496 / 530

十九、過去の始末

  「天之尾羽張(あれ)を処分する算段がついた……!?」  高遠からそう聞かされた珠生は、思わず素っ頓狂な声を上げていた。  天之尾羽張が正倉院から取り出されて、まだほんの二週間。  確か高遠は、あれを魔境へ送り返したいと言っていた。だが魔境と人境を繋ぐには、大掛かりな手順が必要だったはずだ。もっと時間がかかると思っていたのに……。 「魔境へ、送り返すってことですか?」 「いや……天之尾羽張は、破壊することにした」 と、高遠は決然とした口調でそう言った。珠生は目を瞬く。 「破壊……?」 「ああ。卜占(ぼくせん)で確認したんだけどね、今は人境と魔境がもっとも遠い位置にある。五百年前に魔匣胎道(まごうたいどう)を発動したあの時代は、人境と魔境の境界も危うい『(ひずみ)』の時期だった。だからこそ、あの術式が行えたんだ。そして、君が転生を果たした高校一年生の頃も、同じく『歪』の時期だった。……あれから八年を経て、徐々に二つの世界は安定を取り戻している」 「……そうなんですね」 「次に二つの世界が近づくタイミングを狙うとしたら、あと五十年から百年くらい待たないといけないんだよ。あの禍々しい刀を、この地下にずーーーっと保管しておかなきゃいけないなんて、ぞっとしない話だろ?」 と、会議室の椅子に深く腰掛けた高遠が、おっとりとした笑みを浮かべつつそう言った。  あの後、薫としばし話し込んでしまったこともあり、会議はすっかり終わってしまっていたのである。珠生と深春、そして薫に今後のことを説明すべく、高遠は応接室に三人を呼び出したのだった。 「二つの世界が遠いからこそ、 今は霊的には安定した時代だとも言える。それをわざわざ、こちらから空間を歪めてしまっては、魔境のバランスも崩れてしまいかねないからね。そこで、あの刀は破壊することになったのさ」 「……そうですか」 「なぁ高遠さん、卜占って?」 と、舜平が入れてきたコーヒーを苦そうな顔で飲みながら、深春が高遠にそう尋ねた。ちなみに、舜平と湊も同席している。 「卜占ってのは、占いってことさ。平安時代は、それが我々の主な仕事だったわけなんだけどね」 「占い? へぇ〜、恋占いとかもすんの?」 「こらっ! 口のきき方!」  明らかに緊張感の欠けている深春の膝を、珠生はベシッと叩いた。すると深春は痛そうに顔をしかめ、「いってぇ! やめろよなぁ、粉砕骨折するわ」と珠生を恨めしげににらんだ。 「僕らはそもそも、気を読むのが仕事なんだよ。陰陽師が頼るのは、陰陽道という古い思想だ」 と、高遠がにこにこしながら、ぴんと人差し指を立てて説明を始めた。 「陰陽道って知ってるよね? 日本独自で発達した天文道や、暦道を用いた呪術や占術の技術体系のことね。その起源は『陰陽思想』『陰陽五行論』っていう、ふたつの中国思想で……って、深春くん聞いてる?」 「………………あーーー…………うん、まぁ、分かった」 「いやいや、まだ説明終わってないんだけど」 「高遠さん、深春にそんな難しい話聞かせても無駄やって」 と、舜平がやれやれとため息を吐きながら高遠の肩を叩いた。 「うっせーな舜平、俺だって何となく分かってるっての。えーとほら、あれだろ。なんかほら、えーー……と、ほら、占うんだろ」 「なんも分かってへんやないか」 「うっせ、舜平うっせ! じゃー俺にも分かるように説明してみろ!!」 「ねぇ深春、落ち着いて……」 「うっせーな。じゃー薫は分かんのかよ」 「まぁ、一応勉強してきたし……」 「……マジか……」  という気の抜けたやりとりはとりあえず置いておくことにして、珠生はまっすぐに高遠の方へ向き直った。 「破壊するのは、俺の仕事ですか?」 「いいや、君には周辺警護を頼むよ。あれを持ち出すと、妖たちが大騒ぎするだろうから、君はそっちを片付けてくれ」 「分かりました。……場所はどこで? 御所(ここ)ですか?」 「いや、今回は比叡山で執り行う。あそこなら、多少騒がしくなってもなんとかなるからね」 「というか、人の力で、あの刀を破壊することができるんですか?」 「そこも色々と考えたんだけどね……。陰陽師衆総出の、大掛かりなものになるだろう。希望を言うなら珠生くんの宝刀でボキッとやって欲しいんだけど、君は影響を受けやすいからなぁ」 「……すみませんね、妖の血が騒いじゃうもんで」 「あっ、別に嫌味を言ってるわけじゃないんだよ! 宮内庁書陵部に出向いてくださった藤原さんの調べによると、あの刀は我々陰陽師が過去に犯した過ちの産物なんだ。当時の陰陽寮は、左大臣の言い成りだったらしくてね。政敵を殺すためにあの刀を召喚したはいいけど……目も当てられない結果に終わって、何とかああして封印するに至ったんだそうだ」 「……なるほど」 「それならば、我々の手で始末をつけるのが筋ってものだろう。だから、僕らで何とかするよ。君たち三人は、結界の外で妖を追い払ってくれるかな? あれを外に出すとなると、かなりの妖が動きそうだ」  高遠はそう言って、珠生、深春、薫の三人の顔を見比べた。三人は目線を交わし合い、ゆっくりと頷いた。 「分かりました」 「そういうわけで、決行は二週間後。地下に封じておくだけでも大変でね、一刻も早くあれを壊したい」 「……ですね。結界班の人らの疲れ方、ハンパないですもんね」 と、窓を背に立って話を聞いていた湊が、静かな声でそう言った。 「交代しながら天之尾羽張を抑え込んでいるんだが、いかんせん人数も少ないし、あの刀の妖力は凄まじい。終わったら、全員に休暇を上げないとね。ははは」  ふと気づくと、高遠がハンカチで汗をぬぐっている。珠生が小首を傾げると、高遠は苦笑してこう言った。 「なんか、珠生君の目の色が金色だとさ、千珠さまの圧を思い出して、緊張するよ〜」 「えっ……いや、別に怒ってるわけじゃないんですけど……」 「それに、喋り方がだんだん佐為に似てきたよね。いや〜どっちが上司か分かんないなぁ」 「えっ…………すみません」 「いやいや、いいんだよ。そっちの方が頼もしいし、僕も安心するしさ」 「はぁ……」  高遠に気を遣わせてしまうことには心苦しさを禁じ得ないが、天之尾羽張を人の世から消し去ることができるのなら、それは間違いなく最良の選択だ。あれは、人境に在るには、あまりにも禍々しい。  ただ、いまだに珠生の心の奥底に絡みついているあの願望が、刀の消失を嘆いている。  あれで斬りたい、殺したい…………まるで麻薬のように、天之尾羽張の呪いは、珠生の心を染め抜いている。  ――しかし、破壊されればきっと、俺はこの危険な感情から解放される……。  珠生は琥珀色の目を閉じて、ぎゅっと眉間を押さえた。

ともだちにシェアしよう!