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二十四、大晦日

   結局、何に関しても進展がないまま、年の瀬の休暇となった。  忘年会はすでにクリスマス前に済んでいたため、師走らしい行事は事務所の大掃除ぐらいのものであったが、それも無事に完了した。  藤原がまだ東京から戻らないこともあり、駒形司についての確かな情報はまだ職員たちの耳には届いていない。仕事に関しても、またプライベートに関しても、何となくやきもきした気持ちを抱えたまま、新年を迎えることになりそうだ。  その中でもまだ救いなのは、崎谷宗喜の体調回復が順調なことと、父親との新たな生活に馴染めている、ということだろう。母親はやはり入院となったが、双方に離婚の意思がないこともあり、しばらくは様子見、という形に収まっている。  最終出勤日に崎谷家に訪問した珠生は、右水と左炎を宗喜の前で召喚した。  宗喜は二頭との再会をこころから喜んだ。二頭が珠生の式となり、こうしていつでも会える状態になったことについてもまた、とても喜んでいたものである。  その日は父親は不在であったが、近所に住む叔母家族との関係も良好だと聞き、珠生はとてもほっとした。家の中は洗濯物などが雑然としていて、いかにも男所帯という雰囲気は否めなかったものの、宗喜の表情は明るく、元気だった。無理をしているような表情も見られず、霊力の方も取り立てて問題視するような状態でなかったため、年明けにまた家庭訪問をすると約束したのである。  健介とは、結局未だに会えていない状態である。  クロゼットをのぞいてみると、出張などに使っているボストンバッグがなくなっていた。ひょっとしてもう千葉へ帰ってしまったのかと思い、千秋に連絡を取ってみたところ、健介はそこへも帰っていないらしい。こうまで避けられてしまうと、珠生のほうも健介の身が心配でたまらなくなってしまった。息子の不貞を嘆いてどこぞで身投げでもしているのではないか……という考えたくもない思考に囚われそうにもなったが、三十日の夜になってようやく、健介からメールが入ってきた。 『ごめん、ちょっと一人で考えたいことがあるんだ。冬休みが終わるまでには戻るから』というメッセージを読んで、珠生は小さく唇を引き結んだ。一体、父は何を考えているというのだろう。     + 「あらあ、よう来たねぇ!! さ、上がり上がり!!」 「お邪魔します」  そして大晦日。珠生は舜平の実家へ訪れていた。  本当は舜平と二人で過ごす予定だったのだが、健介のことで日々悶々としている珠生を、舜平が自宅へ招いたのである。「うっさい家やけど気は紛れるやろ。俺も元日の御勤めには出なあかんし、どっちみち実家行かなあかんから」とのことで、相田家で年越しをする運びとなったのだった。 「おー珠生くん、久しぶりやなぁ」 「ご無沙汰しています、宗円さん。将太さんも」 「仕事頑張ってるらしいやん。ま、座り座り〜」 と、まだ夕飯前だというのに、居間ですでに半分酔っ払っている舜平の父と兄の姿に、珠生の表情も自然と和む。この家族はいつでも自然と珠生を迎え入れてくれるため、とても居心地が良かった。 「なんでもう飲んでんねん。暇人か」 と、舜平がぐうたらしている二人に小言を言うと、父・宗円は「ついさっきまで本堂の大掃除しとったんや! ったくお前は手伝いにも来ーへんで」と逆に文句を言われている。ついさっきまで珠生といちゃいちゃしていた舜平はそれに言い返す言葉もなく、素直に「そら、すまんかったな」と謝った。珠生もつられて苦笑する。 「まあまあまあ、ほら、珠生くん、できたてのおせちやで〜食べや〜」 「えっ、すごい、手作りされたんですか?」 「珠生くん、うちのがそんなことするわけないやん。お取り寄せやお取り寄せ」 と、宗円はつるんときれいに剃りあげた頭を真っ赤にしながら、わははと上機嫌に笑った。  将太の隣に腰を下ろすと、すかさず日本酒を勧められる。珠生がお猪口で酒を受けている間、舜平は台所で母親の仕事を手伝い始めた。母親・美津子の丸っこい背中と、すらりとした舜平の背中が仲睦まじく、家庭のあたたかさを感じる。珠生は何となく泣きそうな気持ちになった。 「珠生くんは実家帰らへんかってんなぁ」 と、将太が黒豆をつまみながらそう言った。こざっぱりと髪を切った将太の顔立ちは、いつ見ても舜平によく似ている。相変わらず儚さの漂う細い身体をしているが、将太の穏やかな霊気は、そばにいて心地がいい。 「あ、はい……。こないだの事件で、まだ気になることもありますし」 「ああ、なんや警察に協力しとったらしいなぁ。舜平に聞いた」 「ええ、まぁ……」 「あ、詳細は秘密なんやろ? ええよええよ、大変やなぁ」 「はい……」  将太は物分かり良く頷いて、自分もくいっと酒を煽った。こんなに飲んでいて心臓に負担がかからないのだろうかと、心配になってしまう。 「ほらほら〜おでんもあんで〜! 珠生くん、いっぱい食べや〜」 と、美津子が座卓の上にでんと土鍋を置く。つやつやとしたうまそうな食材が、澄んだ出汁の中で揺れている。だしのいい香りが、ここ数日忘れていた食欲を刺激した。 「わぁ……美味しそう」 「ふふふっ、嬉しいわぁ〜〜珠生くんと年越しできるなんてなぁ〜うふふふっ」 「機嫌よすぎやろ、母さん。掃除中はカリカリしとったのに」 と、宗円。 「そらあんたらがパキパキ動かへんからやろ! ったく、親子揃って腰が重すぎんねん。誰の寺やっちゅうねんアホが!」 と、美津子が本性を現して宗円と将太を叱っている。 「そういえば早貴は?」 と、舜平が珠生におでんをよそいながら尋ねている。すると宗円が、ぶはっと酒を飲み干しながらこう言った。 「例年通り彼氏んちらしいわ。ったくあのバカ娘は……くだらんチャラ男とチャラチャラ付き合いよって」 「まぁまぁ、ええやん。好きにせぇ言うてんのはおとんやろ」 と、将太が他人事のようにそう言った。 「せやけどなぁ。……ていうかお前はどうやねん。いつ結婚すんねん!」 「はぁ? そんなんいつでもいいやろ。何で俺に飛び火すんねん」 「知ってんねんで、お前彼女おるやろ!? その子とはどうなってんねん!? この寺に嫁に来てくれる気ぃはあらはんのか!?」 「な、なんで知ってんねん」 と、珍しく将太が動揺している姿を見て、珠生は目を瞬いた。彼女がいたことにも驚きである。隣にいる舜平を見上げてみると、さほど驚いている様子はない。 「まさか舜平、お前おとんらになんか言うたん?」 と、将太が眉を寄せている。 「言うてへんけど。……ていうかもう六年も付き合うてんねんから、そろそろバレるやろ」 「六年!? 誰!? 誰と付きおうてんのや!?」 「うっさいハゲやなあもう……そうなったら言うから、俺のことはほっといてくれ」 「ほっとけへんわ! お前ももう三十路やねんから、そろそろけじめつけてやなぁ!」 「はいはいはい、まぁ飲めって」 と、なみなみ酒を注がれた宗円は「おっとっと」と慌ててお猪口を口に運んだ。そして、ぶはっと息を吐く。そして。 「なんやなんや、落ち着いとんのは舜平だけか」 と、言った。その台詞を聞き、舜平は酒に噎せ、珠生は熱いこんにゃくをそのまま飲み下してしまった。 「……え? え!? どういう意味やそれ」 「どういうって……お前、珠生くんと付き合うてんちゃうんか」 「……はぁ!?」  普段と変わらぬ顔でそんなことを言い出す宗円と、その隣でにこにこしながら頷いている美津子。宗円がどういうつもりでそんなこと言っているのか分かりかね、珠生は何も言うことができなかった。冗談のつもりなのか、それとも本気なのか……つい最近、トラウマレベルの親子喧嘩をしてしまったこと思い出し、珠生の身体がひゅうっと冷えていく。  しかし宗円はしみじみした顔で、こう話し始めた。 「いやなぁ、お前が高校生の珠生くんはじめて連れて来たときから、そうなるんちゃうやろかと思ってたんや。二人の間にある深い縁についても、今となってはようわかるし」 「……初めてって、霊視してもろたときのこと?」 「せや。その頃から、舜平はなんやどっしりしてきたなぁと思ってたんや。色々ゴタついとったみたいやけど、お前は珠生くん支えて色々頑張っとったらしいやんか」 「ふ、藤原さんに聞いたんか?」 「おう。比叡山系の寺の集まりに、藤原さんはたまに顔出さはんねん。そんときにな」 「……そうなんや」 「でも、決定打になったのはあん時やな。お前が宮内庁に転職するいうて言い出した時、あぁ、なるほどなって思ったんや。舜平は、珠生くんのために生きるつもりなんやろうなて」 「……」  宗円の話を聞いているうち、膝の上で震えていた拳から、徐々に力が抜けていく。俯いていた顔を上げ、宗円の方を見てみると、ことのほか優しげな眼差しで見つめ返され、はっとした。 「美津子とも言うててん。そうやったらどうする? て」 「……え、おかんも……」  舜平の声にはまだ動揺が残っている。珠生もはらはらしながら、美津子の方を見た。  美津子は只人で、舜平と珠生の前世についてなど何も知らないはずなのだ。そうそう簡単に理解してもらえるものではないような気がして、不安が募る。しかし。 「いや〜うちもなぁ、舜平、珠生くんのことめっちゃ好きなんやろうなぁって思っててん〜」 と、美津子はウキウキした口調でそう言って、バシイッと舜平の肩を叩いた。舜平が「いった!!」と声を上げている。 「やっぱなぁ、ちっちゃいころからこの子のこと見てるやん? 昔から女の子にはようモテてたけど、そない嬉しそうでもないちゅうか、な〜んやいっつもひとごとって感じしとったんやけど。珠生くん連れてきた時のこの子の顔見て、お母さんピーンんと来てん。この子は絶対特別やなて」 「ピーンと……」 「そうそう。珠生くん可愛いし、めっちゃええ子やし。もしそうならお母さんめっちゃ嬉しいんやけどなぁ〜〜ってお父さんとも話しててん」 「で、でも、男同士なんですよ? 俺……俺とじゃ、この先何もないっていうか、孫とか、そういうのも無理っていうか……」 と、あまりに口調が軽い美津子に逆に不安を感じた珠生は、震える声でそう言った。  すると美津子はいつになく真面目な表情になり、ふっと唇に笑みを浮かべた。その笑い方があまりに舜平とよく似ていて、珠生は思わず目を瞬く。 「ううん、舜平が選んだ子やもん。性別なんて関係ないわ。おばちゃん、ほんまに大歓迎やねんで?」 「……」 「もし珠生くんも舜平と同じ気持ちで、舜平のそばにいてやってくれるっていうんやったら、嬉しいなって思うんよ」 と、美津子が柔らかな笑みを見せる。  その笑顔を見ていると、つんと目の奥が痛くなった。他でもない、舜平を産み育ててくれた家族からもらった言葉が、珠生の全身に染み渡っていく。  否定されない安堵感や、受け入れてもらえる喜びに心が震えて、気を抜けば涙が溢れそうになる。珠生はぎゅっと拳を握りしめ、うつむいた。 「もしこれからも二人で生きていきたいていうなら、それでええ。周りが何や言うかもしれへんけど、気にすることないしな」 と、宗円が力強い声でそう言った。 「俺も応援すんで。珠生くんは、俺にとってもかわいい弟みたいなもんやし」 と、以前から二人の関係を知る将太も、明るい口調だ。  隣にいる舜平の横顔を見上げてみると、舜平の目元もほんのりと赤く染まっているように見えた。まっすぐ伸びた背筋、膝の上に置かれた拳。舜平の全身からは先程までのこわばりが解け、凛とした決意を身に纏っているかのような、清々しい緊張感が感じられる。  舜平はそっと珠生を見て、微笑んだ。優しく細められた目尻に、うっすら光るものがある。珠生の拳を包み込む大きな手は、緊張していたせいか、いつもよりほんのり冷たい。だが、手のひらにみなぎる力はいつもよりずっと、頼もしかった。 「……ありがとう」  舜平は珠生の手を握ったまま、家族に向かって小さく頭を下げた。舜平の声は微かに震えていたが、それは不安や恐れからくるものではない。珠生も、すごくほっとした。  健介に激しく拒絶され、突き放されたことを、舜平が気に病んでいないはずがない。珠生の前ではいつも平気な顔をしていたけれど、実の家族に受け入れられてもらえたことで、舜平の中で張り詰めていたものが、ふわりと緩んだような気がした。 「ありがとうございます。……本当に」  珠生もまた、舜平の家族に深々と頭を下げた。気を抜けば泣いてしまいそうだったが、宗円と美津子の鷹揚な笑い声に励まされ、二人は同時に顔を上げた。将太もまた、ほっとしたように微笑んでいる。 「まぁまぁ、堅苦しいのはええから! いっぱいあるから、はよう食べや。ほらほら、冷めてまうで〜! ほら飲み飲み〜」 「あ、はい、ありがとうございます」  「あっ、親父! あんま飲ますなって! こいつ酒癖悪いねんぞ」 「あはははっ、ええやんええやん。今夜は飲むでぇ!」  賑やかに、和やかに過ごす大晦日の夜。  舜平のくつろいだ笑顔を見ることができて、珠生はとても幸せだった。  心にわだかまっているものは、まだ完全には消えない。だが、それらを打破していくための力をもらえたような気がした。  ――父さんのことを、ちゃんと理解したい。ふたりの未来を認めてもらうためにも、逃げずに、向き合うんだ。  相田家の笑い声に身を任せながら、珠生はそう、胸に誓った。

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