてみたいという欲求が湧き上がる。サイズ感はまるで違うが、いつぞや可愛がっていた子猫姿の鳳凛丸を思い出した。 「俺も明るいところで見るの初めてだ。触っても?」 『かまわぬ』 『好きにしろ』  許可が出たので、遠慮なく手を伸ばしてみた。指先に絡まるしっとりと柔らかな感触に、珠生はほうと溜息をつく。触り心地があまりに良いので、しばらく両手で右水と左炎を撫でていたが、二頭の虎は嫌がるそぶりを見せなかった。むしろ、どこか気持ちよさそうに目を細めている。 「ふわふわだなぁ、癒される……ほんと癒される……」 「ところで、君たちの主人は誰なの? 虎を従えるのは毘沙門天だが、その気配はほとんど感じられないけど」  ほっこりしながら毛並みを撫でている珠生をよそに、彰は冷静な口調でそう尋ねた。すると二体の虎は、目を見合わせ、そして同時に小さく俯く。

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