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十二、薫の力

  「……敦、どうした」  左耳に装着した黒いヘッドセットで、彰が敦と連絡を取っている。  数秒黙って敦の声を聞いていた彰は、すぐさま珠生と薫を見て、さっきとは反対方向に走り出す。 「何があった?」 「もう一体いた妖を、仕留め損ねたらしいんだ。敦がやられた」 「なんだって?」 「珠生が大きい方を倒した直後、そっちが急に大きくなったらしくてね、苦戦している」  彰の後を追って走りながら、珠生はちらりと薫を見た。緊迫した表情で二人の後をついてきている。  足元には、さっき滅したばかりの妖の残滓が方々に飛び散っている。時折スニーカーの靴底に張り付く粘着質な感触が気持ち悪い。  その時ふと、薫がこんなことを呟いた。 「……あの妖……ふた方向に分かれていたけど、地中で繋がっていたみたい、です」 「……え?」  走る速度をやや緩め、珠生と彰は薫の言葉に集中した。薫は顎の下の汗を拭いながら、さらにこう付け加えた。 「同胞、みたいなもので、力を共有していた……そんな感じです」 「何故分かる」 と、珠生が鋭く尋ねると、薫は額に汗を光らせながら、こう言った。 「さっき踏んだ、妖の破片から、伝わって来ました。片方がやられたことで、向こうの妖が怒ってるんです」 「……そうか。俺は先に行く、佐為は薫を頼む」 「了解」  珠生は再び築地塀の上にひらりと飛び乗り、風のように現場へと疾走(はし)った。  するとほどなく、豊かな木々の向こうから、もうもうと白い煙が立ち上る様が見て取れた。ぐんとスピードを上げて空を切り、数人の黒いスーツ姿の男たちの前に、珠生はひらりと降り立った。 「た、珠生くん……!!」 「佐久間さん、状況は!?」  印を結んで必死に妖を抑える男たちは、ほぼ全員が結界班の人間たちだ。これではさぞかし分が悪かろうと、珠生はそこにいる面子の顔をぐるりと見回す。  金色の鎖で雁字搦めにされた黒い妖は、今珠生が見ているうちにもみるみる肥え太っていっている。締め付けられ、苦しげに呻き声をあげながらも巨大化してゆく妖を前に、珠生は再び宝刀を抜いた。 「敦が合流して、一旦は倒れかけててんけど……!!」 「え? 墨田さんはどうしたんです!?」 「目に、粘液くろて……そこ、倒れてんねん!」 「っ……なんてことだ。今夜は藍沢さんがいたはずだ、あの人はどこに行ったんですか!?」 「わ、分からへん……!! ただ、俺らにはもう、抑えがきかへん……!」 「チッ……」  軽く舌打ちし、珠生は再び妖へと立ち向かう。  天之尾羽張の一件が落ち着くまで、藍沢要が京都に残ることになったのだ。藍沢は経験も豊富な手練れであり、彼が今夜ここに詰めるというから、珠生も気を抜いていた……。  宝刀を手に、珠生が妖の懐に入り込もうとしたその瞬間、ガキィンッ……!! と甲高い金属音が響き、陰陽師らの結界が粉々に砕けた。一気に膨張し始める黒い妖の肉体に飲み込まれそうになった珠生は、咄嗟に砂利を蹴って後退り、膝と片手をついて体勢を整える。  オオオオオオオオオ……!!!!  狼の遠吠えのような咆哮を上げるや、黒々としたその身体から、放射状に黒い触手が鋭く伸びた。それぞれの術者は咄嗟に自身の身を守るけれど、目をやられて倒れている敦は無防備なままだ。  珠生は咄嗟に敦の元へ駆け寄ると、めちゃくちゃに人間を攻撃してくる妖の手から敦を庇う。抱えて逃げようにも、敦とは体格差がありすぎる上に、意識を失っているためひどく重い。  めちゃくちゃに切り刻まれ、薙ぎ倒された木々の破片が辺りを舞う。そんな中、ぎょろり……と、妖の双眸が珠生を捉えた。ついさっき、同胞を斬った相手だと認めたのだろうか。明らかな敵意を感じて、珠生は奥歯を噛み締めた。  黒い触手が、珠生に向かって集中する。鋭く尖った触手の先端が、雨のように降り注ぐ。それを刀で薙ぎ払っていると、今度は本体がぬうっと動き、珠生の方へ倒れこむように襲いかかってきた。  ――墨田さんを庇いながらでは、無理だ。刀一本では防ぎきれない……!!  さすがの珠生も焦りを感じたその時。  珠生の眼前に、誰かの背中が割って入った。  一瞬、彰が助太刀に入ったのかと思ったが、見上げた背中は薫のものだ。  珠生が驚愕していると、薫はがりっと自らの親指を噛んで血を滴らせると、顔の前で両手を掲げ、見たこともない印を結んだ。 「縛!!」  刹那、時間が止まった。  そう声高に唱えた瞬間と、妖の本体が薫の手のひらに触れるのは同時だった。  ビキィッ……!! と、黒い巨体の全体に、一瞬、赤くぎらつくヒビが鋭く走った。それはひとときで消えてしまったが、妖は薫を攻撃することもなく、動くこともなく、ただただ息を潜めてその場にとどまるばかりである。  見れば、腕や脚がぶるぶると震えている。久々に力を使うというのに、このサイズの妖を縛るというのは、相当に力を使うことに違いない。  その時、薫が苦しげな声を出した。 「……さ、佐為さま……っ……このあとは、どうしたら……」 「え?」  薫が佐為の名を呼ぶので、珠生はくるりと背後を振り返って彰を見た。彰は暗がりの中で腕組みをしたまま、冷徹な目つきで成り行きを見守っている。 「よくやった、薫」 「……っ……はい……」 「その妖は、君の手に負えるかい? 君の式として、使役できる?」 「でき……ません……! 僕には、力が強すぎて……っ……もう……!! もちません……!!」 「そうか」  血を吐くような声音で、薫は叫んだ。  珠生は戸惑いながら二人のやりとりを聞いていたが、その時、すっと彰の手が動く。  片手で印を結んだ彰は、まっすぐに妖を見据え、声高に唱えた。 「黒城牢!! 急急如律令!!」  ガン、ガン、ガンッ!! と金属音を立て、妖が黒鉄の檻の中に封じられていく。薫はスッと手を引いて、その場にへたっと座り込んでしまった。  この術式は他の術者もよく使うものだ。珠生もしばしば目にすることがあったが、彰が使っているのは初めて見た。格子の一本一本に燃え上がるような青緑色の光を湛えていて、あまりにも美しく、禍々しい。内に封じられた妖が、苦悶の呻きをあげてのたうちまわる様は、まるで地獄絵図のようだった。  すると彰はまた違った印を結び、鋭い声と目つきで対象を見据え、「破!!」と喝を入れた。  途端、黒城牢は青緑色に燃え上がり、妖の断末魔の悲鳴とともに消滅した。焼き尽くされた妖気の残滓が、きらきらと夜空に吸い込まれるように消えていく。まるで妖を弔うように。 「……はぁっ……はぁっ……はぁ……っ……」 「薫くん……」  珠生は敦を放り出し、へたり込んで肩を上下させている薫の元へ駆け寄った。  薫の全身は汗で濡れ、顔色も真っ青だ。久々に霊力を使った余波が、薫の全細胞に刺激を与えているのだろう。 「怪我人に手当てを! 現場の後始末を頼むよ」 「はい!」  一方、彰はいつものように、てきぱきと陰陽師らに指示を飛ばしている。薫が彰に何を言われてあんなことをしたのか、珠生には分からなかった。  だが、こうしてみて初めて分かる。  薫が持つ霊力は、膨大だ。たった数滴の血液を贄に、あのサイズの妖を縛って見せた。  まだ、本人でさえもコントロールし得ない秘められた力が、今ようやく目を覚ましたのだと珠生は感じた。  そのために、彰はこんな荒っぽいことをしたのだろう。  休眠状態だった霊力を揺り起こし、薫の力量を図るために。 「大丈夫か?」 「……はい……大丈夫……」 「立てる? 手を……」 「いいえ……、大丈夫です」  差し出した手を拒否して、薫はゆっくりと立ち上がる。  薫をここへ連れ出すことに加担した手前、小さな罪悪感を感じていた珠生は、苦しげな薫の横顔を見ているとつらかった。  行き場を失った手のひらを、珠生はすっと体側に戻す。 「……」 「……珠生さんも、妖の血が流れてるから……」 「え?」  なんとなく気まずくて黙り込んでいると、薫が掠れた声で何かを言いかけた。珠生が小首を傾げると、薫は弱々しい笑みを浮かべてこう言った。 「僕に触れると……あなたの思考が、読まれてしまうかもしれませんよ」 「あ……ああ、そうか」 「なので、すみません。……お気遣い、ありがとうございます」 「……いや」  薫はそう言って、ふう……と一つ深い息を吐き、頭痛を堪えるように頭を押さえている。  背を撫でて労ってやりたかったが、珠生にはそれができなかった。

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