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四、勅封解く

   そして厳かに、『御開封の儀』が始まった。  開始時刻は午前十時。  勅使の高良浩一 侍従(じじゅう)や宮内庁正倉院事務所長らをはじめとした宮内庁職員が、合計十五人が参列している。  今回勅封が解かれるのは、正倉院正倉の西南に建つ西宝庫だ。  1962年に建築された鉄筋コンクリート製の建物である。ここは空調も完備されており、美術品保存には理想的な環境が整っている。    ひとつき後、四月三十日の『御閉封の儀』までの間、宝物の点検や調査などが行われる。同時に、京都府国立博物館にて開催される国宝展に出品される宝物が取り出され、奈良から京都へ護送されるのである。  今回の国宝展の目玉の一つに、武具があげられる。鞍や弓、矢などの武具も同時に出展されるが、その中でも特にメディアの関心を集めているのが、古から伝わる刀剣だ。  正倉院には十二振の刀剣が納められているのだが、今回京都へ送られるものはそのうちの五振り。  そして、何よりも世間の注目を集めているのが、幻の神剣・天之尾羽張(あめのおはばり)だ。  これは日本神話にて、軻遇突智(カグヅチ)の首をはねた伝説の武具であると言われている。  神殺しに使われたという謂れを持つ刀が、正倉院にいつ、誰が収蔵したのかということは、実は明らかになっていない。平安時代初期に書かれた貴族の日記の中に、『いつの間にか天之尾羽張が正倉院に収められいてた』という記述があるため、少なくとも平安初期にはそこにあったようだ。そう言った意味でも、何かと謎の多い宝物である。  考古学者の中でも、この神剣の存在について様々な憶測が飛び交っているようだが、いまだに明確な結論は出ていない。  なんでも、具体的な調査をしようとすると、それに触れた研究者たちの周囲で、次々に不吉なことが起こるのだという。または身体の不調を訴える者もいたらしく、目眩・吐き気・幻聴、ひどいときは昏倒してしまう人間もいたらしい。人体に有害な黴や細菌が付着しているのではないかという仮説から、ガスマスク等の重装備で調査を行ったこともあったが、それでも結果は同じだった。それゆえ、天之尾羽張は西宝庫の最深部に、長らく安置されたままであった。  そんなにも危険な刀が、どうして、数万人規模の集客を誇る国宝展に出展されるのか……。話を聞いた珠生は、疑問を抱かずにはいられなかった。だが、その禍々しさが話題を呼び、一目でいいから天之尾羽張を見てみたいという声が数多く上がっているのも、また事実なのである。  そしてその刀の不穏さが、まさに珠生ら特別警護担当課の出番を作り出した理由である。 『御開封の儀』の今日から国宝展当日までは二週間。その期間中に天之尾羽張の調査を試み、無害と判断された場合に限り、国宝展に期間限定で出展されるという計画になっている。そこでその調査期間中、天之尾羽張の調査に携わる人間たちの身を守る……というのが、珠生らに課せられた任務である。  そこまで危険な代物であるならば、展示などせず、ずっと蔵の中で眠らせてあげればいいのに、というのが珠生の本音ではある。だが今回の調査では、これまでにない最新機器を使用しての調査という期待もあり、天之尾羽張は、実に三十年ぶりに人目に触れることとなったのだ。 「まぁへんなもんが出たら、お前がぶった切って終わりやろうけど……」 と、生真面目な顔で参列者を眺めながら、湊がのんびり物騒なことを言っている。珠生は唇を尖らせた。 「簡単に言ってくれるけどさ。そもそもその剣、本物なのかなぁ」 「どうやろなぁ。まぁ、その辺の意見も聞かせてほしいて要請も来てるわけやし、じっくり拝ませてもらおうや」 と、舜平が目線だけで辺りを見回しつつ、小さな声でそう言った。  勅使をはじめとした参列者は、玉砂利を踏んで西宝庫まで向かい、口や手を水で清めた後、階段を登る。そして勅使が、扉にかけられた麻縄を切って「勅封(ちょくふう)」を解く。扉を封じる海老錠に巻きつけられた麻縄には、勅封の証たる札が巻き付けられていて、物々しい雰囲気である。  そして、とうとう正倉院の扉が開かれる。  そこから流れ出すかすかな違和感に、珠生は鼻をひくつかせた。  ――瘴気……。瘴気の匂いがする。  倉の内部に沈殿していた禍々しい気配が、開扉とともにどろりと外へ流れ出す。この濃度の瘴気を長く吸い混んでしまうと、人体に悪影響が出ることは明らかだ。厳かに儀式が進む中、珠生は舜平にすっと身を寄せて、小さな声でささやきかけた。 「……舜平さん、分かる?」 「え?」 「微かだけど、中から瘴気が漏れ出してる。すぐに儀式を止めないと」 「瘴気……!? それってやっぱり、天之尾羽張のせいか」 「まだ分からない。……ある程度拡散されてしまうまで、倉の中に人を入れない方がいい」 「……分かった。お前、あの新木とかいう人に言って、儀式を何とか止めてもらえ。俺は瘴気の浄化をする」 「了解」 「湊、京都事務所に連絡しといてくれ。念のため、応援要請も」 「おう」  湊がすっと警備の列から離れていく。珠生は舜平を顔を見合わせると、まっすぐに儀式の列へと足を向けた。  開封の儀はすでに終盤だ。ここで止めても何の問題もないはずである。珠生は儀式を見守る新木のもとへ背後からあゆみ寄り、小さく背中を叩いて耳打ちをした。 「新木さん」 「……どうした」 「ここは危険です。すぐに儀式を終了させ、職員及び警備員、マスコミの人たちを遠ざけてください」 「……危険って?」 「特別警戒態勢弐式を発令します。すぐに退避してください」 「……わ、分かった」  特別警戒態勢弐式は、起こりうる非常事態を未然に防ぐため、当該現場から人々を強制退避させることのできる命令である。本来ならば藤原か高遠の許可が必要となるところだが、時と場合の判断により、一定の霊力値を持つ特別警護担当官ならば、これを発令する権限を持っているのだ。  新木はごくりと固唾を飲んんだものの、すぐに役人然とした姿勢で勅使の元へ向かう。舜平は今頃倉の裏手に周り、浄化の術式を執り行っているはずである。  珠生はすぐに皇宮警察隊の方へと足を向け、班長にも『特別警戒態勢弐式』の発令を伝える。すると彼らもまた一瞬ギョッとしたような顔を見せたものの、すぐに定められた方法に則って動き始めた。「これをもちまして取材時間は終了です。お帰りください」と、あえてのようにのんびりした口調でそう言いながら、マスコミ関係者を遠ざけ始めている。  もうすでに倉の中へ立ち入っていた職員たちが、新木に促され、ぞろぞろと外へ出てくる。一見動揺は起こっていないようだが、それぞれややこわばった表情を浮かべているように見えた。  順調に人がはけていく様を見守りつつ、珠生はあたりに気を張り巡らせ、鋭い目線であたりを見回す。  滞っていた瘴気は大方薄れてきているが、その気配はより一層くっきりとした存在感を発し始めているように感じられた。人界にあるにはあまりに独特な気配である。  ――天之尾羽張なんて名前がついてるけど……これは何だ? なんだか、嗅いだことのあるような匂いだけど……。 「珠生」  すっと舜平が姿を見せる。舜平は一見淡々と終えられていく儀式を眺めながら、珠生にだけ聞こえる声でこう言った。 「とりあえず、浄化はした。一応結界は張ったけど、護符を使った仮拵の簡単なもんや。効果はそう強くない」 「……そう。すぐに応援が来るといいけど」 「ほな、二人で中の様子調べてきてくれ。俺はここで、人がこーへんように見張っとくわ」  いつの間にやら、湊の声がすぐそばで聞こえた。  ギョッとしている珠生をよそに、湊は淡々と黒いスマーフォトンを操作している。相変わらず、気配のかけらも感じ取らせない。見事な忍びっぷりだ。 「いつの間に戻ってきたの」 「さっきからおったやん」 「え!? ……やれやれ、俺も修行し直さないと。平和ボケしてるなぁ……」 「なに呑気なこと言うてんねん。ほれ、行くで」 「あ、待ってよ」  スタスタと正倉院内に入っていく舜平を、珠生は慌てて追いかけた。

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