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二十三、事務所にて

   彰を自宅まで送り届けた後、珠生は京都事務所へと戻った。  前世でも現世でも、式神を得るというのは初めての経験だ。だが、彰の言う通り、別段なにか違和感を感じるわけでもないし、力が湧いて来ると言うわけでもない。不思議な感覚である。  クリスマスを過ぎ、いよいよ年の瀬が近づいて来ているせいか、事務所内の雰囲気もどことなく忙しないものになっている。  ちなみに、朝方珠生に叩きのめされた敦と佐久間は、忘年会という名の合コンに繰り出して行った。敦と莉央は一体どうなっているのだろう……と頭の隅っこで思いつつ、珠生は合コンの誘いをすげなく断った。宮内庁を代表するチャラ男二人は、朝も夜も元気である。  終業時刻を過ぎてもまだ、珠生は事務所で書類作成に精を出していた。報告書の書き方を葉山に教わり、今回の事件を文書にまとめているところなのである。  自分のとった行動を客観視しながら文章に起こすことも初めての経験だが、冷静に自分の動き方を振り返るいい機会になっていると感じた。文章を打ち込みながら目で見たこと、肌で感じたことを振り返るうち、いつしか窓の外は真っ暗になっていた。 「はぁ〜〜疲れた。珠生くん、まだ帰らないの?」  午後九時を過ぎた頃、珠生と同様書類作成に追われていた紺野知弦が声をかけて来た。紺野のデスクは珠生の斜向かいで、きちんと整理整頓された机上はとても綺麗だ。珠生も綺麗好きな方だが、紺野は見た目通り、とても几帳面な性格らしい。  この事務所には、庶務課・管理課・工務課・林園課・桂離宮事務所・修学院離宮事務所・修学院離宮庭園詰所等の部署があるが、業務内容の特異性により、特別警護課は独立した一部屋を与えられている。そこに珠生らのデスクはある。  入庁当初は、各部署を回ってそれぞれの仕事を学ぶ機会があり、珠生も修学旅行生の案内業務などに就いていたが、今は新人研修も終わり、特別警護課の仕事が主になった。  所長は只人だが藤原と入庁時期が近いらしく、仲が良い。珠生らの仕事にも、深く理解があるようで、動きやすい環境だ。  一般職員たちは、異能の力について何をどの程度知っているかはよく分からないが、仕事の内容については周知されている雰囲気を感じる。気味悪がられることもなく、廊下で出会えば挨拶をするし、研修中に知り合った職員たちと普通に世間話をすることもある。一般職員との関係は良好だ。(ちなみに、敦らは『いざという時のために交流を深めておく』という名目で、若い一般男性職員と共にちょくちょく合コンへ繰り出している) 「はい、もう少しで終わりそうで。紺野さん、合コン行かなかったんですね」 「あ、あー……あはは。僕はそう言うの無理だからなぁ」 「俺もです」 「そう? まぁ珠生くんは、そんなとこ行かなくてもモテモテだろうけど」 「え、や……そうでもないですよ」 「またまた、ご謙遜を」 「いや、本当です。俺、あんまり人当たり良くないからかな」 「そうかなぁ」 と、紺野と世間話をしつつ、珠生は軽く休憩を取ることにした。  ちなみに舜平のデスクは真後ろだ。書類仕事をしている間も、舜平の気配をいつも背中に感じている。  今の所、特別警護担当課の中では舜平が一番の新人扱いであるため、事務所にいるときは電話を一番に取るのだが、社会人経験のある舜平のよそ行きの声や丁寧な応対はとても耳に心地よく、なんとなくくすぐったいような気持ちになる。  珠生はパソコンに向かいながら、その舜平の戻りを待っているのだ。  今日の舜平は京都府警に出ずっぱりだ。岡本刑事への報告のあと、高遠と一緒に合同研修に出席したのち、お偉い方とともに食事会へと出かけている。事務所に一度戻るとは言っていたが、遅くなるかもしれない――というメールを受け取っていたのだが、どうしても舜平の顔が見たかった。  仕事を終え、プライベートな時間に一人きりになってしまうことが、何となく不安なのだ。一人になればきっと、健介との諍いを思い出し、ひどく落ち込んでしまいそうだから。  その時、事務所のドアがさっと開いて、タイミングよく舜平が室内に入って来た。残っている珠生を見つけた舜平の表情が、ふっと分かりやすくほぐれてゆく。 「ああ、相田くん。お疲れ様」 と、紺野が和やかに微笑む。舜平は紺野にも愛想のいい笑みを見せ、「お疲れさんです」と言った。 「さて、僕はそろそろ帰るよ」  軽く舜平とも雑談をしたあと、紺野は身支度を整えて事務所を出て行った。ひょろりとした背中がすりガラスのドアの向こうに消えていくのを見届けたあと、珠生はふうと溜息をつく。 「待っててくれたんか?」 「あ……うん。ちょっと話、したかったから」 「せやんな……先生、会えた?」 「ううん。昨日は帰ってこなかった。今夜は……どうかな。帰りづらいんだけど……」 「せやんな。……俺んち、来るか?」 「行きたいけど……何となく、今はダメな気がして」 「そうやなぁ……」  健介に関係が露見してしまった以上、舜平の家に泊り込むことに、何となく罪悪感を感じてしまう。舜平はコートを脱いで椅子に座ると、少し疲れたように眉間を押さえた。 「駄目元で、先生にメール送ってみてんけど……やっぱ、返事ないわ」 「そう……」 「年末年始は、先生どないしはんねやろか」 「えっと……二十九日から千葉に帰るって言ってたはず」 「今日は二十六、か。うーん……年内に会うのはちょっと難しそうやな」 「だよなぁ」 「珠生も帰る予定やった?」 「ううん、宗喜くんの様子も気になるから、帰らないつもりだったよ。あ、そうだ」  珠生は、昼間右水と左炎を式に迎えたことを舜平に報告した。すると舜平は物珍しそうに「へえ」と声をあげた。 「おー、ついにお前も式神持ちか。しかも虎とか、むっちゃかっこええやん」 「うん。ふわふわでさ……撫でるとすごく気持ちいいんだ。今すぐ召喚して、あの毛皮に包まれながら眠りたいよ」 「そんな理由で呼び出してたら、バチあたんで」 と、舜平が軽く笑う。舜平の笑顔を見ていると、珠生の心もわずかながらに浮上するような感じがした。 「だよね。コーヒー、いれよっか。それ飲んだら覚悟決めて帰、」  立ち上がると同時に、唐突に抱きしめられた。珠生はやや驚いたものの、慣れ親しんだ舜平のぬくもりと力強い霊気に包まれて、安堵のあまり涙が滲んだ。  舜平の背に腕を回して身を寄せると、吸い寄せられるように唇が重なる。いつになく余裕のない動きで珠生を抱きしめる舜平の腕の力に、どきどきと胸が高鳴った。 「ん……ん」 「昨日、何もしてやれへんかったな。身体、どうもない?」 「う……うん……」  耳元で優しく囁かれ、腰が砕けそうになる。うっとりした心地で舜平を見上げると、舜平はやや切なげに苦笑した。 「お前は……すぐそんな顔して、俺を誘うな」 「べ、別に誘ってるわけじゃないけど……」 「目の下のクマ、珍しいやん。怪我して力が落ちてたとこに、先生とあんなことになったわけやし……まだしんどいんちゃう?」 「……確かに、眠れなかったけど」 「ごめんな。俺がもっと上手くやれてたら……先生にあんなこと言わさへんで済んだかもしれんのに」 「舜平さんのせいじゃないよ。俺が舜平さんに甘えてたから……」 「……いや。昨日、ちゃんとお前と話ができて、俺は嬉しかった」 「うん……」  目の下を撫でる舜平の指先が、あたたかい。外は雪がちらつくほどに凍てつく夜だというのに、舜平の肌はいつでも熱を持っている。  触れられていると、そこから流れ込む霊力を感じる。それが気持ちよくて、安心できる。珠生はそっと目を閉じて、舜平のされるがままになっていた。  するともう一度、唇に押し当てられる弾力を感じた。求めるように唇を開くと、舜平の舌がするりと珠生の中へ忍んで来る。舌と舌を絡め、舜平のゆったりとした愛撫を受け止めていると、じんじんと身体の中心が疼き出す。舜平のジャケットをぎゅっと掴んで、珠生はキスの合間に艶めいた吐息を漏らした。 「はぁ……ぁ……」 「苦しそうやん、ここ。ちょっとキスしただけやのに」 「あっ、待っ……」  ぐ、と屹立した股座を掴まれて、いつもより強引な手つきで揉みしだかれる。少し痛いが、それが同時に性的な快感をくすぐって、珠生は漏れ出しそうになる淫らな声を、必死で堪えた。 「ん、んっ……ぅ」 「怒らへんの? こんなとこで、こんなことすんなって」 「だって……」 「ん?」 「俺だってしたい、から……」  見つめあっているだけで、じわりと浮かぶ涙。舜平は愛おしげに珠生を見つめ、そっと眦にキスをした。 「そんなこと言われたら、最後までやりたくなんねんけど。……って、事務所じゃさすがに無理やけどさ」 「うん……だよね。分かってる」 「はぁ、早う一緒に住みたいわ」 「俺も……」  そう言いつつもう一度舜平に身を寄せると、舜平は珠生の腰に手を回し、ぐっと力強く引き寄せた。そして懲りずにまたゆったりとしたキスを交わしていると、バタバタ……と廊下から誰かの足音が聞こえてくる。  二人はひととき見つめ合い、すっと身体を離した。 「はぁ〜〜〜俺としたことが、スマホ忘れるとかありえへんわぁ〜〜。くっそぉ、墨田に女の子の連絡先全部持ってかれてもた……はぁ、くっそぉ……って、あれ? ふたりともまだ仕事しとったん?」 と、へべれけで事務所の扉を開け放ったのは、赤ら顔の佐久間である。  心安らぐ時間を邪魔されて、若干腹を立てている珠生の冷ややかな目線と、舜平の生ぬるい笑顔を見比べて、佐久間はへらっと笑った。 「あれっ? あれ? 俺邪魔やった? お邪魔虫やった? あはは〜〜ごめんなぁ〜〜!」 「酒臭いですよ。もう、マジで邪魔なんでとっとと帰ってください」 と、珠生は普通にキレているのである。 「あれ〜〜〜珠生くん怒ってる? 怒ってるやんな? ごめんなぁ、佐久間さん、ちょおっと飲みすぎてしもてんなぁ〜〜。あっ、せや、一緒に仮眠室で寝ぇへん〜? 俺、珠生くんに介抱されたいわ〜〜♡」 「はいはいはい、それセクハラ! ほら佐久間さん、スマホここ。タクシー呼んであげますから、大人しく一人で寝てくださいね」 と、見兼ねた舜平が佐久間の身体を支えながら、そう言った。すると佐久間は今度は舜平に抱きついて、絡み始めている。 「さすがやなあ相田く〜〜ん!! 男前やし、優しいし、最高♡ 抱いて♡」 「はぁ? キモいこと言わんといてくださいよ。飲み過ぎですって」 「ケチケチすんなや〜〜。あっ、聞いたで!! 相田くんてば、婦警さんにモッテモテやねんろ〜? 今日も会議の合間とか婦警さんに群がられてキャーキャー騒がれて追いかけ回されて、デレデレしとったらしいやーん!」 「ちょ、今そんなん言わんといてくださいよ!! てかデレデレなんかしてへんし!!」 「ふーん、そうなんだ。へぇー」 と、青くなって焦っている舜平を見て、珠生は冷たく鼻を鳴らした。

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